講演会議事録「新型インフルエンザ: ワクチン、パンデミック対策を問う」(2009.9.14)(再掲)
̶東北大学押谷仁教授を囲んでの緊急討論会―
講演会議事録及び発表資料
本記事は、2009年9月14日に開催された講演会『「新型インフルエンザ: ワクチン、パンデミック対策を問う」̶東北大学押谷仁教授を囲んでの緊急討論会―』の議事録を再掲載したものです。文中の肩書きやプロフィールなどは掲載当時のものとなっております。また、文中に示されているスライド番号は以下の発表資料(PDF)のページと対応しています。併せてご参照ください。
(東北大学大学院医学系研究科 微生物学分野 押谷仁)(PDF 18.28MB)
1.開会挨拶
笹川平和財団 常務理事 茶野 順子
本日はお忙しい中、多数の方々にご参加いただき誠にありがとうございます。新型インフルエンザに関する報告会としては、ちょうどWHO がフェーズを5に上げた直後の5月20 日にも、WHO の本部から一時帰国されました押谷先生にお願いいたしまして、緊急報告会を開催しました。それからほぼ5か月が経ったわけですが、日本でも8月には新型インフルエンザで何人かの方がお亡くなりになりましたし、また9月には新学期の開始に伴う各地での集団感染、あるいはワクチンに関わる様々な問題等、ほとんど毎日新型インフルエンザに関わる報道を耳にするようになっております。今回は、そうした状況を踏まえて、押谷先生に再度ご登壇をお願いするともに、国立感染症研究所の谷口先生、朝日新聞社の論説委員の辻先生にもおいでいただき、討論会を開催する運びとなりました。
笹川平和財団では昨年度より、非伝統的安全保障の一環として新型インフルエンザに関わる対策について事業を始めました。立ち上げ当時は、鳥インフルエンザの脅威が非常に意識されておりましたので、特に発展途上国の固有な状況において、どのようにパンデミックの被害を低減できるかを主眼にした事業でした。その時から、押谷先生や谷口先生には、研究会の委員として大変お世話になっておりました。
しかし、今年の4月に北米で豚インフルエンザが発生し、感染がグローバルに拡大している事態を受けて、昨年度作りました土台を生かしつつ、現在の脅威に対して何らかの貢献をしたいということで、少しずつ軌道修正を行ってまいりました。
実は財団というのは、2、3年先の将来を見据えての事業や、すでに終了した活動についての評価などが得意でありまして、日々動いている状況に対応する活動はあまり得意ではありません。しかし、このような緊急事態を踏まえ、また押谷先生、谷口先生という非常にすばらしい先生方に研究会にご参加いただいていることも考えまして、私どもも一生懸命走りながら活動を展開させていただいている状況でございます。その試みの一つが5月の緊急報告会であり、また本日の討論会でございます。
本日は、はじめに押谷先生より50 分程度のご講演をいただきました後、谷口先生にもご参加いただき、辻先生にモデレーターをお務めいただきながら、お三方でのディスカッションをしていただきます。また、皆様からもいろいろなご質問がおありだと思いますので、討論会のような形にできればと考えております。本日は長丁場になりますが、どうぞ最後までご参加をよろしくお願い申し上げます。
2.第一部:講演
東北大学大学院医学系研究科微生物学分野教授 押谷 仁
【講師略歴】1987年東北大学医学部卒業。国立仙台病院(現国立病院機構仙台医療センター)にて、小児科・臨床ウイルス学を研修後、1991年から1994年までJICA専門家としてザンビアでウイルス学の指導に従事。1995年医学博士。1995年から1997年までテキサス大学公衆衛生大学院(公衆衛生修士)。1998年新潟大学医学部公衆衛生学助手、1999年同講師。1999年8月より世界保健機関(WHO)西太平洋事務局・感染症地域アドバイザー。2005年9月より現職。
※ 笹川平和財団は、アジア域内での新型インフルエンザ対策の推進を目的に「新型インフルエンザによるパンデミック対策と域内協力」事業(08年~10年)を実施し、押谷教授は2008年10月より当該事業の運営委員長を務めていただきました。プロフィールは掲載当時のものです。
みなさん、こんにちは、押谷です。今、茶野さんから話があったように、私はここで5月20 日に新型インフルエンザの緊急報告会ということで話をさせていただきました。もうその5月の時点で、今後日本でどういうことが起こるのかという話をしました。あの時点で日本でも感染がかなり拡がって、重症者、死者が出るだろうということは、大体分かっていました。実際に8 月以降沖縄などで感染が広がって重症者、死者もでています。今日お話しする内容も5月20 日の講演と、ほとんど同じような話になります。新たなデータが加わって明らかになった部分もありますけれども、基本的な部分は同じです。5月20 日の講演では、それまでの展開と、これから日本でどんなことが起こるかということ、パンデミックというのは世界規模で必ず流行が起こるものであり、日本だけが流行が起きないということは絶対にあり得ないので、確実に感染拡大は起こるということなどをお話しさせていただきました。そういう事態に今日本は直面しつつあると思います。
それに対して、季節性インフルエンザとほとんど変わらない、何も特別なことをする必要はないという見方が今まで日本ではかなり主流を占めてきたわけですけれども、やはり季節性インフルエンザとは違う側面を持っています。昨日のNHK スペシャルをご覧になった方もいらっしゃると思いますけれども、ウイルス性肺炎を中心として非常に重症化する人たちが中にはいます。ほとんどの人は軽症だけれども、やはり一部に重症化する人がどうしても出てきます。
それでは、それに対して日本は何ができるかということについて後半で話をしますけれども、ワクチンの問題とかもあるのですが、一番カギになるのはやはり医療体制の問題だと思います。特に重症化した人たちに、どういう医療体制で望むのかと、ICU や人工呼吸器の問題も含めて、そういった体制をきちっと組むことによって、いかにして救える命を救っていけるのかと、そういうことが問われているのだと思います。
この先、どの時点で日本全国で大規模な感染拡大が起こるか分かりません。でも確実に起こります。
各国のデータを見てもそれほど致死率は高くないということも、それほど多くの人が重症化するわけではないということも分かっています。ただ、一部の人は必ず重症化してきます。そういう人たちにどう対応するのかということを今、まさに考えなければいけないところに来ているのだと思います。
5月には今笹川平和財団で私達がやらせていただいている途上国の話もしましたけれども、今日は主に世界各国の状況と日本の課題ということで話をさせていただきます。
2-1.「パンデミック」の進展のイメージの再確認
これまで考えられていたパンデミックのイメージ(スライド3)
今日はメディアの方もかなり来られていますが、メディアもかなり盛り上がった時期があって、前回私が話をした5月20 日頃というのはメディアや一般の関心も非常に高かったと思います。その後、一気に関心が薄れていき、6月後半ぐらいからは、ほとんど報道もされないという時期が続いてしまったと思います。
これは、皆さんがパンデミックに対して持っていたイメージと実際に起きたこととの間にかなりギャップがあったということが一つの大きな理由ではないかと思います。これまで専門家の中でも、ウイルスが日本に入ってきたら数週間で非常に大きな流行が起きて、何万もの人が死んで、8週間で収まるというふうに考えていた人はかなりいるのですが、そういうイメージが先行していたのだと思うのです。しかし、パンデミックというのは、過去のパンデミックを見ても実際に始まってから大きな流行になって被害が拡大するには、相当の時間がかかっています。
1918 年~1920 年のパンデミック(スライド4)
これは、1918 年のパンデミックのヨーロッパでの状況です。最初の流行が4月、5月に起きますが、その時にはそれほど大きな流行にはならずに、実際に大きな流行が起きたのは、10 月、11 月を過ぎてからでした。そこでいったん収まって、また春に流行が起こるという状況でした。実際、日本でも1918年から20 年まで(大正7年から大正9年にかけて)、2年半にわたってパンデミックの被害が続き、1919年から20 年にかけての2年目の流行でも1 年目と同じぐらいの人が亡くなっています。
このように、そもそもパンデミックとはそんなに一度に起こるものではないのですが、一般の人たちの間では、急激に起きてくるものというイメージがかなり強かったのだと思います。
今回のパンデミックの進展のイメージ(スライド5)
今回のパンデミックでは、日本でも非常に小さな流行がまず神戸・大阪で起きました。これは、日本での第一波だと言われていますが、第一波と言えるような流行では全くありませんでした。確認されている感染者は300 人ちょっとなので非常に小さな流行だったのです。そのあと日本では、感染者が増え続ける状況がずっと続いていました。
大きな流行になったのは沖縄が最初です。沖縄の流行では人口の数パーセントが感染したと考えられますので、これは第一波と言っていい流行だと思います。ただ、沖縄も非常に大きな流行が起きたわけではなく、まだ感受性者(これから感染する可能性のある人達)がたくさん残っていますので、これからまた流行が起こる可能性があります。
今後、この秋から冬にかけてどこかの時点で日本でも大きな流行が起こります。これがどこで起こるかということは、今の段階では正確には分かりません。もしかすると春に再度流行が起こるかもしれません。また来年のインフルエンザのシーズンにもう一回流行が起こるかもしれません。過去の新型インフルエンザで世界で何百万人が死亡したというのは、2年間以上かけて起きたことでした。新型インフルエンザのパンデミックというものはそういうタイムスパンで捉える必要があるのだと思います。
2-2.各国の流行の状況と教訓
現在の世界の状況(スライド6)
今の世界の状況について、これは先週のWHO の集計ですが、もう27 万人以上の感染者が世界中で確認されています。ただ、WHO も繰り返し言っていますけれども、これは氷山の一角に過ぎなくて、恐らくすでに世界中で数千万人の人が感染しているだろうと考えられます。死亡者の数もWHO の集計で3000 人を超えてきています。死亡者が多いのはアメリカと南米です。今たぶん一番多いのは600人を超えてきているブラジルだと思いますけれども、アルゼンチン、アメリカも500 人を超えてきています。また、最近死亡者の数がかなり増えてきているのはアジアです。タイが百四十数人、マレーシアも70 人、インドも100 人を超えてきています。そういうように世界中で感染が拡がり、被害が拡がっているというのが今の状況です。
アメリカの感染拡大の状況(スライド7、8)
これはアメリカのデータなのですが、赤が今年のインフルエンザの患者数です。日本でいう定点に来た患者数なのですが、アメリカは5月に小さな流行(パンデミックとしては小さな流行)が1回起きて、そのあとあちこちに地域的なフォーカスを移しながら、ずっとだらだらと流行を繰り返してきています。ただ、9月に入ってアメリカはかなり大きな立ち上がりを迎えつつあるというところです。
実は、アメリカも日本と同じで、はじめの頃はほとんど死者が出ていませんでした。最初に亡くなったのはアメリカで入院していたメキシコ人の子どもでした。その後も5月の終り頃まではそれほど死者が出ず、ここでアメリカは早期にいろんな対策を止めてしまいました。日本では、ちょうど5月、6月頃、アメリカは冷静に対応しているのに日本は大騒ぎをしているという批判がメディア等でなされていたのですが、アメリカは対策をこの段階で止めてしまった結果、どういうことが起きたかというと、6月の初めから毎週ほぼ平均して40 人以上の人が亡くなり、先々週の集計で、全米で593 人の死者が確認されています。先週からこの集計も止めてしまっていますが、先週もかなりの人が亡くなったと考えられますので、アメリカはすでに600 人以上の人がこれまで亡くなってきています。これはいろんなところで大きな流行が継続的に起きてしまったためです。
