【米日カウンシル共催パネル・ディスカッション】

「リーダーシップの多様化:アジア系アメリカ人州議会議員が歩んできた道のり」
~米国州議会議員によるパネル・ディスカッション~

ロブ・ボンタ氏(カリフォルニア州議会 下院議員)
アーロン・リング・ジョハンソン氏(ハワイ州議会 下院議員)
クラレンス・ラム氏(メリーランド州議会 下院議員)
ラーディ・マーム氏(マサチューセッツ州議会 下院議員)
ブライアン・シオザワ氏(ユタ州議会 上院議員)
モニカ・ジュラード・ストーニア氏 (ワシントン州議会 下院議員)
[モデレーター]道傳愛子氏(NHK国際報道局チーフプロデューサー兼解説委員)

2017.10.05

"God bless America"――移民として生きて

Doden.png道傳愛子(以下、道傳) 今秋、笹川平和財団が助成する米日カウンシルによる「アジア系アメリカ人リーダー訪日プログラム」で来日されたのは、壇上の6名の州議会議員の方々です。初めに、どのような生い立ちで、どのような経験をして本日ここにいらっしゃるのか、皆さんのライフストーリーをお話しいただけますか。



ラーディ・マーム氏(以下、マーム) 私の家族の歴史を語るのは、とてもつらいことです。  1970年代後半、カンボジアでは内戦とクメール・ルージュによる大虐殺で、国民の3分の1、200万人以上が命を落としました。決して忘れることのできない恐怖と悪夢です。私たち家族は1982年にアメリカに移住しました。凍てつくミネソタ州ダルースに到着したとき、私は英語を一言も話すことのできない12歳の怯えた少年でした。

Mom.png  私は母といまは亡き父に感謝しています。すべてを犠牲にし、未知の危険を厭わず、子どもたちに安全なアメリカで新たな人生を与えてくれました。私はまた、アメリカ、そしてローウェル市に感謝しています。安全と新しい人生を歩むチャンスを与えてくれました。God bless America――アメリカ、アメリカ国民に神のご加護があらんことをと心から願っています。

 アメリカン・ドリームを地でいっていることは幸運です。アメリカがチャンスを与えてくれたがゆえに、地元コミュニティや国に対してお返しをしようと努めてきました。この国の民主主義を信じているからこそ、立候補する決意をしました。一人の声も多くの人々の声も代表することができる、課題解決の一翼を担うことができると信じています。 2015年に初のカンボジア系アメリカ人州議会議員となりました。2番目に古い州議会の一員になれたことは光栄です。

クラレンス・ラム氏(以下、ラム) 中国系アメリカ人二世としてペンシルベニア州アレンタウンで生まれました。私の両親は多くの人たちと同じように、より良い生活を求めてアメリカに移住し、そこで出会いました。

 三人兄弟の長男の私は両親の苦労を見て育ちました。ときどき改めて私たち家族はアメリカで生活できて幸運だと思いました。良い収入を得て、素晴らしい教育を受け、自分の意見や信念を恐れずに表現できる。一所懸命働けば、子どもたちに明るい将来を与えることができる――このようなチャンスを、私たちは第二の祖国アメリカで手にすることができたのです。これらを与えてくれたコミュニティに奉仕をしてお返しをすることが、二世としての義務、責任だという信念を持っています。

Lam.png  人の役に立ちたいとの思いから医学を目指し、コミュニティの役に立ちたいとの思いが政策への興味を駆り立てました。そこで、大学で生物学と政治学の学士号を取得しました。さらに、メディカルスクールで公衆衛生(予防医学)を専攻しました。

 2013年に立候補し、医者である議員となりました。ジョンズ・ホプキンズ大学の教員として予防医学研修プログラムを統括する一方、同大学のような教育研究機関で生まれた膨大な知見や研究結果を立法化に反映させて、人々の健康を改善するという二つの仕事を追究できるニッチを見つけられたことに感謝しています。

