1670(寛文10)年

阿波国浅川浦勘左衛門持船が母島に漂着(日本人による発見)

  • 2020年05月18日

阿波国浅川浦勘左衛門の持船が、紀州で蜜柑を積んで江戸に向かう途中に遭難し、1670年2月に母島に漂着した。一行は母島に上陸し、約50日かけて島の探検、船の修復、食糧確保等を行った。
そして、島の様子を次のように報告した。

・島の周囲は十里ばかりで、山は伊豆大島の山より少し高い
・この島には湊になるべきところが一か所ある。湊は西南向きで、広さは三町ほどあり、20~30艘の船が停泊できる。深さは干潮で2尋、満潮では4尋ほどで、湊より1里向こうに小島が3つあった。
・人が住む様子はなく、荒らした様子はなかった
・田地に使えるところが一か所ある
・水は沢山ある
・この島には、ムク、ホオノキ、ムクロジなど2抱え3抱えほどの大木があり、シュロもあった。草は見知らぬものばかりであった。手の拳ほどの赤い石も少しあった
・この島に獣らしいものはいない
・この島に鳥はウグイス、岩つぐみ(イソヒヨドリ)、山鳩(キジバト)、カラス、そのほかゴイサギの形で柿色の鳥、鶏の雌の恰好で頭の毛が赤く、惣の毛は黒く、觜、足が赤い鳥、カモメに似て魚を取る鳥もいた
・魚類は、クロダイ、ボラ、また3尺(91cm)ばかりのエビ、タコ、カメなど大小沢山おり、内地のような磯魚も多かった。アワビほどのヨメガカサが岩に取りついていた。2月3月の内は、クジラが沢山見えた。
・この島では、2月頃は内地の5月ほどの暑さで、3月は6月の暑さであった。4月に入ると暑さが増し、石の上ははだしで歩けないほどで、島では、裸になっていた。ハエや蚊が沢山いて、昼は蚊が多く出るが夜は出なかった(Ref.1)。