イギリスの感染拡大の状況(スライド9)
これはイギリス、イングランドのデータですが、イギリスはまずスコットランドで6月に小さな流行があって、その後イングランドに流行のフォーカスが移っています。この赤い線が今年の流行ですが、7月にロンドンの周辺で非常に大きな流行が見られています。ただ、8月に入って、一気に感染者が減りました。これは、学校が休みになったことも関与しているのだと言われていますけれども、理由ははっきりとは分かっていません。いずれにしても7月の下旬の段階にイングランドで毎週10 万人ぐらいの患者が出ています。イギリス政府は、8月の下旬には大流行に突入するという予測を出していたのですが、8月に入って感染者数は急激に落ちています。
ニュージーランドの感染拡大の状況(スライド10)
これはニュージーランドです。今年のニュージーランドはかなり大きな流行になっています。これも今年の患者数が赤で示されているのですが、昨年、一昨年の流行に比べるとかなり大きな流行が起き、1997 年以来の十数年ぶりの大きな流行だったということが言われています。ただ、ニュージーランドで死者として確認されているのはこれまで17 人だけです。死亡者としては少ないのですが、かなりの患者が出ています。ニュージーランドでは、この時期に医療機関に大変な負荷がかかって、特にICUが新型インフルエンザの患者でいっぱいになったと報告されています。
オーストラリアの感染拡大の状況(スライド11~13)
オーストラリアでは、最初5月の終りからメルボルンを中心にビクトリア州でかなり大きな流行がありました。その後、クイーンズランドとかニューサースウェルズに飛び火してかなり大きな流行が起きています。ただ、オーストラリアの場合は過去数年の流行規模に比べてもそんなに大きな流行にはなっていません。死者としては160 人以上が確認されています。
入院患者の年齢分布(スライド11)なのですが、この黒い線グラフになっているのが過去数年間のインフルエンザでの入院の平均です。これも5月20 日に言ったことなのですが、通常のインフルエンザでは高齢者と小さな子どもが入院の大半を占めるのですが、それと比べると、今回の場合には50 代ぐらいに大きなピークがあること、高齢者だけではなくて若い人達も重症化して入院しているということがわかります。20 代、30 代では女性の方がかなり多くなっているのですが、これは妊婦が重症化して入院しているということを反映しているのだと思われます。また、オーストラリアでも小さな子どもはかなり入院しているということになります。
これは死亡者(スライド12)で、この線グラフは罹患者の数なのですが、患者の数は10 代が圧倒的に多いです。これは他の国でもまったく同じデータで、10 代から20 代前半までが罹患率としては一番高いということが分かっています。ただこの年齢層はほとんど死んでおらず、死亡者が一番多いのはやはり50 代というデータがオーストラリアからは出ています。
これ(スライド13)は、超過死亡という、インフルエンザのシーズンにどのくらい多く死んでいる人がいるかということを表す指標なのですが、この超過死亡で見ると、ここまではオーストラリアでは、この最後の部分が今年ですけれども、今年の超過死亡はそれほど出ていないです。つまり、今回の新型インフルエンザでは、通常の季節性インフルエンザに比べてもそれほど多くの人が死んでいるわけではないということがわかります。
各国の流行からの教訓(スライド14)
各国の流行の状況から見えてくるものとして、今後ウイルスが変わるとか疫学的な特徴が変わるという可能性はまだ残されているのですが、これまでのところ致死率は季節性インフルエンザとそれほど変わらないか、むしろ低い可能性もあるということが分かっています。罹患率としても、季節性インフルエンザよりも非常に高いということはなさそうだと考えられています。ニュージーランドでは過去十数年間で一番大きな流行だったと言われていますが、それでも罹患率は十数パーセントで、これまでパンデミックとして考えられてきた20~30%までには達していないということが分かっています。
ほとんどの人は重症化しないのですが、大きな流行を経験した国々ではどこでもやはり重症者がかなりの数出て、ICU がいっぱいになるとか人工呼吸器が足りないということが報告されています。通常のインフルエンザでは死亡者のほとんどが高齢者と小さな子どもなのですが、60 歳以下の人たちがかなり亡くなっているというのが各国のパターンです。
また、流行パターンについても、イギリスのイングランドもあのままいくだろうと思っていたのが、ぱたっと収まってしまいました。沖縄もあのまま大流行になってしまうかと思ったのが、今下降傾向にあります。そういう意味で流行パターンを予測することは非常に難しいというのが今の状況です。
2-3.これまでの日本の状況の分析
日本の状況(スライド15、16)
これ(スライド15)は皆さんが日本での第一波と呼んでいる神戸、大阪の流行なのですが、ピーク時に1日当たり73 人が発症したという報告になっています。ただ先ほど言いましたように、この流行では三百数十人の感染しか確認されませんでした。この後、この流行が収まって一旦は感染者が減りました(スライド16)けれども、実は6月の初めからずっと感染者は増え続けていました。この間ほとんど報道されることもなくなって、日本では何も起きていないかのような雰囲気でしたが、千人、2千人、3千人と確認される感染者が増えていき、7月の終わりについに5千人を超えたところで、全数調査ができなくなりました。日本は7月の終りまで患者数が増えていったということがわかると思います。
インフルエンザ流行状況(スライド17)
現在、いくつかの県、特に8月に沖縄でかなりの感染者が出て、それ以外のところでも少しずつ感染者が増えているというところです。仙台のある宮城県でも一部で感染者がかなり増えている地域があります。うちの東北大学の医学部も三年生で10 人ぐらい感染者が出て、先週から休校になっています。そういうことがあちこちでいま起きているということになります。
定点あたりのインフルエンザ様疾患報告数(スライド18、19)
赤い線が今年の報告数ですが、1月、2月頃に起こる通常の季節性インフルエンザの流行はここですので、それと比べると今年の初めにあった流行と比べても非常にまだまだ小さな立ち上がりだと言えます。沖縄(スライド19)が8月の最終週から下降傾向になっていますので、それを反映して全国のデータも頭打ちになっています。この後どうなるかはまだはっきりとは分からないですけれども、今見えているものは一気に立ち上がってくるという形ではなさそうな感じです。
季節性インフルエンザの特徴(スライド20)
季節性インフルエンザ、いわゆる普通のインフルエンザの特徴としては、ほとんどの人は軽症で済み、一部に重症化する人がいます。ただ、季節性インフルエンザの場合、重症化するのは大抵高齢者及び小さな子どもです。致死率としては、普通の年は0.1%、多くても0.2%位、亡くなるのもほとんど高齢者ということになります。
今回の新型インフルエンザの特徴(スライド21)
これに対して、H1N1 による今回の新型インフルエンザも大多数は軽症です。いわゆる不顕性感染(全く症状が出ない人)もかなりいるだろうということが分かってきています。ただ一部にどうしても重症化する人たちが出てきています。重症化する人たちの多くは、高齢者ではなくて、65 歳以下の人たちがかなりの部分を占めてきているというのが各国のデータです。重症者が増えるに従って死亡者も各国で増えてきています。死亡原因としては、インフルエンザ・ウイルスが直接引き起こすウイルス性肺炎、それに伴う呼吸不全とか多臓器不全といわれるような状況で多くの人が亡くなっているというのが各国から上がってきているデータから見えてくるものです。
どんな人が重症化しているのか?(スライド22)
どんな人が重症化しているかということですが、各国では高齢者の重症化例は少ないと言われています。高齢者が亡くなっているという例も報告されていますが、高齢者の相対的な割合としては季節性インフルエンザに比べるとはるかに低いと言えます。しかし、日本では、後ほどデータを出しますけれども、今のところ高齢者の死亡が多いという傾向があります。これがこのまま続いていくのかどうかということに関してはよく分かりません。
各国で死亡しているのは主に子どもと20 代から50 代までの主に基礎疾患(糖尿病や高度の肥満、喘息など)を持っている人たちです。ただ、まったく基礎疾患がない若い人達というのも各国で重症化して一部亡くなっています。おそらく、20 代とか30 代の人たちが重症化する確率はかなり低いと思いますが、一部に全く基礎疾患がなくて重症化している人たちもいますので、ゼロとは言えない状況です。
日本における入院患者の状況(9月8日時点)(スライド23)
日本の入院患者の状況は、今までのところ先ほどお見せしたオーストラリアなどとはかなり違います。ただ、日本はまだまだ流行が始まったばかりなので今後同じパターンが続いていくかどうかということは分かりません。日本もほかの国と同じようなパターンに今後移行してくる可能性はありますけれども、これまでのところは、20 代から50 代にそれほど重症化している人はいません。入院患者は相対的に少なく、入院患者の多くは5歳から19 歳の間、特に小学生の年齢層の入院がかなり多いというのが日本のこれまでの特徴です。オーストラリアの場合50 代の方が60 歳以上の人よりもはるかに多かったのですが、日本の場合はこれまで50 代よりも高齢者の方が多いという傾向があります。また、9月8日の時点で31 人の人たちが人工呼吸器を使わなければいけないほど重症化しています。
低病原性(弱毒)のウイルスの意味(スライド24)
日本では、ずっと弱毒のウイルスだと言われていまして、季節性インフルエンザとほとんど何も変わらないというようなことがかなり浸透してしまっています。確かにほとんどの感染者は症状が非常に軽く、全く症状を起こさない人もかなりいるだろうということは分かっています。H5N1 の鳥インフルエンザがパンデミックを起こした場合、致死率が10%を超えるかもしれないというようなことも言われていたのですが、そういうことは今回のウイルスでは絶対に起きないですし、致死率は季節性インフルエンザとほとんど変わらない可能性もあります。ただ一部に重症化する人たちがいます。特に若い人たちが重症化するということから、季節性インフルエンザとは重症化する年齢層が違っているという特徴があります。
死亡者数は、現在アメリカは600 人とか、オーストラリアは160 人ぐらいです。季節性インフルエンザの死亡者数も日本で1万人から2万人の人が毎年死んでいるわけですが、この値は、先ほど出した超過死亡という考え方で後から推定されるものなので、ほとんどの場合数えられるものではないわけです。また、インフルエンザが直接の死因となっている人はもっと少なく、毎年数百人程度です。
インフルエンザの季節にどれだけの人がより多く亡くなっているか、致死率がどのくらいなのかについては、今オーストラリアとかニュージーランドなどで解析をしているところで、まだ最終的なデータは出てきていません。
日本ではなぜ重症化例がこれまでほとんどなかったのか?(スライド25)
日本では、少なくとも7月の終りまでは重症化例がほとんど出ませんでしたが、その理由としていろんなことが言われてきました。一部の特に臨床の先生方は、日本はタミフルを投与しているから重症化しないんだ、今回の新型では日本では重症化する人はほとんど出ないだろうというようなことを、おっしゃっている先生方もいました。抗ウイルス薬の早期投与というのは確かにある程度重症化を阻止している可能性はあります。ただ、今回の新型インフルエンザに関して、抗ウイルス薬(タミフルとかリレンザ)が、どの程度重症化を阻止しているのかというデータは世界中にまだありません。どの程度重症化を阻止できるのかということは今の時点では分かりません。最初の横浜の高校生もタミフルを5日間投与しているのにも関わらず、ウイルスを出し続けているというようなことがありました。ああいうデータを見るとタミフルで完全に重症化が阻止できるとは私は考えていないです。この後日本の死亡例のデータを出しますけれども、日本でもタミフルを早期に投与されているにもかかわらず亡くなっている人がいます。そういう意味で抗ウイルス薬に頼り過ぎるというのはやはり問題があるのだと思います。
