北方領土 Facts & Figures
2017年06月02日
1.領有権―法と歴史
北方領土に関連する歴史的な事実・資料。国内法、国際法の見地から。 詳細
択捉島、国後島、色丹島および歯舞群島からなる北方領土は、これまで一度も他国の領土となったことがない、日本固有の領土です。第二次世界大戦終了後、ソ連は、北方領土のすべてを占領し、法的根拠なしに一方的に自国領土に編入し、北方領土に居住していた全ての日本人(約1万7千人)を強制的に日本本土に引き揚げさせました。
北方領土Facts & Figuresは、北方領土に関連する歴史的経緯や地理的環境を紹介するために、国際的文書、公文書、調査報告書などの「事実情報」を掲載しています。また掲載している写真は、往時の人々の暮らしぶりを浮かび上がらせています。
日本の基本的立場
- 1855年2月7日、日本とロシアとの間で「日魯通好条約」が調印され択捉島とウルップ島の間に国境が確認された。
- 択捉島、国後島、色丹島及び歯舞群島からなる北方四島は、一度も他国の領土となったことがない、日本固有の領土である。
- 1945年に北方四島がソ連に占領されて以降、今日に至るまでソ連・ロシアによる不法占拠が続いている。
- 政府は、北方四島の帰属の問題を解決してロシアとの間で平和条約を締結するという基本方針に基づき、ロシアとの間で強い意思をもって交渉を行っている。
歴史的事実
- 1855年の「日魯通好条約」で択捉島とウルップ島の間で国境が確認され、樺太島は共有地とされた。
- 1875年の「樺太千島交換条約」で日本はロシアに対して樺太全島に対する権利を譲り渡し、千島列島(シュムシュ島からウルップ島までの18島)に関する権利を譲り受けた。
- ソ連は、第二次世界大戦末期の1945年8月9日、当時有効であった日ソ中立条約を無視して日本に宣戦布告し、ポツダム宣言受諾後の8月18日には千島列島に侵攻し、その後28日~9月5日までの間に北方四島全てを占領し、一方的に自国領土に編入した。
- 日本は、1951年の「対日平和条約」で千島列島に対するすべての権利、権原(※)及び請求権を放棄したが、そもそも北方四島は千島列島には含まれていない。
- 1956年10月19日、日ソ両国は、平和条約の代わりに日ソ共同宣言を締結して戦争状態を終了させ、外交関係を回復させた。しかし、今なお、平和条約は締結されず、北方四島はロシアに不法占拠されたままとなっている。
※権原は、領有権を主張する為の国際法の根拠である。
ロシア(旧ソ連)の主張とその反駁
ロシアの主張①
ロシア(旧ソ連)は、第二次世界大戦終結により、1945年のヤルタ協定にもとづき、北方四島を含む千島列島がソ連に引き渡されたと主張。
↓
日本の反駁①
北方四島は日本が対日平和条約で放棄した千島列島には含まれておらず、また、ヤルタ協定は領土問題に関する連合国の最終決定ではない。ソ連とヤルタ協定を締結した米国は、同協定は領土移転のいかなる法的効果を持つものではないと認めている。
ロシアの主張②
1956年の日ソ共同宣言で、日本は、平和条約締結後、四島の返還ではなく二島(歯舞群島と色丹島)の返還を認めている、と主張。
↓
日本の反駁②
日ソ共同宣言は、平和条約に代わって戦争状態の終結や外交関係の回復を定めたものである。その後ロシアは、北方四島の領土問題の存在を認め、平和条約締結に向けた交渉を行うことに同意している。
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