安全保障・日米グループ
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【追悼:アイリーン・ヒラノ・イノウエさんを偲んで】
2020.05.07

私たちが親しみを込めてアイリーンと呼んでいた、アイリーン・ヒラノ・イノウエさんが4月7日に逝去された。多くの日本メディアは、アイリーンを日米交流の功労者と称えた。アイリーンが全米日系人博物館の館長を20年にわたって務め、その後米日カウンシルの会長として、東日本大震災の直後からトモダチ・イニシャティブを推進した功績等からして、当然のことであろう。筆者にも、アイリーンのあのはじけるような笑顔とともに、彼女が日米間で果たした功績が次々に思い起される。しかし同時に、アイリーンの人生を通した活動を見ると、それは日米交流にとらわれない、より広い問題意識に根差していたのではないかと思えてならない。
米国のメディアはそのことを教えてくれる。ニューヨークタイムズは4月13日に、ロサンゼルスタイムズは4月16日にアイリーンの追悼記事を掲載している。また、アイリーンがフォード財団理事会議長であったとほぼ同時期に理事会メンバーであったクレスゲ財団(Kresge Foundation)も、彼女への追悼に紙幅を割いている。これらの記事からは、アイリーンが、ロサンゼルスでマイノリティの女性を対象としたクリニック(To Help Everyone Clinic)のディレクターを務めていた時代から、一貫してアメリカ社会へのマイノリティグループの包摂と権利擁護を軸に活動を続けたことがわかる。特に、2001年の同時多発テロに際し、日系人博物館を通じアラブ系アメリカ人への連帯と支援をいち早く呼びかけたエピソードは、彼女のエスニシティを超えたマイノリティへの眼差しと断固としたリーダーシップを感じさせる。しかし、筆者が一番驚いたのは、これらの記事が、デトロイト市財政破綻を救った影の立役者としてアイリーンを評したことだった。
かつて「自動車の街」と呼ばれ、米国の豊かさの象徴でもあったデトロイト市は2013年7月、連邦破産法第9条の申請を行い、全米に衝撃を与えた。負債額は180億ドル、米国史上最大であった。しかし、デトロイト市は、わずか17カ月後の2014年12月に米連邦破産裁判所に再建案を承認され、再度米国民を驚かせる。この、奇跡ともいえるデトロイトの復活を可能にしたのは、調停にあたった裁判官らの尽力と、裁判官の要請に応えてデトロイト市の再生に総額3億8000ドルにのぼる資金援助を約束した12の財団の存在が大きかったと言われている。未曾有ともいえる財団からの支援の申し出が、ポジティブなドミノ効果を引き起こしたのである。当初支援に否定的であったミシガン州議会はデトロイト市への3億ドルの資金援助を可決し、最大の債権者グループであった元市職員らは当初50%と言われていた公的年金のカットを4.5%にまで縮小させることで承諾した。他の債権機関等もこれらの動きに追随したことで、デトロイト市は大方の予想より遥かに早く財政再建の途に就く。この一連の過程は2014グランド・バーゲンと呼ばれている。
2014グランド・バーゲンについては多くの資料があり、財団の動きなどについては南カリフォルニア大学フィランソロピー・公共政策センターのレポートに詳しい。しかし、これらのどこにも、アイリーンの名前は見当たらない。一方で、クレスゲ財団はこう明言する。「アイリーンが重要な役割を果たしながら殆ど知られていない事の一つにデトロイト市を財政破綻から救うための2014グランド・バーゲンがある。」ニューヨークタイムズも、そのヘッドラインで、アイリーンが「人知れずデトロイトを財政破綻から救い上げた」と語っている。事実、真っ先に支援を表明した財団は、当時アイリーンが理事会の議長を務めていたフォード財団(支援額1億2500万ドル)と、理事会メンバーであったクレスゲ財団(支援額1億ドル)だった。これを皮切りに、続々と他の財団から支援が表明され、支援総額はついに4億ドル近くに上ったのである。
アイリーンはどうやって二つの財団が率先して大きな金額の支援を申し出ることに関わったのだろうか。どの記事も彼女の関与を“shuttle diplomacy”と記すのみである。周旋外交とでも訳すのだろうか。他方で、日米両国の財団に席を置いたことがある筆者にとって、財団の立場からすると、裁判官からの申し出がどれほど魅力的で、同時にひどく悩ましいものであったかよく理解できる。デトロイト市の再生という公明正大な目的を、財団のミッションの中でどのように説得性をもって読み替えるか。職員や理事会の理解をどうやって得るか。既存事業を損なわず、関係者の注目と期待を集めるに足る、加えて他の財団も支援に乗りだしやすい資金の額と出し方はどうか・・・。難問というより、公共と私財団の間での絶妙なセンスといったものが求められる問題である。これはあくまでも筆者の想像でしかないが、財団を内外から知るアイリーンは、彼女の幅広いネットワークを駆使して情報を集め、デトロイトの関係者とも連絡を取り、助言や相場観などを当時着任したばかりであったフォード財団理事長とクレスゲ財団理事長のそれぞれに伝えていたのではないか。あの、持ち前の明るさと飛び切りの笑顔をもって。