日本で7月までまったく重症者が出なかったという一番大きな理由は、アメリカとか他の国と日本の疫学的な状況が違ったのだということだと思います。この説明は後でします。
日本の死亡例の経過(スライド26、27)
これは日本の死亡例の経過ですが、今まで12 例についてどの時点で発熱して、どの時点で抗ウイルス薬の投与が始まったかというのをまとめたものです。これは厚労省が発表しているプレスリリースの中から拾ってきたデータで、全ての情報が厚労省から発表されているわけではありませんし、どの時点が今回の新型インフルエンザの発症なのかということを判断するのが難しい例もあります。この黄色△が発熱した日ですが、発熱した1日目、2日目位だと迅速診断で陰性になっている例がかなりあるということが第一点です。また、この緑△が抗ウイルス薬(タミフルとかリレンザ)の投与が始まった日ですが、発症後2日目(つまり、24 時間以内)にタミフルが投与されている例がかなりあります。この後半の6例(スライド27)を見ると特にそうなのですが、発症した日にタミフルを投与されていると厚労省が発表している例が結構あります。それにもかかわらず亡くなっています。このデータだけで、タミフルの効果を云々いうことはできませんけれども、ここから言えることは、やはり早期にタミフルやリレンザを投与されていても亡くなっている人は確かにいるのだということです。
これでタミフルが効かないということを示すデータではないですが、確かに早期投与してもやはり亡くなっている人はいます。そういう意味でもタミフルに頼り過ぎる対策というのは問題なのだと思います。
日本の疫学的な状況(スライド28~)
私は日本で7月まで重症者がほとんどいなかった最大の理由は、疫学的な状況なのだと考えています。それはどういうことかというと、最初の例というのは渡航歴があって、メキシコとかアメリカに行っていたという人たちでした。6月、7月頃までの段階ではこの人たちが帰国して発症して周りの人たちに感染を拡げていました。大学生であればまわりの大学生に感染が拡がるということが起きていたのです。ただこういうアメリカやカナダ、メキシコには、入院しているような人は行きませんので、行くのは基本的には健康な人です。その後高校とか大学、中学校での流行が主に起きましたが、このような若い健康な人たちの間でいくら流行が起きてもほとんど重症化する人はいませんでした。
大阪、神戸でも重症化する人たちが全く出なかったのはこういうことだと考えられます。高校生がウイルスを家に持って帰っても、今の高校生は兄弟に乳児や小さな子どもがいるということはまずありませんし、高校生のお母さんが妊娠している可能性もまずありません。お父さん、お母さん、兄弟に感染させてもここでもあまり重症化する人がいませんでした(スライド28~31)。
この後だんだん地域に感染が拡がるようになってきました(スライド32)。7月の下旬から8月にかけて、特に沖縄とかで感染拡大が起こるようになってきました。ここで初めて重症化する人が出てきます。何故かというと、地域に住む糖尿病の人とか妊婦とか小さな子どもとか、リスクのある人に感染が拡がり、そこで初めて重症者が出てきたのだと私は理解しています。
さらに入院患者とか、あとは障害者施設とか、さらに透析を受けている人とか、リスクの高い人たちに感染が拡がることによって死亡者も出てきています(スライド33)。これがこれまでの疫学的な状況で、学校とかで流行が起きている間はほとんど重症化する人が出ませんでしたが、コミュニティに拡がって初めて重症化する人たちが出てくる形になっていたのだと私は理解しています。
日本は7月下旬まで、患者をこまめに見つけることや、学校閉鎖や患者の自宅待機など、この段階(スライド34、青○)でなるべく止めようとする努力をかなり積極的にやってきました。アメリカは1週間で諦めてしまったのですが、日本は諦めずにこの努力をしてきたことによってなるべく地域へ感染が拡がることを防ぎました。先ほどのサーベランスのデータを見るとやっぱり7月ぐらいというのは、全然立上っておらず、こういう地域への流行は日本では起きてきませんでした。これは、やはり日本の対策がここまではうまくいってきたということなのだと思います。ただそれが徐々に沖縄などで破たんしつつあり、感染者が地域にも拡がって重症者が出てきつつあるというのが今の日本の状況だと思います。
これまで日本で起きてきたこと、これから起こることのイメージ(スライド35)
ここに虫眼鏡で見ないといけないような小さな赤い点があるのですが、このような小さな流行が5月に大阪、神戸で起きたと理解すべきなのだと思います。7月、8月に入ると各地で小規模な地域での感染が起きるようになってきていました。どんどん感染者が増えてきて、7月の下旬には報告者数が5千人を超えるようになります。ただこれもかなり小さな流行なのです。この後、8月から9月のはじめにかけて沖縄とか各地で地域での流行が起きるようになってきています。これもまだまだ本格的な流行とはいえません。この後どこかで大きな流行が起こります。恐らくこの12 月まではもたないと私は思っています。
新聞報道等でもう10 月の初めには流行のピークが来るというような話もありますけれども、今の状況を見る限りはたぶん10 月の初めに全国規模の流行が起こるということはたぶんないと思います。ただ、11 月なのか12 月なのかは分かりませんけれども、少なくとも冬になる前にどこかの時点でかなり大きな流行が日本でも起こるのだというふうに考えるべきだと思います。
2-4.日本に求められる今後の戦略とその課題とは
我々は何ができるのか、何をしなくてはいけないのか?(スライド36)
それでは、こういう状況を受けて我々に何ができるのか、いま何をしなければいけないのかということなのですが、7月位までうまくいっていたウイルスの拡散を防ぐ、ウイルスを封じ込めるというのはもうほとんど全国各地でできない状況になりつつあります。そうするとその「封じ込め(Containment)」から、「被害をいかに最小限に抑えるのか(Mitigation)」に戦略を転換していかなければいけません。その最大の目的は救える命をどこまで救えるのかということなのだと思います。病原性が低いと言っても、先ほどから繰り返し言っているようにどうしても重症化して亡くなる人が出てきます。そういう人たちをいかに減らせるかということが、このMitigation の目的になってきます。
被害軽減のための基本戦略(スライド37~39)
被害をいかに最小限に抑え、軽減するかという基本戦略を今作らないといけないところにきています。谷口先生が「日本には戦術があって戦略がない」といつもおっしゃいますが、今回の対応や日本の議論を見ていると、ワクチンをどうするか、医療体制をどうするか、学校閉鎖をどうするかという、個々の対策の議論だけが別々になされていて、ワクチンと医療体制と公衆衛生対応、その他のことを統合していかにして被害を抑えるのか、そういう全体を見る視点がまだまだ日本には欠けていると思います。本当はこういう形(スライド37)でいろんなものを組み合わせて、被害を最小限に抑えていかなければいけないのですが、日本の議論を見ていると、例えば、ワクチンといえば、公衆衛生対応とか医療対応とまったく切りはなされた形でワクチンをどうするか、輸入するかしないかという話になってしまっています。今日本で早くても10 月の下旬からしかワクチンの接種が始められない状況ですが、公衆衛生対応とか個人防御とかを徹底することによって、今感染を拡げるスピードをなるべく抑えて、ワクチン接種までは持たせるようにするとか、そういう全体を通しての戦略というのが必要なのだと思います。
ワクチンの有用性と課題(スライド40)
ワクチンについて、この後またディスカッションがありますので、詳しくは説明しませんが、ワクチンは被害軽減のためにも有効な手段の一つです。これは間違いありません。
新型インフルエンザの根本的な問題は多くの人が免疫を持っていないということで、これが新型インフルエンザの被害が拡大する最大の理由です。免疫を獲得できるのは感染するかワクチンを接種するかしかないのです。学校閉鎖をして一時的に流行を抑えても感受性者はずっと残り続けていってしまうので、ワクチンというのは新型インフルエンザ対策、パンデミック対策としても非常に重要な対策の一つです。
先進各国はワクチンを今回のH1N1 対策としても一番重要な対策の柱と位置づけてワクチン対策を今考えています。ただ、量の確保はどうするのか、いつ本当に手に入るのか、副反応の問題はどうなのか、とかいろんな課題を抱えています。
ワクチン接種の目的(スライド41)
ワクチン接種の目的としては3つが挙げられます。1つは社会機能を維持することで、たとえば医療従事者に接種するとか、社会機能維持者に接種するということです。今回のパンデミックでは社会機能が完全に麻痺するというような事態はおそらくないと考えられますので、そうすると社会機能維持の目的としては、WHO の勧告でも、各国の方針を見ても主に医療従事者に接種するということになります。
もうひとつは地域への感染拡大をできるだけ抑えることです。10 代から20 代前半が一番罹患率が高いということは分かっていますので、この層にかなり集中的にワクチンを接種することで、地域への感染拡大がある程度抑えられるという考え方です。アメリカで24 歳以下の人がワクチンの優先順位に入っているというのはこの理由です。
あとはハイリスクグループとして、妊婦とか基礎疾患を持つ人、あとは乳児などにワクチンを接種して重症化を阻止していくという考え方です。
ワクチン接種の問題点(スライド42)
ワクチン接種の問題点としては、日本では絶対量が足りないということが分かっていて、そうすると優先順位をどうするのか、いつどれぐらいの量でワクチンが接種できるのかということが問題となります。日本は10 月の下旬からワクチンを接種し始めると言っています。各国のデータでは、もしかすると1回接種でいいかもしれないという話が出てきていますけれども、少なくとも今の日本の方針は2回接種です。2-3週間空けて2回接種して抗体があがってくるのに2週間かかりますので、計5週間かかってしまいます。10 月の終りに接種しても免疫が十分につくのに1か月以上かかってしまうということです。そういう問題もあります。
また、日本は、先ほど言った地域への感染をなるべく減らすという目的でのワクチン接種は一応しないということになっているのだと思います。それでいいのかという課題も日本では残っています。
あとは、どこで誰が接種するのかという、接種体制の問題です。これは日本ではほとんど考えられてきておらず、まだまだこれからの課題です。アメリカ等ではワクチン接種に関して、ワクチン接種体制を整える為にかなりの予算が州政府に配分されています。日本ではこのまま10 月の下旬から接種を始めるとなると、流行期とワクチン接種の時期が重なる可能性が高いです。そうすると医療機関は患者を診るのに一番忙しい時期になります。この時期にワクチン接種のために医療機関の労力が割かれてしまっていいのかというような問題も考えておかなければいけません。
ワクチンの安全性の問題については、ずっと議論されていますので、ここでは繰り返しません。
医療体制の課題(スライド43)
やはり最大の課題は、いかにして重症者に対応するのかという医療体制の問題だと思います。このまま日本で大きな感染拡大が起こると日本人はかなりの割合の感染者が医療機関に行くだろうということが容易に想像できます。日本では、通常の季節性インフルエンザでも感染者の9割近くが医療機関を受診しているというデータもあります。そうすると非常に多くの人が医療機関を受診して診療所も病院も外来患者の対応でいっぱいいっぱいになってしまいます。
