1922(大正11)年、1925(大正14)年

海軍水路部の測量艦「満州」が沖ノ鳥島(ダグラス礁)を測量

  • 2020年05月18日

沖ノ鳥島の最初の発見はスペイン人とされているが、発見時期など詳細は分かっていない。その後、1789年にイギリス船が沖ノ鳥島を発見し、ダグラス礁と呼ばれるようになった(Ref.1, 2)。

日本では、1892(明治25)年発刊の日本水路誌にパレースベラ礁又はトーグラス礁として紹介されており、明治期からダグラス礁の存在が認識されていた(Ref. 3)。1922(大正11)年と1925(大正14)年に海軍水路部の測量艦「満州」が測量し、1927(昭和2)年刊行の海図2101号にダグラス礁の所在を記載した(Ref.1, 4)。

各国の水路誌には、ダグラス礁(パレスベラ礁)の所在に関する記載はあるものの、所属に関する記載はされておらず、領有を主張するものはなかった(Ref.1, 2)。

tit
Ref.1外務省「「ダーグラス」珊瑚礁ノ領土権ニ関スル件」『本邦島嶼領有関係雑件』外務省外交史料館所蔵A-4-1-0-3
Ref.2:加地良太「沖ノ鳥島をめぐる諸問題と西太平洋の海洋保全保障~中国の海洋進出と国連海洋法条約の解釈を踏まえて~」『立法と調査』321号(2011年)pp. 127-144
Ref.3水路部『日本水路誌』第1巻(1892年)p.281
Ref.4:「海図2101号東京海灣至トラック諸島」(1927年)