 若い人に向けた講演を依頼されることがあります。そうした機会に言うのは、どんな人間になるかを決めるのは自分の考えや信念であるということです。私の場合、第二の祖国が私と私の家族にしてくれたように、コミュニティに奉仕をしてお返しをしなければならないという信念に動かされています。以下の言葉で締めくくりたいと思います。

 「自分の考えが言葉となるのを見守りなさい。言葉が行動となるのを見守りなさい。言葉が習慣となるのを見守りなさい。習慣が自分の性格となるのを見守りなさい。そして性格が自らの運命を切り開くのを見守りなさい――」。

ブライアン・シオザワ氏(以下、シオザワ) 私は日系三世です。私の祖父母が1900年ころ、静岡県からアメリカに移住しました。アイダホ州の南部に居を構え、家畜やじゃがいもを育て、生計を立てました。私はスタンフォード大学、ワシントン大学医学部に進学し、ユタ大学で研修医になって以来ユタ州に住んでいます。

 ユタ州議会上院議員として現在二期目です。ユタ医師会会長を務めていたときに、患者、医者の意見を伝えるためにしばしばワシントンの議会に行ったのですが、真の影響力を発揮するためには議員になるしかないと思い至り、州議会議員選に立候補したのです。浮動票の多い地区で、いつも共和党と民主党の間で揺れている州であるため、双方の意見を聞きました。公職に就いて初めての経験で、やりがいを感じました。

Shiozawa.png  現在、社会福祉歳出委員会、保健福祉委員会、また医療保険改革タスクフォースのメンバーです。いま全米で医療保険制度の問題を抱えています。オバマケアをどうするのか。医療費がかさみホームレスも増えている。オピオイド系の鎮痛剤が多用されている。日本は長寿社会で肥満度は低く、薬剤の問題もほとんどありません。その理由を今回の訪日の機会にぜひ教えていただきたいと思っています。さらに私はビジネス・経済開発・労働歳出委員会委員長も務めています。ユタ州とほかの州にとどまらず世界中との間で貿易とビジネスの関係を拡大したいと思っています。

 ビジネスは公平で持続可能で人間性に満ちて互恵であるものでなくてはなりません。日米はビジネス・貿易のパートナーとして戦略的な絆があります。そして死活的に重要な同盟関係もあります。いま北朝鮮問題などの危機に直面していますが、一緒ならば乗り越えることができます。お互いがお互いを必要としているのです。今後とも協力し合ってまいりましょう。

モニカ・ジュラード・ストーニア氏(以下、ストーニア) 私はカリフォルニア州のエドワーズ空軍基地で生まれました。日系アメリカ人であり、メキシコ系アメリカ人であるという二つのルーツを持っています。わが家の血筋に誇りを持っています。人種、文化が多様性に富んでいます。第442連隊で戦った叔父たちもいます。

Stonier.png  ウェスタン・ワシントン大学で教員免許を取得し、教員として働き始めてから結婚し、その後ワシントン州立大学で修士号を取得しました。公立中学校に通う2人の子どもがいます。

 17年間中学校で教えてきた中で、フラストレーションを感じていました。学生や教員にマイナスの影響を与えるような法案が次々に通っていたからです。そこで、教員の視点を議会に反映させたい、より良い環境を、教育者、学生につくりだしたいという思いから、州議会議員選に立候補しました。現在、教師である議員です。公立校で教員もしくは校長先生対象のコーチとして働いています。どんな市民でも州議会議員になれるのは理想的なかたちだと思います。日系アメリカ人、メキシコ系アメリカ人の両方を代表し、働く母親の代表として議員として活動できることを誇りに思っています。現在、教育委員会副委員長を務め、医療福祉委員会、議事運営委員会、予算委員会などのメンバーです。

ロブ・ボンタ氏(以下、ボンタ) メトロマニラのケソン市生まれ、フィリピンからアメリカに来た移民の息子です。家族をあげて政治活動を行ってきました。父は1960年代に、セルマ(アラバマ州)でマーチン・ルーサー・キング牧師と一緒に公民権運動の行進に参加しました。母もマルコス政権の時代、フィリピンで自由を声高くアピールしました。いら立ちを感じていたフィリピンを逃げ出して、第二の人生をカリフォルニアで見つけたということです。