驚くべきことに、アイリーンは、9.11同時多発テロ、米国史上最大と言われたデトロイト市の財政破綻、東日本大震災と、米国や日本を揺るがす大きな出来事に対し、その都度、その時々の立場で大きな貢献をしていたことになる。それは、人種や国などの枠組みを飛び越えた、スケールの大きな公共善とでも呼ぶべきものであろう。思わぬ発見は、筆者に改めて大きな喪失感ととともに、背筋の伸びる思いをもたらした。
クレスゲ財団は追悼文をこう結んでいる。「彼女はまさに社会の宝ものでした(She was a civic treasure)。」至言である。そして、アイリーンからのバトンは、私たちの目の前にある。
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■関連サイト
(1)アイリーンさんへのインタビュー(2019年12月)(英語)↓
Interview with Ms. Irene Hirano Inouye, founding president of the U.S.-Japan Council
https://www.spf.org/en/publications/spfnow/0068.html
(2)アジア系アメリカ人州議会議員招へいプログラム −1
日米グループ河野研究員執筆記事「米国内で勢いを増すアジア系-彼らと協力することの意義」(2020年3月)
はこちら↓
https://www.spf.org/jpus-j/news/20200331_1.html
(3)アジア系アメリカ人州議会議員招へいプログラム − 2
パネル講演会動画(笹川平和財団/米日カウンシル共催)
「リーダーシップの多様化:アジア系アメリカ人州議会議員が歩んできた道のり」
2019.12.12開催 ↓
https://www.youtube.com/watch?v=I9aKeSq4nW8&feature=emb_logo
講演会概要 https://www.spf.org/seminar/list/20191212.html
2017.10.5開催 ↓
https://www.youtube.com/watch?v=HHegAJlVAMU&feature=emb_logo
講演会概要 https://www.spf.org/seminar/list/24185.html
レポート https://www.spf.org/publications/records/24527.html
(4)米日カウンシル日本語サイトでの追悼記事はこちら↓
https://www.usjapancouncil.org/ja/
米国のメディアはそのことを教えてくれる。ニューヨークタイムズは4月13日に、ロサンゼルスタイムズは4月16日にアイリーンの追悼記事を掲載している。また、アイリーンがフォード財団理事会議長であったとほぼ同時期に理事会メンバーであったクレスゲ財団(Kresge Foundation)も、彼女への追悼に紙幅を割いている。これらの記事からは、アイリーンが、ロサンゼルスでマイノリティの女性を対象としたクリニック(To Help Everyone Clinic)のディレクターを務めていた時代から、一貫してアメリカ社会へのマイノリティグループの包摂と権利擁護を軸に活動を続けたことがわかる。特に、2001年の同時多発テロに際し、日系人博物館を通じアラブ系アメリカ人への連帯と支援をいち早く呼びかけたエピソードは、彼女のエスニシティを超えたマイノリティへの眼差しと断固としたリーダーシップを感じさせる。しかし、筆者が一番驚いたのは、これらの記事が、デトロイト市財政破綻を救った影の立役者としてアイリーンを評したことだった。
かつて「自動車の街」と呼ばれ、米国の豊かさの象徴でもあったデトロイト市は2013年7月、連邦破産法第9条の申請を行い、全米に衝撃を与えた。負債額は180億ドル、米国史上最大であった。しかし、デトロイト市は、わずか17カ月後の2014年12月に米連邦破産裁判所に再建案を承認され、再度米国民を驚かせる。この、奇跡ともいえるデトロイトの復活を可能にしたのは、調停にあたった裁判官らの尽力と、裁判官の要請に応えてデトロイト市の再生に総額3億8000ドルにのぼる資金援助を約束した12の財団の存在が大きかったと言われている。未曾有ともいえる財団からの支援の申し出が、ポジティブなドミノ効果を引き起こしたのである。当初支援に否定的であったミシガン州議会はデトロイト市への3億ドルの資金援助を可決し、最大の債権者グループであった元市職員らは当初50%と言われていた公的年金のカットを4.5%にまで縮小させることで承諾した。他の債権機関等もこれらの動きに追随したことで、デトロイト市は大方の予想より遥かに早く財政再建の途に就く。この一連の過程は2014グランド・バーゲンと呼ばれている。