特別な外来診療体制の必要な時期(スライド44~46)
日本では5月頃、発熱外来けしからんという話がいろんなところで議論されたわけですが、本来は特別な外来の診療体制が必要な時期というのは2か所あります。この2つが一緒にされて、発熱外来が全然役に立たないという議論になってしまいました。その2つというのはどこかというと、一つは「国内発生早期」で、早期の段階で封じ込めを想定してやっている時は、患者はなるべく1か所もしくは数か所の医療機関に集中させて、感染が広がらないようにします。これは本当にごく一部の短い時間に必要なのです。だから神戸とか大阪で早期にやったというのはこの発熱外来がある程度の機能を果たしていたのだと思います。これとは別に「まん延期」の外来体制をどうするか、ここも本当は非常に重要な部分で、これからはここが必要なのです。
日本では、一般医療機関で全部診るという体制でいくことになっていますが、これでいいのはこの立ち上がりの(感染が拡大してくる)時期です。それを超えてしまうと、一般の医療機関のキャパシティを超えて患者が出てきます。診療所に一日あたり200 人とか300 人の患者が来る事態になった時にどうするかというのは、立ち上がり時期の話とはまったく別の外来診療体制として議論する必要があるのですが、国内発生早期と、まん延期の本当に患者が増えた時の外来の診療体制をどうするかという議論が一緒になってしまっています。まん延期の医療体制はこれから考えていかなければいけません。
まん延期の医療体制の課題(スライド47~52)
まん延期には新型インフルエンザの患者がかなり出るだろうと考えられますので、この人たちが医療機関を受診します。他にも新型インフルエンザ以外にもいろんな理由で発熱したりした人などいろんな人が外来に行くわけです。
もう一つ心配なのは、日本では沖縄で実際にこういうことがすでに起きているという報告もありますが、感染も発熱もしていない、こういう人たちが外来に行きます。何故行くかというと、心配だからとか、タミフルをもらいたいから、今のうちにもらっておかないと無くなるかもしれないからとか、あとはつい数日前の新聞に出ていましてけれども、病院で検査を受けて陰性だということを証明してもらわないと会社に行けないからとか、そういう理由でいろんな人が医療機関に押し寄せます。これでは医療機関の機能がマヒしてしまいます。さらに問題なのは、感染している人と感染していない人が狭い病院の待合室で待っているというのは、これは理想的な感染拡大の場所を作ってしまうことになります。そういうことを防ぐということを考えても「本当に必要な人が医療機関を受診するシステム」(スライド52)を作らないといけません。その一つとして、ここでもう一回考えるべきなのは発熱外来が本当にこの時点で必要ないかどうかということです。患者のトリアージ(選別)をするある一定の機能を持った特別な外来というのが、この時点でもしかすると必要になるかもしれません。そういう議論も必要なのだと思います。
日本での被害想定(スライド53)
日本でどのくらいの患者が出るかという想定を数週間前に厚労省が出していますが、おそらくこの通りにはいかないです。これはあくまでも想定なので、どういう形で今後流行が進展していくかということは、まったく分かりません。
重症化例の治療の課題(スライド54)
重症化例の治療、ここがやはり一番大きな問題になると思います。昨日のNHK スペシャルを見られた方はわかると思いますけれども、やはり沖縄でも一時期ICU などの医療はかなり厳しい状況に立たされています。あの程度の流行規模であの状況に陥っているので、今後はやはり日本各地で同じようなことが起こる可能性があります。特にICU のベッドや人工呼吸器などは足りないということはもう日本では分かっているわけです。ここ数年、地域の医療崩壊とか医師不足というのが社会問題化してずっと議論されてきていて、重症の患者が救急搬送されても受け入れられないというようなことが日本各地で起きているわけです。そういう状況で患者が増えて重症者が増えた時にどう対応するのか、これはかなり大きな課題になると思います。大きな流行が起きた世界各地の状況を見ても、やはり流行期にはかなりICU が足りないとか、人工呼吸器が足りないというようなことが起きています。そういう中で日本はどう対応していくのか大きな問題になります。
医療体制の課題(スライド55)
日本人はどうしても、特に新型インフルエンザが心配だから、大きな病院で診てもらいたいということで、3次医療機関に患者が集中する可能性があります。3次医療を担う病院は、本来は重症患者を受け入れるところですので、ここに外来の患者が集中すると、重症患者に集中できないというような事態が起こりえます。地域でどうやって役割分担をしていくかということも非常に大きな課題になります。
抗ウイルス薬の問題点(スライド56)
抗ウイルス薬の問題として、「どうやってこれを分配するのか」、「耐性が出ないのか」というような問題があります。さらに「本当に重症例に効くのか」、「重症化阻止にどのくらい効くのか」というデータはまだ出ていないです。そういった中で、やはり抗ウイルス薬は全体の対策の一部として考えなければいけません。公衆衛生対応、個人防御というのはまだまだ重要な部分があります。学校閉鎖などが有効な地域は日本にまだ残されていると思います。
新型インフルエンザの被害を最小限にするための戦略(1)(スライド58)
被害軽減の為の戦略として、一つは「流行のピークを遅らせる」、あとは「流行規模を小さくする」ということなのですが、もうこの時期になると流行規模を小さくしていくということはかなり難しいと思います。流行規模を小さくできなくても、ある程度「ピークをフラットにする」、「ピークの高さを低くする」ということができると医療機関への負荷ということではかなり違います。例えば、仮に100人のICU の管理を必要する患者が出るとしても、その100 人が一週間で出るのと25 人ずつ4週間に分けて出るのとでは、医療機関への負荷は大きく違うわけです。ですので、感染拡大をなるべく減らして、医療機関への負荷などを避ける努力が日本ではまだまだ必要だと思います。
被害軽減に有効だと考えられている公衆衛生上の対策(スライド61、62)
感染拡大の規模、スピードをなるべく抑える対策として考えられているのは「学校閉鎖」です。もうひとつは発症者がなるべく外に出てこない、軽症の人はなるべく家にいてもらうということです。
学校閉鎖に関しては先週の金曜日にWHO のステートメント(スライド62)が出ています。学校閉鎖は今回の新型インフルエンザに関してもある程度有効だというのがWHO の結論です。最近たくさんの論文が出ていますが、これらを見てもある程度学校閉鎖は有効です。ただこれは早期にやらないといけません。
学校閉鎖についての議論(スライド63)
日本では通常の季節性インフルエンザでも学校閉鎖、学級閉鎖をやりますけれども、あのやり方では地域への感染拡大を抑える効果はほとんどないということが分かっています。なぜかというと、日本では欠席者が10%とか20%とかになった時にはじめて学校閉鎖や学級閉鎖をするのですが、これではもう遅過ぎるのです。その前にやらないといけません。ところが、今日本の各地で都道府県や自治体が学校閉鎖の基準を作っているのですが、それを見るとほとんど季節性インフルエンザと同じ基準を使っているので、これでは地域への感染は減らせないです。関西でもいろいろ議論になりましたけれども、学校閉鎖を長期にやると経済的な問題とか社会的な影響が非常に大きいので、そういうことを考慮しながらどこまでやるのかということを、やはり地域ごとに考えていかなければいけないのだと思います。
個人でできるインフルエンザ対策(スライド64~66)
あとはなるべく罹らない、罹ったらうつさないという努力を個人個人がしていくことも、感染拡大を抑えるうえで非常に重要なのだと思います。アメリカやヨーロッパの国々は、テレビのコマーシャルなどを通じて、咳エチケットとか、手洗いなどについて繰り返し呼びかけていますが、日本はまだまだそういう努力が足りないと思います。
罹らないための対策としては、「手洗い」とか「不要不急の外出を避ける」とか、マスクの使用というのもある程度は有効だと思いますけれども、マスクで完全に防げるわけではないので、そういう限界を知ったうえで、使わなければいけません。あとは罹ったときになるべく「他人にうつさない努力」、こういう事もしていかなければいけません。
このように、いろんな対策を組み合わせることによって、なるべく被害を抑えるという努力をこれからしていかなければいけないと思います。
2-5.みんなの努力で社会を守るという発想(スライド67、68)
最後に、やはりみんなの努力で社会を守るのだという発想が必要です。確かに大多数の人には軽症で済んでしまい、普通のインフルエンザと何も変わりません。ただ、そういうふうにみんなが思ってしまって、だから罹ってもいいのだ、ほかの人にうつしてもいいんだと思ってしまうと、そうやってうつした先で、もしかすると家族の誰かが重症化するかも知れません。家族は重症化しなくても、うつっていった先には、必ず重症化する人は出てきます。そういうことを考えて、他人への思いやりを持った対策というのがやっぱり必要になってくるのだと思います。
日本でこれまで重症化した人や死亡した人を見ると、障害者とか、高齢者、そういう社会的な弱者が多く見られています。アメリカのデータを見てもやはりマイノリティの人たちに大きな被害のしわ寄せがいっています。いろんなリスクを持った社会的な弱者を守っていくのだと、そういう視点も必要なのだと思います。
2-6.まとめ(スライド69)
日本は今まさに本格的な流行の第一波が始まろうとしている状況にあります。今回グローバル化した世界での初めてのパンデミックなので、過去のパンデミックとまったく同じパターンとは限りません。これまで見えてきているパターンもかなり違うパターンで来ています。感染者の多くは確かに軽症ですけれども、必ずその中には重症化する人が出てきます。これから日本でも重症化する人がかなりの程度出てくる、かなりの数出てくるというのは避けられない状況になってきているのだと思います。
特に、重症化するリスクの高い人たちをどう守っていくのか、そういう人たちが重症化した時に、どうやって医療体制を守っていくのかというのは日本でも非常に大きな課題になってくるのだと思います。みんなでこのパンデミックにどう立ち向かうのかと、そういう視点で考えていかなければいけないのだと私は考えています。
ご静聴ありがとうございました。
第2 部 パネル・ディスカッション
(茶野常務)それでは討論会の方に移りたいと思います。討論会では、朝日新聞の論説委員でいらっしゃいます辻篤子さんにモデレーターをお願いいたしまして、東北大学の押谷先生と国立感染症研究所・感染症情報センター第一室長の谷口先生、このお二方に討論者としてご登壇お願いしております。それでは辻さんの方から、よろしくお願いいたします。
(辻氏)朝日新聞の辻と申します。どうぞよろしくお願いいたします。
さきほど、押谷先生からこれまでの世界や日本の状況、またこれからまったく予測を許さないということなど非常に広範なお話をいただきました。まず先生方に私の方から二、三ご質問させていただいた後、できるだけ会場の皆様からのご質問を受けながら進めていきたいと思います。
最初に、押谷先生のお話のなかで、これから先の見通しについて、大きな流行はまず10 月には起きないけれども年内はもたないだろうというお話がございました。先日厚労省が発表し、流行予測という形で大きく報じられたものによりますと、早ければ9月末にも、そして10 月初旬にはピークを迎えるのだということでした。実は、あの位置づけが混乱を招いています。資料をよく見ますと、流行の予測ではなくて、シナリオなのだということを書いているのですが、世の中では、9月下旬、あと2週間ぐらいしたら大きな流行がくるのではないかと受け止められているように思います。そのあたりは流行の動向を見ておられる谷口先生はいかがでしょうか?