Bonta.png  私はセザール・チャベスの家の近くの移動住宅で育ちました。チャベスはメキシコ系アメリカ人の農民運動を組織し、平和裏に社会・民族・経済的正義を求める運動をしました。また、フィリピン系の人たちとも労働者運動や女子公民権運動を一緒に展開しました。そうしたことを目のあたりにして学びました。

 両親は私が大学に進学することを望んでいました。クリーニング店などで働き、奨学金を得てコネチカット州のロー・スクールと英国の大学で学びました。弁護士として働いたのち、立候補しました。議員になって意思決定に加わりたい、声なき人の声を代表したいと考えたからです。フィリピン系アメリカ人として160年ぶりのカリフォルニア州議会議員となりました。フィリピン系はアメリカで最速に伸びているコミュニティです。そのコミュニティのために戦いたいと思いました。最初に立案したのは、フィリピン系アメリカ人が農民労働に大きく協力したことを公立学校の教科書に掲載する法案で、実現させました。進歩的な思想を持っています。公平性、包摂性、司法、正義を徹底させたいと思っているわけです。

アーロン・リング・ジョハンソン氏(以下、ジョハンソン) 私は沖縄および中国からハワイ州に移住した移民をルーツとする四世です。沖縄県生まれの祖母は国際結婚のパイオニアで、真珠湾で船の整備士として働いていた中国系の祖父と結婚しました。ハワイは人種のるつぼですが、それでも1930年代の国際結婚は珍しかったそうです。祖父母は中学校まででしたが、私がイェール大学を卒業したことで、3世代でアイビーリーグに子孫が入ることができました。アメリカン・ドリームを具現したのです。

Johanson.png  より良い教育と生活を与えてくれたアメリカに恩返しをするために公職に就こうと考え、ワシントンD.C.の連邦政府で、ホワイトハウスや造幣局に4年間勤務しました。その間に、人々に影響を与えることのできる大きな権限を持つポジションは、行政府より立法府だと思うようになりました。そこで、ハワイに戻って立候補し、30歳で初当選しました。32歳でハワイの歴史が始まって以来、州議会で最も若いマイノリティのリーダーになりました。34歳のときに、価値観の相違から共和党を離党し、民主党員になりました。現在、党の幹部、労働・公務雇用委員会委員長を務めています。

アメリカ社会の多様性は失われつつあるのか

道傳 個人的な歴史についても共有していただき、感動するお話をしていただきありがとうございました。皆さんのお話はアメリカの根源であると思いました。

 皆さんの多くがアメリカン・ドリームに言及され、使命感があって公職に就きたかった、コミュニティや国にお返しをしたいという気持ちが強いということをお話しくださいました。そこで質問があります。白人至上主義、シャーロッツビルの事件、或いはトランプ政権の不法移民の強制送還猶予措置(DACA)についての取り組み、20歳に達していない移民の子どもたちが国外追放にさらされるということについてどう思うかということです。アメリカ社会は多様性を大事にする社会だと思うのですが、皆さんの見解はどうでしょうか。アメリカは違った方向に進みつつあると思われますか。

ボンタ 進歩の過程は決して直線的ではありません。一進一退で、前進する前に一歩下がることもあるし、二歩下がることもある。それがまさにいまアメリカで起きていることです。これには現大統領がかなり関係しています。大統領の権限は大きいですから。

 シャーロッツビルの事件では美しくない面が前面に出てしまいました。それは歴史の一部ではあるけれども、すべてではありません。アメリカには包摂、団結、愛情、平和を希求する大きな声もあります。

 DACAの撤廃は、残酷で心無い措置だと思います。移民の子どもたちは、親と一緒にいい人生を求めて、危険をかいくぐり、やっとアメリカに来た。ほかに選択肢がなかったのです。教育を受け、起業したり、従軍したりし、納税もしている。それが正式の国民ではないというふうになっている。DACAについては強い意見を持っています。特にカリフォルニア州は移民が多く、最も多くの違法移民を抱えているのでなおさらです。

