1898(明治31)年7月

南鳥島が東京府所属小笠原島司の所管となる

  • 2020年05月18日

水谷新六が借用を出願したことをうけ、内務省が南鳥島と名付けて東京府所属小笠原島司の所管とすることを閣議請議した。閣議では、小笠原からの距離が遠く、小笠原群島の一つとは認めがたいものの、他国が占領した形跡はなく、また1896(明治29)年12月以来、水谷新六が移住民を移し、家屋を建築し、鳥魚の捕獲及び開墾に従事していることから国際法上いわゆる占領の事実があると認め、北緯24度14分、東経154度にある島嶼を南鳥島と名付け、東京府所属小笠原島司の所管とすると決定された(Ref.1)。
なお、この島は、従前マーカス島と呼ばれ、1889(明治22)年に米国人が国旗を掲揚したこともあったが、1896(明治29)年に水谷新六が事業を開始し、1898(明治31)年7月14日、上記閣議決定に至ったものである。

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Ref.1「南鳥島ヲ東京府所属小笠原島司ノ所管ト為ス」『公文類聚』第22編・明治31年・第2巻

参考資料
参考1:明治31年7月24日東京府告示第58号「南鳥島名称ノ件」