2014グランド・バーゲンについては多くの資料があり、財団の動きなどについては南カリフォルニア大学フィランソロピー・公共政策センターのレポートに詳しい。しかし、これらのどこにも、アイリーンの名前は見当たらない。一方で、クレスゲ財団はこう明言する。「アイリーンが重要な役割を果たしながら殆ど知られていない事の一つにデトロイト市を財政破綻から救うための2014グランド・バーゲンがある。」ニューヨークタイムズも、そのヘッドラインで、アイリーンが「人知れずデトロイトを財政破綻から救い上げた」と語っている。事実、真っ先に支援を表明した財団は、当時アイリーンが理事会の議長を務めていたフォード財団(支援額1億2500万ドル)と、理事会メンバーであったクレスゲ財団(支援額1億ドル)だった。これを皮切りに、続々と他の財団から支援が表明され、支援総額はついに4億ドル近くに上ったのである。
アイリーンはどうやって二つの財団が率先して大きな金額の支援を申し出ることに関わったのだろうか。どの記事も彼女の関与を“shuttle diplomacy”と記すのみである。周旋外交とでも訳すのだろうか。他方で、日米両国の財団に席を置いたことがある筆者にとって、財団の立場からすると、裁判官からの申し出がどれほど魅力的で、同時にひどく悩ましいものであったかよく理解できる。デトロイト市の再生という公明正大な目的を、財団のミッションの中でどのように説得性をもって読み替えるか。職員や理事会の理解をどうやって得るか。既存事業を損なわず、関係者の注目と期待を集めるに足る、加えて他の財団も支援に乗りだしやすい資金の額と出し方はどうか・・・。難問というより、公共と私財団の間での絶妙なセンスといったものが求められる問題である。これはあくまでも筆者の想像でしかないが、財団を内外から知るアイリーンは、彼女の幅広いネットワークを駆使して情報を集め、デトロイトの関係者とも連絡を取り、助言や相場観などを当時着任したばかりであったフォード財団理事長とクレスゲ財団理事長のそれぞれに伝えていたのではないか。あの、持ち前の明るさと飛び切りの笑顔をもって。
驚くべきことに、アイリーンは、9.11同時多発テロ、米国史上最大と言われたデトロイト市の財政破綻、東日本大震災と、米国や日本を揺るがす大きな出来事に対し、その都度、その時々の立場で大きな貢献をしていたことになる。それは、人種や国などの枠組みを飛び越えた、スケールの大きな公共善とでも呼ぶべきものであろう。思わぬ発見は、筆者に改めて大きな喪失感ととともに、背筋の伸びる思いをもたらした。
クレスゲ財団は追悼文をこう結んでいる。「彼女はまさに社会の宝ものでした(She was a civic treasure)。」至言である。そして、アイリーンからのバトンは、私たちの目の前にある。
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■関連サイト
(1)アイリーンさんへのインタビュー(2019年12月)(英語)↓
Interview with Ms. Irene Hirano Inouye, founding president of the U.S.-Japan Council
https://www.spf.org/en/publications/spfnow/0068.html
(2)アジア系アメリカ人州議会議員招へいプログラム −1
日米グループ河野研究員執筆記事「米国内で勢いを増すアジア系-彼らと協力することの意義」(2020年3月)
はこちら↓
https://www.spf.org/jpus-j/news/20200331_1.html
(3)アジア系アメリカ人州議会議員招へいプログラム − 2
パネル講演会動画(笹川平和財団/米日カウンシル共催)
「リーダーシップの多様化:アジア系アメリカ人州議会議員が歩んできた道のり」
2019.12.12開催 ↓
https://www.youtube.com/watch?v=I9aKeSq4nW8&feature=emb_logo
講演会概要 https://www.spf.org/seminar/list/20191212.html
2017.10.5開催 ↓
https://www.youtube.com/watch?v=HHegAJlVAMU&feature=emb_logo
講演会概要 https://www.spf.org/seminar/list/24185.html
レポート https://www.spf.org/publications/records/24527.html
(4)米日カウンシル日本語サイトでの追悼記事はこちら↓
https://www.usjapancouncil.org/ja/