道傳 ジョハンソンさん、あなたの見解はどうですか。現在は移民がアメリカンドリーマーにはなれない状況だと思いますか。

ジョハンソン 短期的な視点からだけではなく、長期的な視点から政治を考えなければなりません。アメリカの価値観はどこにあるのかということです。忘れてはならないのは、アメリカは特定の人種、言語に囚われない国であるべきだということです。近代的実験ともいえるかもしれませんが、常に進化しており、真実を反映したアイデンティティを獲得しようとしている国なのです。

 移民は多様性を内包しています。移民こそ未来を担うと思っています。この国の先祖は移民でした。アメリカに来て、アメリカ人になろうと思っている人には、これからも明るい未来が築けるようにしたいと思います。アメリカは常に正しいことをやるとは限らない。時々苦労することもある。でも、最終的にはより包摂性の高い社会になると確信しています。

道傳 人種の分断は加速化していると思いますか。

ジョハンソン 注目を集めていますが、加速化しているとは思えません。残念ながらマスコミは、最も議論を呼ぶ問題を強く取り上げる性質があるから、実情以上に大きく報道されがちです。もちろん現実的に問題には対応しなくてはいけませんが、多様性を多としている国であるわけです。

道傳 長期的な価値観を念頭に置いておかなければならないということですね。

ジョハンソン そのとおりです。公民権運動が盛り上がった1960年代は過去のことです。いろいろな変動があり、完璧ではなかったけれども過去のことです。いまはいまで社会は変動しており、その中で、最も真実に近い価値観を見つけようとしているのです。

道傳 マームさんもアメリカン・ドリームについて情熱を持って話されました。これからはそれを当然視してはいけないと思いますか。

マーム 理解していただきたいのは、戦乱のカンボジアで生きた子ども時代は過去のことだということです。私の両親は自分の子どもたちにはチャンスを与えたいという希望を持って、地雷を踏むかもしれない危険があってもアメリカに来ました。アメリカで生活するということは、やはり夢なのです。

 アメリカはまだ若い国です。一人ひとりが自分の考え方を変えることもできる。だからこそ、アメリカはいまのような状況にあるわけです。建国のときからいまに至るまでそうです。

 アメリカはいろいろな困難を抱えています。そしてマイナスの側面ばかりがニュースになっています。でも、マイナスのことばかり言っていても、プラスのことは生まれてきません。ポジティブなプラスの側面を話せば、それが広がっていくと思うのです。だから私はポジティブなことを常に話したい、ほかの人たちを勇気づけたいと思っています。カンボジア人として初めての州議会議員に私はなりました。カンボジアに戻って私の経験を話すことで、人々にインスピレーションを与えることが可能です。自分が人生で何を得られるかは自分の考え次第だということを私はアメリカで学びました。前向きに考えることが重要です。

道傳 メディアの重要な役割について想起してくださいました。おっしゃったとおりだと思います。メディアがあまりにも大げさに伝えてしまうこともありうるからです。

 それでは、政治家としてのキャリアの長いシオザワさん、現在のDACAなどをめぐる状況をどう見ていらっしゃいますか。

シオザワ 第二次世界大戦中、日系人は収容所に入れられました。それは国家安全保障上の理由、つまり脅威から守るためというのが理由でした。今日も同じような大義名分が移民に対して使われています。移民の価値を忘れているわけです。移民は様々なことをアメリカに持ち込んでくれる、有能な人たちです。そもそもアメリカは移民でできた国です。大いなる約束があったにもかかわらず、移民の持つ価値を無視する措置は近視眼的だと思います。

 今後、いろいろな課題に直面します。その一つは、日本と同様、若い人材の不足です。持続可能なビジネスの観点からも大きな課題です。移民は必要で、大人も子どもも合法化することが重要です。そうしなければアメリカは成長できないのです。
 残念ですが、歴史は繰り返しているということです。学ばなければいけないですよね。

