1862(文久元)年

幕府が「咸臨丸」を小笠原に派遣、探検調査や測量を行う 島民に日本領土であること、先住者を保護することを呼びかけ同意を得る

  • 2020年05月18日

幕府は、外国奉行水野忠徳を団長とする派遣団を形成し、小笠原に派遣した。一行は、島民の名前や年齢、妻子の有無などを調査した(Ref.1)。また、父島、母島両島を測量して地図や真景図を作成した。真景図には、1675年の島谷の探検(記事No. 1-3)によって付けられた島名や地名、山名などが記載され、住居や畑の位置、島民の暮らしの様子も描かれた(Ref.2, 3)。

水野は島民に対し、本島は日本の属島であり、巡視の目的は開拓のためであることを伝え、島からの退去を求めるのではなく日本からの移民と和合し共に暮らしていくことを呼びかけ、小笠原嶋取締規則、小笠原嶋港規則について説明した。島民らはそれらに従うことを了承した。(Ref. 1, 4)。

水野の報告書を受けた幕府は、小笠原の開拓と入植を決め、八丈島で入植者を募集した。入植者は原則として夫婦とする幕府の方針により、男女各15名、計30人の移住が決定し、文久二年8月に大工や鍛冶屋ら8人とともに父島に到着した(Ref. 5)。


酉十二月十九日初見小笠原島図(Ref. 6)
所蔵:国立公文書館


兄島見返山から父島を見た図(Ref. 6)
所蔵:国立公文書館


父島二見港の図
「合衆国石炭置場地所」とあり、ペリーが購入した土地が記されている(Ref. 6)
所蔵:国立公文書館


父島大村の図(Ref. 6)
所蔵:国立公文書館


父島奥村の耕地の図(Ref. 6)
所蔵:国立公文書館


母島列島向島、姉島、妹島、姪島(Ref. 7)
所蔵:国立公文書館


母島沖村港の図(Ref. 7)
所蔵:国立公文書館


母島沖村の人々の様子(Ref.7)
所蔵:国立公文書館