(谷口氏)少なくとも過去のパンデミックの経過をみますと、押谷先生が先ほどおっしゃった通りなのですが、たとえばアジア風邪の流行もしかり、いったん春に流行があって少し下がってまた秋から冬にかけて流行がありました。また、香港風邪については当時の予研(国立予防衛生研究所)ウイルス部長が「くすぶり流行」ということを記載しておられます。本格的な流行になるまでは、だらだらとくすぶっている状況が続き、その間にウイルスが日本中に散布されて、いろんなところでくすぶりはじめて、時にボヤになって、ちょっと大きな流行になります。ただインフルエンザではある程度季節の影響もあるので、まだ暖かいうちは大きな火事にはなりません。それがだんだん冬に近づくと、そのボヤがいっぱい出て、だんだん風が強くなってきてボヤが大きくなります。しまいに消せなくなって大きな流行となると書かれているのですが、私も一般的にはそういうふうに考えています。今、これまでくすぶっていたのが、秋になって徐々に流行になりつつある状況だろうと思います。
厚生労働省から出た文書(流行シナリオ)というのは、我々が出したのではないかと時々質問をいただくのですけれども、そうではありません。ただ背景となるデータを出してくれというご依頼があったので、過去のパンデミックのデータ、あるいは季節性インフルエンザの流行パターンのデータというのをすべてお示しして、厚生労働省で考えられたものです。
すなわち、あれはあくまで、一旦大きく拡がり出したら、こういうことが起こるかもしれないのでそれを考えて準備をしましょう、という準備のためのシナリオであって、今後どういう流行になるかという予測ではないのですね。あくまで対策のために何を考えておくべきかということが大切だと思います。
(辻氏)9月末だとか10 月初めに来なかったからもう大丈夫などと決して思わず、いずれ感染が拡大すると考えて、準備を始めておくべきということですね。ところで、お話を伺っていますと、6月、7月の時期に、もう少し対策を打っておくべきであったのではないかという感じを受けます。その時期はメディアによる報道も減りました。
(谷口氏)対策という面では、5月から6月の国内で感染拡大が始まった頃、まさに押谷先生が指摘された部分ですが、私は日本国としてはとっても良くやったと思います。非常にプロアクティブに学校閉鎖を打って、皆さん自宅で待機して、外出するときにはマスクをして、一生懸命やられたために、一時期流行を遅延させることができたのだろうと思います。ただこれが今になって拡がってきているのは、インフルエンザ固有の性格によるところも大きいと思います。つまり、軽症者が非常にたくさんいますし、無症状の方もいますので、そういった方をすべて把握することはどうしても不可能なわけです。そうしますと徐々に地域内感染が拡がっていくというのは到底避けられないことです。それによって、今はもう各地域にシーディング(播種)された状況になっていますので、冬に必ず大きな流行が起きます。そういったことを考えて、準備をしていく必要があるということかもしれません。
(押谷氏)いろんな対策を日本でやってきて、6月から7月の学校閉鎖とかがある程度有効でした。
それによって地域への感染拡大をある程度防いできたというのは、事実だと思います。ただ、前半の講演で言いましたけれども、そういう公衆衛生上の対策とか個人防御などは、単に時間稼ぎにすぎません。それによって流行がまったく起きなくなるわけではありません。感染拡大を抑えることは、マグマを抑え込んでいるようなものなので、いつかはそれが爆発しますし、抑え込んでいると爆発した時にかえって大きな流行になる可能性があります。だからそれは単に時間稼ぎなのだということをきちんと理解したうえで、その稼いだ時間できちっと対策をとらなければいけなかったのです。しかし、今、辻さんがおっしゃったように、私も6月、7月に各地に行きましたが、自治体などに行っても結構リラックスして、もう日本は大丈夫だという考え方を持っていた人もかなりいました。ワクチンの問題にしても、もう6月にはワクチンのウイルスがよく増えないということで、ワクチンが足りなくなるということはある程度分かっていました。あの時期に優先順位の議論をしなければいけなかったし、輸入するのであればあの時期に決断すべきだったのだと思うのですけれども、それがいろんな形で先延ばしになってきました。医療体制についても、国からいろんな通知が出たりとか、ICU がどのくらいキャパシティがあるのかとかいう調査が始まったりしたのもここ2、3週間のことです。あれはもっと早くすべきだったし、我々が稼いできた時間を十分に使い切れてこなかったというのが事実なのかなとは思います。
(辻氏)対策面では、まん延期の医療体制がこれから大きな課題だとおっしゃいました。たとえば、発熱外来については、以前はガイドラインで定められていましたが、神戸などでの経験を通じて、柔軟にやりましょうということになったと思います。まん延期に備えて、これから具体的にはどうしていけばいいんでしょうか?
(押谷氏)発熱外来については、本来は全く目的も機能も違う「発生早期の段階の外来体制」と、「まん延期以降の発熱外来」が、混同されて議論されています。神戸でできなかったから発熱外来は全く機能しないものなのだ、ただ普通に一般の医療機関で診ればいいものなのだという議論になってしまいました。けれども、国のガイドラインをよく見ると、発熱外来というのは段階に応じて機能が変わっていくのだということが書いてあるのです。だから、これから日本でも非常に多くの感染者が出る、少なくとも季節性インフルエンザと同程度かそれ以上の感染者が出るという時にどうやって外来で対応していくのかと、その体制はやはり考えなければいけません。それは単に、一般の医療機関に行きなさいというだけでは、持たなくなる可能性があります。日本全国すべての場所で持たなくなるということはないと思いますけれども、一部の場所ではそういうことが起こりえます。特にやはり日本人は医者が大好きなので、皆が医者に行って薬をもらわないと気が済まないというところがあります。
その日本特有の受診行動も考えた上で、どういう対応をするのかということは、今のうちから考えておかなければいけないことなのだと思います。
(辻氏)例えば、あの忘れられたガイドラインをもう一度出してきて、改定するといったところから始めればいいのでしょうか?
(谷口氏)ガイドラインについては、厚生労働省の新型インフルエンザ専門家会議の医療ワーキンググループが中心になって、これまで長く議論をしてきました。それが、神戸、大阪で一時期うまくいかなかったということだけで、すべて捨てられてしまいました。(国立国際医療センターの)川名先生も「まん延期のこともきちっと議論してあそこには記載してあるのに、すべて捨ててしまうことはないのではないか」とおっしゃっていましたが、どんなことが、どんな目的で議論されてきたのかをもう一度きちんと考え直してみる必要があると思います。
発熱外来は、押谷先生がおっしゃったように発生早期とまん延期とでは期待される部分が若干違ってきます。もちろん、トリアージ自体はどこでもやるわけですが、最近の発熱外来に関する議論では、熱がなくて喉が痛いだけの患者さんも人にうつす可能性があるので、発熱だけでトリアージができるのかと、いう話もあるわけです。そうすると、それはすべての医療機関において、喉が痛いなど少しでもインフルエンザ様症状がある人も含めた咳エチケットとかも考えていかねばならないのかもしれません。
また、ニューヨークの保健医療の担当者に聞いたところでは、春の流行の時には、ほとんどの方がエマージェンシー・デパートメント(Emergency Department;大病院の救急部)にいって、いわゆるプライベート・クリニック(診療所)にはほとんど行きませんでした。そのため、エマージェンシー・デパートメントは非常にキャパシティを超えるような状況になったそうです。だから今年の冬はできるだけ分散させることによって一つ一つのところは下げたいといっていました。そうしたことも考えていかなければなりません。
たくさんの患者さんが出る中で、患者を分散させて、そこでのトリアージ、つまり可能な限りそこでの感染を避けるというバランスになってくるのではないかという気がします。
(辻氏)そういう意味では、神戸・大阪よりも、第一波といえる沖縄の例がかなり参考になるのではないかと思います。沖縄での対応から学ぶべき点について、何かございますか?
(押谷氏)おそらく沖縄は中部病院などでも地域医療にかなり力を入れているので、地域の中核病院は重症者に集中する態勢がとれたのだと思います。しかし、場所によっては地域の医療体制がなかなか考えられない、大きな医療機関と開業医との連携があまりうまくいってないようなところもあります。沖縄の対応が全国で本当にできるのか、できない所はどうするかを考えておく必要があるのだと思います。
(辻氏)先ほど押谷先生から、「谷口先生はいつも、日本には戦術はあるけれど戦略がない、とおっしゃっている」という話がありました。谷口先生、いかがですか。
(谷口氏)最終的にはそこに行き着くわけですが、つまり「全体の被害を軽減すること、すなわち重症者の発生を可能な限り抑えることと、重症者を適切に治療することにより死亡者を減少させること」と、「それによって社会機能を犠牲にしないこと」、この二つが大きな目的だろうと思います。医療機関のキャパシティを維持するために、つまり破たんを防ぐためには、医療機関側の受け入れ体制も必要なのですが、それ以前に、いわゆる公衆衛生対策(Community Mitigation)で患者数をできるだけ増やさないようにすることや軽症者によって医療機関の許容力を圧迫しないようにすること、そしてワクチンによって少しでも集団の免疫を上げておくことなどもリンクして考えていく必要があります。
また、一つの医療機関だけではなく、病院間でのネットワークを作っておくこと、それを全体として考えることが必要なのだろうと思います。
先日ある都道府県に行った時に、そこの先生方が入院患者を担当する病院で今のうちにネットワークを作ろうとしておられました。医師会の先生方にも入っていただいて、地域で今どのぐらいの患者がいて、どういう治療をして、どういう状況かというのを共有できるようにしておくというものです。
一度に大量の患者が発生した時にその情報にアクセスすることで、今あそこの病院はこうなので、うちがこれを協力しよう、医師会はこういうふうに協力しようというふうに、迅速かつ柔軟に対応できるようにしたいということでした。先生方は、「なんだかんだ言っても、大量に患者が出たら今の日本の医療機関というのは一生懸命やるんだ、逃げる奴は誰もいないんだ」とおっしゃっていましたが、「そのためにはやはりみんなで情報を共有するシステムを作っておかないといけないね」という話をされていました。このように、今一つ一つの医療体制ではなくて地域全体としてのビジョンが求められていると感じますし、医療機関の人々の献身だけに頼るのではなくて、医療機関を助けるように、地域全体として戦略的に考えて準備をしておくことが必要なのだろうと思います。
(辻氏)押谷先生は、ジグソーパズルの絵を使って基本戦略のイメージを大変分かりやすく説明してくださいました。いろいろな対策を総合的にやらなければいけないということですが、これからやるべきことが相当あって、これはなかなか大変ですね。
(押谷氏)ワクチンにしても抗ウイルス薬にしてもそれぞれいろんな問題がありますが、そういう問題の整理がまだ十分にできていない部分があります。これから本格的な流行を迎えるにあたって、何が足りないのかということを、国レベル、自治体レベルで、もう一回きちっと整理をしておく必要があります。残念ながら被害を軽減するためにこれだけあれば大丈夫というものはありません。そうするとその全部のコンポーネントがきちっと揃ってないとやっぱり乗りきれないのです。
そもそも、日本にとっては有利な条件の揃ったパンデミックです。だから本来日本は乗り切れるはずのパンデミックなのです。日本には抗ウイルス薬の備蓄もたくさんあるし、ICU がないといってもまったくないわけではなくて、途上国とかに比べればはるかにあるわけですよね。日本は高齢化社会ですが、今までの各国のデータをみると高齢者を中心に被害が拡がるのではなさそうだということも分かってきています。私は最初から言っていますが、日本にとっては有利な条件が揃っているパンデミックで、これは日本にとって乗り切れるパンデミックなのです。ただし、これは条件がひとつあって、対応を間違えなければということなのです。きちっとした対応をすればそれほど被害が大きく拡散することはないパンデミックですが、場所によっては対応が十分にできなくて被害が拡がってしまうとか、重症患者が出ても医療機関が受け入れられないとか、そういうことが起こりえます。そうならないために、どうしたらいいのかを今しっかり考えておく必要があるのだと思います。
(辻氏)大切なのは、それぞれの立場、それぞれのレベルでこの基本戦略、総合的な絵をまず頭に入れて、何をやるのか、何が必要なのかということを一つ一つやっていくということですね。このパンデミックを乗り切れるのだという明るいニュースと、一方には医療崩壊もあり大変だよという両面のお話をお聞きしました。
それでは会場の方から具体的なことでご質問がございましたらお受けしたいと思います。
質問1:スプリットタイプとホールタイプのワクチンについて
臨床医としてワクチンを接種する立場からすると、スプリットワクチンが採用されたのは非常に歓迎すべきことだと思っていますが、メディアからは、ホールタイプよりも効果が少ないという反応もありました。先のH5N1 のワクチンはホールタイプでしたが、不整脈のある方などには使えませんし、健常者でも打ったらその晩吐き気が止まらなかったとか、局所反応が非常に強かったということがありました。スプリットタイプの方は効きが悪いと言われているのは、やはりそうなのでしょうか?