道傳 ストーニアさん、どうですか。

ストーニア いま、公立学校でアクティブ・シューター・ドリル、つまり襲撃されたことを想定した避難訓練が行われています。また、DACAが発表されたときには、子どもたちがもう友達と会えなくなってしまうかもしれない、悲しいと言っていました。これが現実です。

 よく私の携帯電話や家の留守電に、人種差別や紛争が増えているというメッセージが残されています。そういうメッセージを直に聞くと、どきっとします。

 ただ、若い人たちを見ていると、国際結婚や同性婚などを自然に受け止めています。より幅広い心を持っている。だから次世代はより強力な世代になると思います。

 アメリカの歴史はほかの国に比べて短く、遊園地のジェットコースターのように常に激しく上下変動しています。まだ巡航速度には達していないということかもしれません。

道傳 最近のラスベガスの事件や銃規制について何かコメントはありますか。

ストーニア あの事件以来、アメリカで銃規制をどうすべきか、様々な議論がなされています。アメリカでは武器を持つ権利が認められています。そうであるならば、誰が銃を持っていいのか、選別しなければなりません。我々のアイデンティティは時流の変化とともに変えることができるのに、それができていない。これは党派色の強い問題だといわれていますが、そうではありません。ワシントン州では知事も上下両院も銃を購入する前にバックグラウンドチェックをやろうと運動していますが、まだそれが通らない状況です。

道傳 ラムさんのご意見はどうですか。

ラム アメリカはこれまで一度も完璧な国ではありませんでした。不完全な国として建国されました。憲法で奴隷制度が認められてもいました。民主主義は困難なものです。それをつくるには時間と忍耐力が必要です。

 先ほどのアメリカン・ドリームの話に戻りますが、常に私たちは国を改善したいという気持ちから発生していると思います。わが国には所得格差、経済的不正義、或いは社会的な無責任さなどたくさんのチャレンジがあります。それが銃規制、DACAの問題、或いは医療保険制度改革、シャーロッツビルの事件などにも表れているわけです。でも念頭に置いておくべきは、国は単一ではない、いろいろな意見があるということです。例えば、物議を醸すような政策が発表されると、言論の自由が担保されているから、反対意見も賛成意見も述べることができる。こうしたことは、アメリカの歴史の中で育まれてきたわけです。そしてアメリカ社会は最終的にはより良い道を見つけてきました。

 いまのような変化している時代は、チャレンジングな時代です。昨秋の大統領選挙もチャレンジングでした。一般投票では民主党候補が勝ったのに、最終的には共和党のトランプ大統領が誕生した。必ずしも大半の人たちが、連邦政府がいま提案している政策に賛成しているわけではありません。

 先ほど申したように、民主主義は簡単なものではない。でも、我々はこのチャレンジを乗り越えることができると思います。これまでもアメリカ社会は危機に直面したとき、最終的には結束してアメリカン・スピリットでアメリカン・ドリームを達成しようとしてきました。皆さまには忍耐力をもってアメリカを見守ってほしいと思います。

州議会がアメリカを変える

道傳 アメリカにおいては、州議会議員のほうが現場に近いので、よく人々の声が聴こえる、何が起こっているかよくわかっていると聞きました。皆さんはそれぞれのコミュニティでどんな声を聴いているのでしょうか。或いは、皆さんは州レベルで仕事をなさっています。コミュニティ、或いは国にどのような変革をもたらすことができるとお思いでしょうか。一言ずつお願いします。

ジョハンソン ハワイはほかの州に比べて小さな経済州です。でも日本と歴史的に絆が強いという特性があります。多くの日本人がハワイ州で休暇を過ごされます。ハワイ州と日本は成熟した関係を持っています。

 かつて、州の司法長官のお宅にお邪魔したときに、安倍昭恵首相夫人がいらっしゃいました。そこで、なぜここに安倍首相はいらっしゃらないのですかという話になり、その場で日本側の方がご本人に電話をしてくださいました。それがのちに、安倍首相とオバマ大統領(当時)が真珠湾で平和を語り合う機会につながりました。ハワイ州は小さいですが、ユニークな利点を持っています。外交にも影響を与えることができるのです。

