1 領有権―法と歴史

  • 2013年12月30日

概要
小笠原諸島の発見は、大航海時代16世紀から17世紀にかけて、スペイン船により火山列島が、オランダ船により小笠原群島が発見されたことに遡る。日本人による最初の発見は、1670年に遭難した船が母島に漂着したとするもので、後に幕府はその証言をもとに小笠原の巡検を命じ、政府として正式な調査を行った。
1830(天保元)年、サンドウィッチ諸島(ハワイ)から欧米人と5人と現地人の男女が入植した。その後、1862(文久元)年に幕府は外国奉行水野忠徳を団長とする派遣団を小笠原に派遣し、島民の名前や年齢、妻子の有無などを調査した。
1876(明治9)年、寺島外務卿から小笠原島の日本統治が各国に通知され、日本の領有権が確定した。
第二次世界大戦後、小笠原諸島は対日平和条約によって米国の施政権下に置かれた。その後、1968年4月5日に小笠原返還協定が調印され、6月26日、同協定の発効により、小笠原諸島は日本の施政権下に復帰した。
ここでは、小笠原の発見から小笠原返還、村政確立までのF&Fを掲載する。

インデックス
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(1)小笠原の発見から明治まで

16世紀以降 小笠原諸島の発見 閲覧
1670年 寛文10年 阿波国浅川浦勘左衛門持船が母島に漂着(日本人による発見) 閲覧
1675年 延宝3年 江戸幕府が小笠原の巡検を命じ,政府として初めて正式な調査を実施 閲覧
1727年 享保12年 日本人による無人島の発見が国際的に知られるようになる(ケンペルの「日本誌」がロンドンで刊行) 閲覧
1827年 文政10年 イギリス船が父島に来航し,領有宣言を行うが,イギリス政府は正式に承認しなかった 閲覧
1830年 天保元年 オアフ島から欧米人らが父島に入植 閲覧
1853年 嘉永6年 ペリーが父島に寄港。石炭所用地を購入 閲覧
1853年 12月 ペリーが香港において英国官吏と小笠原島の領有について問答 閲覧
1862年 文久元年 幕府が「咸臨丸」を小笠原に派遣、探検調査や測量を行う 島民に日本領土であること、先住者を保護することを呼びかけ同意を得る 閲覧

(2)日本統治(明治以降)

1876年 明治9年 小笠原島の日本統治を各国に通知(日本の領有が確定) 閲覧
1877年 明治10年 ペレース、ケータ二島を聟島嫁島と改称し、小笠原に属する 閲覧
1880年 明治13年 小笠原島が東京府の管轄となる(10月8日布告) 閲覧
1891年 明治24年 火山列島を小笠原島庁の所管にいれ、火山列島が正式に日本領となる 閲覧
1898年 明治31年 南鳥島が東京府所属小笠原島司の所管となる 閲覧
1922年
1925年
大正11年
大正14年
海軍水路部の測量船「満州」が沖ノ鳥島(ダグラス礁)を測量 閲覧
1931年 昭和6年 沖ノ鳥島が小笠原支庁の所管となる 閲覧
1944年 昭和19年 小笠原島民が本土へ強制疎開 閲覧

(3)米軍占領、そして返還(戦後)

1946年 昭和21年 GHQ「若干の外郭地域を政治上行政上日本から分離することに関する覚書」 (SCAPIN-677) 閲覧
1946年 昭和21年 一部の島民が帰島を許可される 閲覧
1952年 昭和27年 日本国との平和条約(サンフランシスコ平和条約)が発効 閲覧
1968年 昭和43年 小笠原返還協定により、小笠原諸島が日本に返還される 閲覧
1979年 昭和54年 小笠原村議会議員選挙、村長選挙が行われ、村政が確立する 閲覧