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オーシャンニューズレター

第11号(2001.01.20発行)

第11号(2001.01.20 発行)

第三の沿岸域危機と沿岸域の未来

金沢工業大学環境システム工学科助教授◆敷田麻実

沿岸域を急激に変化させたこの100年の間に、日本の沿岸域は3度の危機を経験している。幸いなことに、過去2度の危機は沿岸域の存在に決定的な影響を与えることなく過ぎた。しかし現在進行している第三の危機は、むしろ沿岸域を利用するわれわれの側の問題であり、われわれに沿岸域とのつきあい方の見直しと、沿岸域の新たな管理システム作りを含む具体的なアクションを求めている。

1.沿岸域への想いと現実

海という言葉を聞くとき、極めて自然に眼前に広がる海原と寄せる波の音を想うことができるのは、人口の約半数が海辺の都市で生活する国でわれわれが育ったからであろう。この海辺を、陸と海を含む空間として表す言葉が、第三次全国総合開発計画以降使われている「沿岸域」である。

沿岸域とわれわれのつきあいは長い。長いばかりではなく、それは深いつきあいでもある。そして沿岸域はごく身近にある自然環境として、また魚食民族である日本人にとっては食料庫として大切に利用されてきた。また、伝承文化である羽衣伝説や浦島伝説の舞台は沿岸域であり、そこは文化を育んだ場所でもあった。だから沿岸域への想いは、古よりわれわれが育んできた想いとさえ言える。

しかしその沿岸域は、過去100年間に大きくその姿を変えた。豊かな社会をつくるためと納得せざるを得なかったが、それは沿岸域にはもちろん、われわれにとっても決して好ましい変化ではなかった。

2.沿岸域における第一、第二の危機とその克服

沿岸域を急激に変化させたこの100年の間に、実は日本の沿岸域は3度の危機を経験している。それでも幸いなことに、過去2度の危機は沿岸域の存在に決定的な影響を与えることなく過ぎた。しかし現在進行している危機は、沿岸域とわれわれの関係の根幹に関わる重大なものではなかろうか。

まず沿岸域の第一の危機は、明治時代後半に訪れた。それは日本の富国強兵のための沿岸域の活用であり、産業立地促進により、港湾の近代化と重化学工業立地のための埋め立てが加速した。また沿岸域は国防のための防波堤であり、逆に海外への進出経路でもあった。その結果として、日本の沿岸域は改変が進み自然度が低下した。

もちろんこのような沿岸域の改変は17、8世紀から始まっていたが、江戸時代の開発と、産業ドライブがかかって中央集権的に進められた近代のそれとでは、規模や速度が異なる。もっともそれでも、次に起こる第二の沿岸域危機の圧倒的破壊力に比べれば、技術や機材の制限からその規模は小さかった。それは日本の近代技術の限界でもあった。

またこの時期には近代的法整備も行われ、農山村の入会制度は近代的な契約関係に改められたが、沿岸域に残った入会制度や地先海面の自治的管理制度は実質的に機能し、共同して沿岸域を管理する役目を果たしていた。

第二の危機は、戦後急激に進んだ沿岸域の改変である。高度経済成長の波を受けて加工貿易推進とコンビナート工業の立地に走った日本株式会社は、多くの貴重な沿岸域を短期間に埋め立てて破壊した。また公共事業として海岸・港湾・漁港事業が強力に進められ、海岸線の改変は国家的に進められた。その結果、1945~99年までに建設・運輸省管内だけで14万4000haを埋め立て、同期間に全国では干潟約3万haを失っている。こうした原因による自然海岸の改変は海岸線全体の50%に及び、まったく手付かずの海岸を探すのは今や困難ですらある。

筆者が海外でこの話をする時、聞き手は一様に驚きの声をあげる。それほど異常な状態である。また景観の破壊に限らず、水質も含めた沿岸域の環境の質そのものも悪化させた。

その原因の多くは沿岸域の分割管理にあった。ほんらい沿岸域は、境界が設定しにくい共有物の性格を持つ。それを日本では、機能別に分かれた海岸法・漁港法・港湾法などによって分割し、制度上も別々に管理してしまったことがこの危機を促進した。

しかしこの第二の危機は、漁業者による埋め立て反対や、環境保護に関するさまざまな法制度の整備、また公害防止技術の進歩によって緩和された。もちろん、漁業権や漁業制度を沿岸域環境の唯一の救世主と見る考えに筆者は賛成ではないが、ここで注目すべきは、制度そのものよりも沿岸域における共同性や地域資源の共有思想である。それが沿岸域を守った。加えて、環境保護に対する世論が、藤前干潟や諫早湾のような市民運動の保護者になりつつある。この動きは、沿岸域を守るために、その所属に関わらずお互いが共同する可能性を示している。

3.第三の危機から沿岸域を救うために

しかし現在、今までのような沿岸域自体の危機とは異なる、むしろ沿岸域を利用するわれわれの側の問題である第三の危機が進みつつある。第二の危機によって荒廃した日本の沿岸域は、もはや人工的な構造物を抜きにしては語れないところまで追いつめられた。人工物がなければ沿岸域が維持できず、魅力も感じられないという、物による沿岸域管理やその利用の蔓延である。すてきなレストランや洗練されたウォーターフロントがなければ、沿岸域を楽しめないというのは、まさしくこの例である。

また共同性の喪失は、利用者個々のレベルにまで及んでいる。地理的な分割と異なり、これは個人の中での共同性の喪失であろう。沿岸域をサービスを提供してくれる物としか見なくなったわれわれは、沿岸域を特定の目的のためにしか利用しない。産業的利用を目的とした埋め立てや漁業ばかりではなく、非産業的な利用である海洋性レクリエーションも目的志向である。遊漁では魚を釣る場所や、釣りを通して自然体験する場所としてしか沿岸域を見ない。われわれは単に沿岸域の機能や特性のひとつを単独で利用する。そしてそれに無関係な沿岸域の価値は無視し、切り捨てている。その結果、特定の目的のためだけの、より効率的な沿岸域利用が求められ、同時に外部不経済を生み続けている。

果たして、われわれはこの第三の危機に対応できるのだろうか。われわれの沿岸域文化は、わずかに残る優れた沿岸域の自然環境を保護しようとするだろうか。気持ちの問題ではない。そこで問われるのは、自然環境を残す仕組みや制度を社会の中に創造できるかということだ。それは実践や働きかけの中でしか生まれてこない。見守ったり、見つめたりすることだけでは、沿岸域は救えない。第三の沿岸域危機は、われわれに沿岸域とのつきあい方の見直しと、沿岸域の新たな管理システム作りを含む具体的なアクションを求めている。

その鍵となるのが、共同と共有である。沿岸域の環境には「不確実性」が多く、自然に対して「科学や技術」の力が及ばないことが多い。そのため個人よりも集団の力、共同した働きかけで沿岸域の問題にあたることが必要だ。想いを共有した集団や共同で危機に立ち向かう有効性は、ナホトカ号の重油回収に参加した多数のボランティアの成果を見れば明らかである。

さらに自分たちだけの欲求や現在の需要を満たすためという理由で環境を疲弊させてはならないことはもちろん、科学的に根拠があっても、合理的であっても、さらに、たとえ社会的に多数決で決定したことであったとしても、人が触れてはいけない部分があることを強調したい。貴重な自然や環境の保護に関する決定には、現世代の英知を超えた判断が必要とされるからだ。とりもなおさず、われわれには沿岸域の環境とつきあう思想や哲学が必要である。

21世紀を迎えた今、共同と共有で、実践の中に沿岸域の未来のデザインを見いだしたい。

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