1830(天保元年)

オアフ島から欧米人らが父島に入植

  • 2020年05月18日

1830年、サンドウィッチ諸島(ハワイ)から欧米人5人と現地人の男女が小笠原島へ到着した。アメリカ人のセボリー (Nathaniel Savory) は、入植後サツマイモやサツマイモから蒸留したラム酒を小笠原島にやって来る捕鯨船と取引し、後にペリーが小笠原島を訪問した際、唯一の生存者となった(Ref. 1, 2)。

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Ref.1:Francis L. Hawks (compiled by), Narrative of the expedition of an American squadron to the China seas and Japan, performed in the years 1852, 1853, and 1854, under the command of Commodore M. C. Perry, United States Navy, Washington: A. O. P. Nicholson, 1856, p.200.
Ref.2「彼理日本紀行巻之十無人島の部」『小笠原島紀事』巻31

参考資料
参考1:R・D・エルドリッヂ『硫黄島と小笠原をめぐる日米関係』鹿児島:南方新社, 2008, pp. 33-35
参考2:田中弘之『幕末の小笠原』中央公論社, 1997(中公新書)pp.41-42