(谷口氏)今、パンデミック(H1N1)2009 についてスプリットタイプ(分割粒子)とホールタイプ(全粒子)とを比較検討したデータというのはありません。先週、NEJM(New England Journal ofMedicine)に1回の接種でも十分抗体が上昇するというデータが報告されましたが、あれはスプリットです。H5N1 がホール+アジュバント(免疫増強剤)になった理由というのはご存じの方も多いと思いますが、当初97 年に普通に作ったら人でまったく抗体が上がらなかったんですね。これではいけないということで、工夫を重ねた末、ホールのアジュバンテッドに落ちついたわけです。今回はA/H1N1pdm ですが、ウイルス自体は完全にまだ豚型です。もちろんワクチン株はPR8 とのリアソータント(再集合体)で作っていますけれども、これの効果については、すでに2 つの論文が出て、効果があると報告されています。
1976 年にアメリカでSwine Flu が出ましたが、そのときに同じ製法でワクチンを作って抗体があがっています。そうすると、WHO などでは、同じようなStrain(型)で同じ製法で上がったのだから、今回も上がるだろうという予測があったわけです。しかも、各国ではスプリットワクチンでこれまでワクチンのライセンスをとっていますので、同じ製法をする限りは、極めて面倒なライセンスの手続きをとる必要がないということも当然ありました。そういったことからスプリットで始めているという状況だろうと思います。
また、主反応と副反応というのは表裏一体のものですので、副反応が落ちるということはある程度主反応も落ちるということだろうと思います。ただ、抗体がきちっと上がるものである以上は、ぼくは個人的にはスプリットの方がいいと思います。
今はこれらワクチンの効果や安全性のデータというのが出て来ている状況ですので、これらのデータをみて、議論するものだろうと思っています。
質問2:途上国の状況と対策について
5月20 日の押谷先生の講演の際にもお話があったのですが、アジア、アフリカなど途上国の今のパンデミックの状況とそれに対する対策について、分かる範囲で教えてください。
(押谷氏)今日は時間の関係で途上国の話はできなかったのですが、今我々も笹川平和財団の協力で、フィリピンの地方で、今回の新型インフルエンザに対する対応というのをやっています。
一言でいうと、今途上国でどういうことが起きているのか非常に分かりづらい状況です。一つは、サーベランスのシステムなどが、まだきちんとしていない国が多いので、なかなか実態が掴めないというところだと思います。サーベランスがしっかりしているタイ、マレーシアなどでは、かなり感染が拡がって、タイは死者が160 人位、マレーシアは70 人台になっています。ほかの国は、まだまだウイルスが完全には拡がりきっていないという段階で、これからなのだと思います。
我々は、現在フィリピンのレイテ島と北部のバギオという所で、どういう状況にあるかというのをずっと見ていますが、バギオでは約7人(うち、妊婦が2人)が亡くなっています。タイやフィリピンなどでは、局地的な流行が起きてある程度の人が亡くなるという状況で、いまはそれほど拡がってないです。おそらく現時点では途上国全体で非常に大きく被害が拡がっているということはないのだと思います。アフリカにもウイルスは達していますけれども、大きな流行には至ってないという状況なので、おそらくこれからというところなのだと思います。
対応ということで見ると、先ほど日本に有利な条件が揃っていると言いましたが、途上国には不利な条件がたくさん揃っています。今回の新型インフルエンザでは、妊婦や小さな子どもが重症化しますが、妊婦も小さな子どもも圧倒的に多いのは途上国です。その他のリスクファクターも糖尿病もコントロールされてないとか、いろんな問題がたくさんあります。それに対する対応策として、日本ではICU が足りない、人工呼吸器が足りないという話をしているのですが、途上国の一般の病院はICUも人工呼吸器も全くない状況です。我々がやっているレイテ島でも地域の人口は400 万人くらいいるのですが、そこに人工呼吸器は7台しかありません。ICU と名のつくものはありますが、我々が考えるICU というものは全く存在しません。地域で一番大きな病院でも、Pediatric ICU(小児集中治療室)というのがあるのですが、単に普通の病棟に酸素ボンベが置いてあるだけです。そういうところで本当に重症化した人たちがどうなっていくのか、それは非常に大きな課題です。WHO の事務局長のマーガレット・チャンも繰り返し言っていますが、これからやはり途上国が最大のカギになってくるというのは事実だと思います。
今はまだ流行が大きく拡がってない段階ですけれども、冒頭で言いましたようにパンデミックなのです。パンデミックは世界のすべての国で感染がいつかは拡がります。その時に被害が大きく出てくるのは途上国なのだと私は思っています。その対策というのはやはり考えていかなければいけません。
質問3:家族に感染者が出た場合の企業での措置について
国内の企業では、6月から8月にかけて、家族に感染者が出た場合には自宅待機というのが結構徹底されていましたが、実際にはこれを有給とするか無給とするかとか、企業の人繰りの話とかがあって、今では半分位の企業はそういった措置を解除して、家族に感染者がいても十分気をつけて出社してくださいという形になっているようです。これから秋にかけてますます解除の傾向が強まってくると認識していますが、こういった傾向に対してお考えをお聞かせいただけたらと思います。
(谷口氏)私は、ひょっとしたら押谷先生とは考えが違うかもしれませんが、今回のパンデミックの状況を考えるうえで、いわゆるStrict にすべてやるというのはバランスの上では成り立たないのではないかなと思っています。実際に重症者は出ていますし、これまでの死亡者の年齢層は、50 代、40 代、30 代の働き盛りの人です。これは大きな問題ではありますが、全体のインパクトというのはこれまで世界各国で季節性インフルエンザを大きく上回ってはいないわけです。そうした場合に企業活動、経済全体を低下させてまで、厳しい対策をやるかどうかは、きちっとした議論が必要だろうと思っています。
以前にも、同じようなご質問を受けたことがありますが、その時にお話ししているのは、あくまで企業のBCP 次第だということです。ただし、BCP の中には顧客というファクターが入ってきますので、もしも顧客がハイリスクの方あるいは、感染しやすい方であれば、これは強めのものをとられたほうが結果として企業にとってはよいのではないかと申し上げています。例えば、職場で接触するのがハイリスクの方であれば、接触者も5~7日間家に居て、顧客とは接触しないのがベストです。ただ、そうすると企業全体のキャパシティが落ちるのであれば、その次の策、例えばその間マスクをして勤めて、毎朝検温をしておかしいと思ったらすぐにマスクをして待機をする、あるいは一時的に顧客に接しない場所で勤めるというのも、企業のBCP として考えられるでしょう。治ったあと、いつから出社するかということですが、これもやはりハイリスクの人と接触するのであれば、発症後7日間あるいは解熱後2日間のいずれか長い方をとれば、より安全でしょう。ただし、接触される方々がリスクのない方であれば、例えばCDC は24 時間、日本では2日間と言っていますので、それを採用してもいいでしょう。たくさんの会社や事業所があって、それぞれ機能は違うわけですし、接する顧客も違うわけです。一律に厳しくやるというよりは、あくまでバランスだと思います。
そうお話しすると、大体の方にはご納得いただけます。「うちの企業の顧客はほとんどが高齢者ですので安全策をとります」と言われる方もいますし、それは結局企業としてのサービスなのだと思います。
(押谷氏)基本は、人と人が接触する社会活動は、すべて感染リスクがあると考えるべきです。今日もたくさんの方がみえていますけれども、この中にも感染している人がいるかも知れません。その人は必ずしも症状はないかもしれないけれども、もしかすると他の人に移す感染性はあるかもしれません。
すべての社会活動を全部止めて、誰も家から出てこなければ、確実に感染拡大は止まります。それに近い対策を初期のメキシコシティはやりました。レストランも全部閉めて、サッカーの試合は観客なしというところまでやりました。そこまでやれば止まるだろうということは、大体分かっています。
ただ、そこまでやると経済、社会活動は維持していけません。しかも、いつまでやるかというと、学校閉鎖も実際そうなのですが、学校を再開するとまた感染者が出てしまって、それでは6か月間学校閉鎖するかというとこれはやっぱり現実的に社会的にも難しいわけです。それでは、最低限やるべきことは何かということで、その先のオプションとして、谷口先生がおっしゃったようにリスクのある人たちに対応する時はどこまでやるかを検討する、そういう視点で考える必要があるのだと思います。
企業の話でいうと、まず、症状のある人は絶対に出てこないということは、企業が社会的責任として絶対にやるべきことだと私は思います。まだまだ日本では、風邪ぐらいで会社を休むのはけしからんという風潮や、熱があっても大事な会議があるから出勤するということがありますが、これは通勤途中や会社内で明らかに感染を拡大させるリスクがあります。これは絶対にやめるんだということを、コンセンサスとして形成する必要があると思います。今は新型インフルエンザが流行っている状況なので、いかに大事な会議であっても症状のある人はうちの会社には出て来ないという方針なり、説明なりを皆が受けいれるという状況を作らなければいけません。
それは最小限のことで、今ご質問のあった家族に感染者が出た時どうするかというのはオプションの部分だと思います。これも症状がなくても感染している人はいるかもしれないし、会社に出てきたらそこで発症してしまう人も出てくるわけですね。そうするとやはり一般の家族に感染者がいない場合に比べるとリスクが高くなってきます。それをどうするかという判断は、ケースバイケースでやらざるを得ません。これも感染リスクを全部下げようと思うと、すべての社会活動を止めざるを得なくなってくるので、絶対にやらなければいけない部分とオプションでやらなければいけない部分について、バランスを考えていくということだと思います。学校閉鎖にしても、例えば、共働きとかシングルマザーが多いコミュニティなどもあって、そこで学校閉鎖をすると非常に大きな影響がでるという場合もあります。そうした社会的な影響も考慮して、今後は対策を考えていかざるを得ないのだと私は思っています。
(辻氏)それは、それぞれが置かれた状況によって各現場での判断になるのでしょうか?
