ミカン船の生還者の報告に基づいて、幕府は無人島を調査するため探検船を派遣した。船頭は島谷市左衛門で、延宝3年4月5日に下田を出帆し、八丈島を経由して4月29日に現在の父島を発見して二見港に碇をおろした(Ref.1, 2)。
5月1日に上陸し、約1か月間にわたって父島や母島など主な島々を探検した。島谷らは、島の大きさなどを調査するとともに、緯度を図ったり、下田や八丈島、三宅島などから距離を測ったりして、無人島の位置を明らかにした。父島には、雄鶏3羽、雌鶏2羽を放した。そして、父島に祠を建て、八幡大菩薩、天照大神、春日明神の三神を歓請し、その側に「大日本之内也」などと記した。また、山ビンロウジ(山檳椰子)や桑の丸太、鳥などを島から持ち帰り、献上した(Ref. 1, 2)。
また、島谷は各島に父島、母島、兄島、弟島、姉島、妹島等の島嶼名、大村、奥村、須崎等の地名を付けた(Ref. 3)。
Ref.1:「島谷市左衛門無人島へ乗渡覚書」『小笠原島紀事巻之二十六』
Ref.2:「嶋谷市左渡嶋之話」『長崎叢書』第4編6巻(1894年)pp.11-16
Ref.3:「全島巡視地図ヲ製リ地名ヲ定ム」『小笠原島紀事巻之二』
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