1. 領有権-法と歴史

インデックス
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(1)日露間の領土画定の経緯、日本国内の措置等

1821年 クリル諸島のロシア領の範囲を定めたアレクサンドル一世の勅令 閲覧
1853年2月27日 ロシア皇帝がロシア領の範囲を示す
(ニコライ一世のプチャーチン提督宛訓令)
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1855年2月7日 択捉島とウルップ島の間の国境を確認(日魯通好条約) 閲覧
1869年9月20日 国後島と択捉島が千島国を構成(北海道の国郡制施行) 閲覧
1875年5月7日 クリル諸島を取得(樺太千島交換条約) 閲覧
1876年1月14日 クリル諸島を千島国に併せ3郡を設置 閲覧
1885年1月6日 色丹島を千島国に編入 閲覧
1905年9月5日 ロシア帝国が樺太南部を日本に割譲(ポーツマス条約) 閲覧
1925年1月20日 ポーツマス条約の効力を確認(日ソ基本条約) 閲覧
1941年4月13日 日ソ中立条約を締結 閲覧
1941年8月14日 米英が領土不拡大の原則を示す(大西洋憲章) 閲覧
1942年1月1日 大西洋憲章に賛意を示した連合国共同宣言にソ連が署名 閲覧
1943年12月1日 領土不拡大を示した「カイロ宣言」が発表される 閲覧
1945年2月11日 ヤルタ協定 閲覧
1945年4月5日 ソ連が日ソ中立条約の破棄を通告 閲覧
1945年7月26日 「ポツダム宣言」が出される 閲覧

(2)第二次世界大戦後の展開――日露間の宣言、交渉、声明等

1946年1月29日 政治上行政上の権力行使を停止する範囲に千島列島、歯舞群島、色丹島が含まれる(SCAPIN-677) 閲覧
1951年9月8日 千島列島、南樺太を放棄(サンフランシスコ平和条約) 閲覧
1956年10月19日 日ソ共同宣言 閲覧
1960年1月27日 ソ連が日本領土からの外国軍隊の撤退を歯舞群島と色丹島返還の前提条件とする(ソ連政府の対日覚書) 閲覧
1960年2月6日 日ソ共同宣言に関するソ連の申し入れに日本政府が反論(日本政府の対ソ覚書) 閲覧
1972年 日本が国際司法裁判所への付託を打診もソ連が拒否 閲覧
1991年4月18日 平和条約が領土問題の解決を含む最終的な戦後処理の文書であるべきことを確認(日ソ共同声明) 閲覧
1993年10月13日 四島の帰属問題を法と正義の原則を基礎として解決することを合意(東京宣言) 閲覧
1998年4月19日 四島の帰属問題の解決を確認(川奈合意) 閲覧
1998年11月13日 国境画定に関する委員会の設置で合意(日本国とロシア連邦の間の創造的パートナーシップ構築に関するモスクワ宣言) 閲覧
2000年9月5日 四島の帰属問題を解決することによって平和条約を策定するための交渉を継続することを確認(平和条約問題に関する日本国総理大臣及びロシア連邦大統領の声明) 閲覧
2001年3月25日 日ソ共同宣言への言及(イルクーツク声明) 閲覧
2003年1月10日 四島の帰属問題の解決を確認(日露行動計画の採択に関する日本国総理大臣およびロシア連邦大統領の共同声明) 閲覧