(押谷氏)そうですね。たとえば医療機関の人、たとえば透析の病院で働いている看護師の場合には、感染をそこで拡げることになってしまうので、かなり厳重にやらないといけないと思いますし、家族に感染者が出たら休んでもらうというオプションも当然あるんだと思います。ただ、これも厳重にやりすぎると逆に人手が足りないという問題が出てくるので、人手をどう確保するのか、その穴を埋めるためにはどうしたらいいのか、例えばその人は直接患者に接触しないところで別の業務に当たってもらって、ほかの人が患者に接触するとか、そうしたことを考えないといけないのだと思います。場所とか職場ごとにかなり状況が違うと思いますので、それぞれの状況に合わせて考えるしかないのだと思います。
質問4:ワクチンの安全性、途上国への配分、季節性のワクチンやH5N1 との兼ね合いについて
①今回のH1N1 は基本的に弱毒型ですし、今後毒性を増すとしても、強毒型になるわけではないという状況で、安全性・有効性が十分に確認されていないワクチンをどこまで打つ必要性があるのでしょうか。
②基本的には日本は医療体制も整っているわけですので、輸入してまでやるべきではないと考えますが、むしろ安全性、その他が確認されたワクチンも、発展途上国の方に回すべきではないでしょうか。
③今後季節性インフルエンザが10 月末から流行すると思われますが、ブリスベン株が去年入るかと思われたのが、入ってきませんでした。今年はどうでしょうか。
④高病原性のH5N1 がインドネシアやエジプト、中華人民共和国等において、よりヒトヒト感染を起こしやすい状況へと変化してきていることが懸念されます。このH1N1 で、ハイリスクの方たちへの早期の治療は絶対に必要ですが、それ以外の方たちに対して、どこまで備蓄を使っていくべきでしょうか。
(谷口氏)きちんとしたスタディでもって安全性と効果が確認できないワクチンを打とうとは誰も思っていませんし、それを国家が打てとは言えないはずです。軽いからワクチンを打つ必要はないという考えもあるでしょう。ただし、先ほど押谷先生のスライドにもありましたが、この新しいH1N1 に対して免疫を獲得するためには感染するかワクチンを打つかしかないのです。タミフルによる治療では免疫がつくかどうか分からないわけで、多くの人が免疫を持たない限りパンデミックは続くわけです。
新型インフルエンザに感染すると一定のリスクがあります。これは先ほどのスライドにもありましたが、全重症例のうち20%は基礎疾患などの重症化のリスクのない方です。つまり普段から健常な方も重症化しています。そうするとワクチンを打ったときの安全性と効果、これもリスクですね。ぼくは基本的にワクチンというのはどっちが得かを考えてやるものだろうと思っています。誰が見てもワクチンを打った方が得だと思えば打つと思いますし、罹った方が得だと思えば打たないでしょう。そういったことをきちっと分かるように情報が提供されるのが本来の筋だろうと思っています。
ただ、たとえばこのウイルスの抗原性が変らずに、つまりHA の部分が変わらずに例えばPB2 の部分、あるいはほかのノンストラクチャープロテインの部分で変化して、病原性が強くなることがありうるわけです。いわゆる高病原性、低病原性といわれるところは、主にHA の開発部位の部分だけで議論されることが多いですが、PB2 や他の部分にも病原性を規定する部分はあるわけで、そこが変わってしまったら、病原性が強くなる可能性はあるわけです。そうしたことも想定すると、ワクチンがあるということは危機管理の上でも、非常に重要なことだろうと思います。
海外のワクチンを買うかどうかのところの議論でもありましたが、企業側はこちらが発注しないと作らないんですね。あちらも私企業ですので、たくさん作っても買わなければ会社が潰れますので、そんなことはできないですね。だから買うのであれば、いろんなデータが出る前でも一応買うという意思表示をしないと向こうは作らないわけです。しかしながら、いざ病原性が強くなった場合や、あるいはタミフルやオセルタミビル、ザナミビルが全く効かなくなった場合には、もうワクチンしか頼れるものはないわけです。そこでは危機管理的な考え方をして、買っておくということは必要だろうと思います。効果に関するデータは、たぶん契約した後で出てくるので、その時点で非常に悪ければ、買ったけど打たないということも考えなければいけません。ドブに捨てることになりますが、これも危機管理なのですね。その危機管理ができるかどうかという問題もあるだろうと思います。
当然のことながら、途上国の方々に回すべきだろうということはあります。ただ、途上国の方々はこれを買うお金は現在はないと思います。あちらにはそれ以外にまだまだ優先するべきことがいっぱいあるわけで、エイズでもデングでもマラリアでもやるべきことはいっぱいあるわけです。だから向こうにすればひょっとしたら、俺のところはパンデミックどころじゃないんだと思っているかも知れません。ただ、グローバルな視点から途上国のためを考えるのであれば、日本国政府はそれを先進国価格で買って、途上国にきちっと提供すれば、これは途上国のためになります。日本が買わなかったら企業は作らないわけですし、途上国価格でたくさん売っても企業として成り立たなければやりません。そのあたりも考えるべきだろうと思っています。これは個人的な考え方です。
(押谷氏)季節性インフルエンザが今後どうなるかというのは、全く分りません。この冬に今まで流行っていたA型の季節性インフルエンザ、Aソ連、A香港が消えてしまう可能性もあります。過去のパンデミックでは、それまで流行っていたA型は駆逐されて消えています。そうすると今回も消えてしまう可能性もあります。ただ、南半球のデータを見ると少なくともA香港は消えきってないです。
最後まで残っています。香港(地名としての香港)ではまだA香港がかなり残っています。そうすると、これはワクチンをどうするかということでも非常に大きな課題になります。来週か再来週にWHOが今度の南半球の買うワクチンの株の選定会議をするのですが、ここでも来年どうなるのか、今ある季節性インフルエンザ消えるのか消えないのかというのはかなり難しい議論になるだろうと言われています。これは正直いって分かりません。
H5N1 に関しては、今も流行は続いているという理解で、これがまだまだパンデミックを起こす可能性は消えているわけではないです。ただ、H5N1 が危ないと言っている人もいますけれども、今回新型インフルエンザが起きたことでいろんなウイルス学的な解析があちこちでなされています。そうすると本当にH5N1 が鳥インフルエンザのままで、人から人に感染するようになるのだろうかということを疑問視しているウイルス学者も相当増えてきています。日本の喜田先生や、アメリカのピーター・パレーゼというインフルエンザの大御所など、H5N1 は絶対にパンデミックを起こさないと言い続けている著名なウイルス学者もかなりいます。というのは鳥のウイルスはやはり人のウイルスとはかなり違います。今回は豚のウイルスで豚はやはり哺乳類なので人間にかなり近いです。今回、豚インフルエンザ由来のパンデミックが起きたことで、やはりもう一度H5N1 がパンデミックを起こすリスクがどの程度あるのかということを見直す必要はあるんだと思います。H5N1 と今回のH1N1 がリアソートメント(遺伝子再集合)を起こしたらどうなのかという話もありますが、本当にそういうことが起こるのかどうか、いろんなデータを見る必要があります。
要するに我々は過去3回のパンデミックの経験しかなくて、それ以前のパンデミックのことはほとんど分からないので、今回やっと分かってきた部分もかなりあります。それらを全部総合して、H5N1のリスクを含めてもう一回パンデミックのリスクを見直す必要があると個人的には思っています。
質問5:季節性のインフルエンザワクチンは、新型インフルエンザにも効果はあるのか
今回の新型インフルエンザのワクチンは数が足りなくて、接種できない人も多いわけですが、季節性インフルエンザのワクチンを接種しておけば、症状が弱まるというような俗説もあるようです。
(谷口氏)例えば季節性インフルエンザで抗原変異があるけれども、ワクチンが効くというのは、あくまで連続変異といわれる変異の方法だからなのですね。今回のものは季節性のH1N1 とはまるっきり違ういわゆる不連続なもので、だからこそパンデミックといわれるわけです。実際に効果が期待できないというデータもいろいろ出ていますので、今のところ季節性インフルエンザのワクチンの効果はないと考えるのが普通じゃないかと思います。
質問6:新型インフルエンザが社会に与えるインパクトについて
押谷先生の前回の講演の際、今回の新型インフルエンザは通常の季節性インフルエンザと違う年齢層の人たちが死ぬので、社会に与えるインパクトも大きいとおっしゃっていたと思います。今後日本でも感染が拡大していくと、この死者の割合の中で若くて健康な人たちが諸外国並みの比率になっていくのか、それとも日本の場合はある程度、タミフルの早期投与みたいなのが効いているために、今回のような傾向が続いていくのか、その辺の見通しについて聞かせていただけますでしょうか?
(押谷氏)分かりません。今後どうなっていくのか日本での十数人の死者という段階で見えてきているものと、今後見えてくるものというのは違う可能性があります。
一つは、今も人工呼吸器で管理されている人たちが日本で何人かいます。可能性としてひとつあるのは、まだキャパシティの残っている若い人たちは、たとえ亡くなるとしても亡くなるまでに相当時間がかかるということです。アメリカのデータを見ても二週間から三週間入院して亡くなっているという人たちがかなりいます。そうすると、日本でも今治療を受けている人たちが今後亡くなって、その中には若い人たちもいるということは考えられます。
もう一つは、今ずっと見ていくとほかの国でも高齢者の死亡数は増えてきているのです。最初は非常に稀にしか高齢者の重症例、死亡例がないと言われていたのですが、かなり増えてきています。日本はむしろ他の国でこれから見えてくるものが先取りして見えてきているのかもしれません。アメリカとかカナダでは高齢者はナーシングホーム(高齢者施設)にいる場合が非常に多いのですが、カナダのデータを見ても高齢者の流行は今までほとんど起きていません。今後、そういうところで流行がおきると、ほかの国でも高齢者が亡くなってくるということがあるかもしれません。
そういう意味で我々は全体像がまだ掴めてない部分があると言えます。ただ、昨日のNHK スペシャルの冒頭に出ていた沖縄の24 歳の女性のように、まったく何の基礎疾患もない人があれだけひどいウイルス性肺炎になるというのは、普通の季節性インフルエンザではまず見ることのない例です。そういう例が出ているというのはやはり季節性インフルエンザと違う部分があります。
あともうひとつ私が気になっているのは、日本で学齢期(小学校の年齢層)の重症化例がかなり出ているということです。脳症といわれている例も、谷口先生のほうが小児科のご専門なので詳しいかも知れませんが、通常の季節性インフルエンザに見られる脳症よりも高い年齢層の人たちがなっています。それもやはり、季節性インフルエンザと違う傾向ではないかという気はします。
ただ全体像が見えてくるのにまだもう少し時間がかかるのかなと思います。
(谷口氏)議論を混乱させるかもしれませんが、季節性インフルエンザだと亡くなる方はほとんど高齢者ですね。つまり季節性インフルエンザの重症化のリスク因子は高齢者と基礎疾患というわけです。
今のパンデミックインフルエンザは若年者もたくさん重症化しているわけですが、二年経つとこれは季節性になるわけで、そうするとその時には、やはり高齢者がより重症化するわけです。本当は今も高齢者は重症化のリスクがあるのだけれども、まだ裾野が広がっていないので、そこまで到達していないために、比率として今は若年者が多く目立つだけではないかと思います。これが二年三年経つと、若年者が下がってきて高齢者だけが残るから、季節性インフルエンザで重症化するのは高齢者だけになっていくのかなと思っているのですけれども、いかがでしょうか?