ボンタ カリフォルニアは抵抗運動の発祥の地で、価値観のために戦う、前進するという信念を常に持っています。昨秋の大統領選挙でトランプ氏の当選が決まったときにも、これまで戦ってきた価値が今後どうなるのだろうということになって、その翌日に多くの議員が一緒になって、建国の州ではなかったけれども、アメリカの未来を担う州だとアピールしました。

 カリフォルニア州はアメリカ最大の州で、最も多様性に富んでいて、世界6位の経済力を持っています。個人的にも責任があると思っています。今後とも、移民、医療保険制度、公民権、気候変動対策のために戦います。連邦政府が間違った方向に行っても、カリフォルニア州は独自路線を貫き、自州だけでなく国のために戦い続けます。

ストーニア 州のリーダーとして、自分が立候補した理由を忘れないようにしています。それは、教育者である議員として、教育制度に影響を与えたいということです。

 私のもとに届いている声をご紹介します。ホームレスの子どもたちに入居可能な住宅を提供する必要があるということ。いま、私の郡にはホームレスの子どもたちが約8,000人います。とても容認できる状況ではありません。また、医療費がかさみ、医者にかかれないという声も届いています。政策レベルの話ですし、アドボカシーの一員として責任を感じています。そして、リーダーとなり続けたい、地元民の声を届けたいと思っています。具体的には、DACA、ドリーマーと呼ばれる子どもたちを守りたい。親御さんとも共闘していきたい。これまで問題なく暮らしてきたのに、なぜ急に移民を受け入れないと言い出したのか。これには強く反対していきます。

シオザワ ユタ州の下院議員を三期務めた人がいます。法案を何本通したと思いますか。ゼロです。いま、議会は膠着状態です。党派対立が強いため、まったく仕事ができていません。ヘルスケアをほかのものに変えるといっても議論が進まない。だから、とりあえずオバマケアが続くということになるんですね。

 州議会は違いを出せると思います。例えば、私が通した法案の一つですが、州の権限で、自閉症の子どもたちの治療に保険がきくようにしました。自閉症の子どもたちに教育や治療の機会を与え、社会に合流できるようにすることで、多くの子どもたちの人生が変わります。これはほかの州の前例となり、わが州はリーダーシップを発揮することができました。いま、議会が膠着した状態ですから、ベストな方法は州のレベルで動くということだとはっきり申し上げられます。

ラム アメリカの州は日本の県とは違い、ある程度の主権が与えられています。連邦政府が政策を発表したときに、連邦政府を訴える州もあります。したがって、州がその選挙民の望みをかなえるために、進歩的な政策を推し進めるチャンスはたくさんあります。アメリカの歴史からわかるのは、州が実験室になっていることです。今後、たくさんの革新的な作業が州レベルでなされると思います。それを広げていきたいと思います。

マーム ほかのパネリストに言い尽くされましたので、一点だけ。すべてのアメリカの政治は地域レベルで起こるとよく言われます。だから地域は重要です。

 民主主義が機能しているということは、きちんとした投票ができるということです。かつて、私の選挙区ローレル市のあるグループの人たちが、道路と橋を建て直してほしいと依頼をしてきました。そこで私は「もし、あなたがたグループ全員が一つにまとまるのなら、それを実現することができますよ」と言いました。この30年間、何も動かなかったのが、6カ月間で予算をつけて直すことができました。議員は公僕です。地域の人たちの声を聴かなければならないし、その声にならなければならないと思います。選挙区の人たちから直接話を聞いて、州レベルに持ち帰って、それを実現する努力をしているわけです。

道傳 何人かの方がおっしゃいましたが、国の行方を決めるのはリーダーだけではない。国民も投票することによって参加することができる。したがって、私たち自身、声を上げなくてはならないということです。リーダーシップの多様化というタイトルのパネルだったのですが、パネリスト全員が多様性を見せてくださいました。私にとっても、会場の方にとっても貴重な機会だったと思います。皆さんの洞察や声を通じて、アメリカについても理解を深めることができました。ありがとうございました。

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