(押谷氏)ある程度の高齢者は免疫を持っているというデータが日本からも出ていますけれども、みんなが持っているわけではなくて、3割程度の人しか持っていません。しかも70 年前とか80 年前に獲得した免疫で全く感染も起こさないし重症化もしないのであれば、インフルエンザのワクチンを毎年やる意味は全くなくなるわけですし、今までのインフルエンザの免疫の考え方を全く考え直さなくてはいけないということになりますので、それはたぶんありえません。高齢者はやはり感染もするし重症化もします。
谷口先生がおっしゃったように、今見えていることと今後見えてくることはやっぱり若干違うのではないかと思います。先ほど言ったようにカナダとかアメリカでもナーシングホームなどに感染が拡大すると、日本のように高齢者も亡くなるということが起こりうるとは思います。
質問7:致死率について
致死率について季節性と同程度というお話があったかと思います。流行初期のデータで0.4 とか0.5というのがあったと思うのですが、その違いというのはどう考えればよいでしょうか。
(押谷氏)今までもいろんな議論がなされてきているのですが、そもそも今ある数字で、感染者数が何人、死者が何人、それを単純に割って致死率何%というのは非常に誤解を招くデータだと私は思っています。つまり、日本でもそうだったように、今はもう感染者の全数が掴めている国はほとんどないわけで、分母が分からない状態です。それで死者の数を分母の数で割ると、0.5 だの0.8 だのいろんなデータが出てきますが、ほとんど意味を持たない数だと思って気をつける必要があります。
今後やらなければいけない事は、季節性インフルエンザでわれわれが通常やるように、超過死亡がどのくらいになるのか、全体としてどのくらいのインパクトがあるのか、を見ていくことだと思います。さきほどのオーストラリアのデータもまだPreliminary なものですので、これから超過死亡などを計算して初めて全体のインパクトが分かってくるのだと私は思っています。
質問8:まん延期の医療体制として、本当に治療を必要とする人のみが受診するシステムについて
押谷先生のご講演の中で、まん延期の医療体制として「本当に治療を必要とする人のみが受診するシステム」とありました。具体的にどのように作るかを教えてください。
(押谷氏)いろんな考え方があると思います。まず、電話相談と書いてある部分は、要するに不安を取り除くような情報提供です。神戸の流行の時もいろんな人がいろんな理由で外来に行きましたが、そうすると外来は混乱してきます。そうした混乱を避けるためには、こういう症状だったらそれは違いますよと言うような情報提供の場所が必要なのだと思います。
もう一つは、谷口先生は違う考え方かもしれませんが、治療をどうするかが非常に難しい課題になります。今はアメリカもWHO の勧告でも、ガイドライン上は軽症者でリスクのない人には抗ウイルス薬の治療は必要ないと言っています。一方で、日本は通常の季節性インフルエンザでもかなりの割合の人たちがタミフル、リレンザの投与を受けているという事実があります。今回の新型に関しては必要ないと言い切れるか、どこまで日本で早期治療を徹底するのか、というのは大きな問題になります。アメリカは「若くてリスクのない人達は重症化する可能性が低いのだから治療は必要ない、その人達が重症化したら仕方がない」という考え方で、その辺ものすごくドライに割り切ります。これが日本の社会の中で通用するかどうか。でも、熱が出たら必ず医療機関を受診しなさい、タミフルをもらいに行きなさいというと、今の外来の医療体制を維持していけるのかということになります。そういう議論の中で出てきたのが、医療機関に行かなくても罹りつけのお医者さんからファックスで処方してもらえるという「ファックス処方」という考え方です。昨日のNHK スペシャルをご覧になった方は分かると思いますが、イギリスではインターネットで自己診断してそれで薬がもらえます。そのように何らかの方法で外来への負荷をなるべく減らすということも必要だと思います。
また、本当にみんながタミフルを飲まなければいけないのか、そういう議論も必要なのだと思います。大多数の人はタミフルを飲まなくても治ることは明らかです。ただ一部に重症化する人がいます。リスクのある人は積極的な治療をするということでいいのですが、リスクのない人の中にも重症化する人が一部います。それをどうとらえるか、それはやっぱり社会のコンセンサスの問題なのだと思います。
(谷口氏)押谷先生のおっしゃる通りで、非常にセンシティブな問題だと思います。実際にリスクのない方でも、一定の確率で重症化する可能性があるわけですから、リスクのある方しか治療しないよというのは、たぶん国民的なコンセンサスを得る必要があります。
ただ、これまで、日本ではインフルエンザにかかったらほとんどの方にタミフルを処方してきたわけですが、季節性インフルエンザでもほとんどの人は飲まなくても治るわけだし、全員にタミフルを飲ます必要はないだろうという議論もずっとなされてきました。だいたい開発した会社のお膝元のスイスの人達はほとんど使ってないですし、コストパフォーマンスで考えれば全く低いという話もあります。しかし、今回は全く免疫をもっていないために、一定の率で重症化します。タミフルを処方すれば重症化を防止できるのであれば、これは全員に処方した方が重症者の数が減少して医療機関の負担も減るし、全体の医療費は下がるということも言えます。
今回これまでやってきたことを試されているのかもしれないという気がしています。これまで季節性でやってきたことを一度考え直してみろと言われているのかもしれません。例えば、抗ウイルス薬をみんなに配布するような、あるいは受診しなくても配布できるようなシステムを作ってみんなに出すとします。日本の抗ウイルス薬が全部でどれだけあるのか知りませんが、大きな流行のピークになった時に、無くなるかもしれません。そうすると本当にタミフルを飲まなければ重症になるリスクのある人に飲ませることができないかもしれないのです。ひょっとして日本が失敗するパターン、最悪のシナリオというのは、それかもしれません。そういうことも考えて議論しなければいけないと思います。これには、国としてのポリシーが必要になるのではないかと思います。
質問9:罹患率について
先ほど、南半球の罹患率がだいたい季節性と同じかちょっと高いぐらいというお話があったと思います。感染研のホームページなどでは、確かチリは例年の3倍というような表現があったと記憶していますが、南半球全体で季節性と同程度といえるのかということと、10%というのはこれまでのパンデミックの想定に比べたら相当低いと思うのですが、その理由について教えてください。
(押谷氏)ニュージーランドのデータも、昨年、一昨年に比べれば3倍以上になりますが、チリも確かそうだったと思います。十何年もの中で一番高いものの3倍ということではなくて、直近の数年と比較して3倍という話だったと思います。罹患率というのはそもそも年によってかなり違いがあるものですが、ニュージーランドが言っているのは、1997 年以来一番大きな流行、1997 年と同じくらいの規模の流行だということです。つまり、季節性インフルエンザの罹患率が十数年間で一番高かった時と同程度ということです。ニュージーランドで今データの解析をしている人は、罹患率は高くても十数%じゃないかなというような話をしていました。
なぜ今まで考えてきた20%~30%というところにいかないのかということは、今の段階ではよく分かりません。河岡先生などは、まだこのウイルスは人に完全に適応しきっていないとおっしゃっていますけれど、そういうことが影響しているのかもしれません。そこら辺はなんとも言えないです。イギリスのパターンを見ても沖縄のパターンを見ても、あのまま立ちあがってこないところをみると、やはりその非常に感染性の高い状況ではないのかもしれません。アメリカでもまだデータが完全にできていないのではっきり分かりませんが、一部の地域はかなりの罹患率まで達しているとも言われています。
日本でも今のパターンをみる限りはどういう形になるかはっきり分からないですが、もしかすると局所的にはかなり罹患率の高い場所が出てくる可能性もあります。今後の流行のパターンとしても、10月位に沖縄のようなことが別のところで起こる可能性はまだまだ残されています。ニュージーランドなんかは人口密度が低いですから、そういう所と日本が同じ流行形態になるのかどうか、大きな流行になった時に罹患率が日本でどこまでいくのかということは分かりません。ですので、南半球のデータを見ただけで、北半球はこうなるということは言えないと思います。
質問10:日本における危機管理としての感染症対策について
(辻氏)今週新政権が発足するわけですが、行政の仕組みも大きく変わりそうです。危機管理としての感染症対策も良い方向に変えられるチャンスなのかもしれません。その辺りで何かお考え、ご提言はございますか?
(谷口氏)日本においては、危機管理というのはたぶん構造上も組織上も、ひょっとしたら人間の考え方もそうなのかも知れませんが、なかなかできにくいのかもしれません。パンデミックは必ずまた起こりますし、それ以外のことも起こりますので、今後のことを考えればきちっと危機管理の体制は作っておかねばならないと思います。危機管理というのは基本的にコマンド&コントロールなのですよね。その状況に応じて速やかに判断をしてそれを実行するという形が必要なわけです。日本はたぶんそういった体系になっていないのではないかと思います。
ちょうど僕は6月頃にアメリカのCDC(Center for Disease Control)に行ったのですが、以前はインフルエンザブランチというのは80 人ぐらいしかスタッフがいなかったのですが、今回行ったら200人になっていました。アメリカは1999 年に国家としてパンデミックの準備を始めて以来、ずっと増やしてきたのですね。別にそれがいいというわけではないのですが、ただ少なくとも危機管理の体制として、これまで着実に作ってきたということで、日本も改めて考えていく必要があるのではないかと思います。
(押谷氏)日本にとって感染症の危機管理というのは、非常にやはり外国に比べると遅れている分野だと思います。日本には、幸か不幸かというか、幸の方なのだと思うのですが、感染症の危機といえるようなものが、ここ十数年ありませんでした。堺で起きたO157 ぐらいで、その後は本当に危機といわれるような状況はありませんでした。SARS も日本で流行することはありませんでした。そういう中でやはり感染症に関する危機管理体制が十分に構築されてこなかったという部分はあるんだと思います。
三週間位前に中国に行きましたが、中国のCDC もこの9月に新しいところに移ることになって、これはものすごい施設です。中国はやはりSARS を経験して、ものすごい資金もついています。新しいInstitute of Virology には17 のP3 の施設があって、もう感染研なんかかすんでしまうくらいの施設です。そこにはきちっとした危機管理用のオペレーション・ルームがあって、この壁全面ぐらいのモニターがあって、各省のCDC といつでもビデオ会議ができるシステムを作るなど、ものすごいお金をつぎ込んで感染症の危機管理をやっています。そういう意味では日本にSARS が来なかったということが本当に良かったのかと思わざるを得ないぐらい非常に大きな違いがあります。ほかにも、アジアの国ではシンガポールとか香港とかSARS の大きな影響を受けたところは、感染症の危機管理にものすごい力を入れて、予算も非常につけてきています。そういう違いが残念ながら出てきてしまっています。
今、辻さんの方からお話があった民主党政権になってどうなるのかということですが、こういう危機管理の基本というのは、特に感染症の流行に関しては最終的には分からない中で決断をしなければいけないということになります。このワクチンについても効果もはっきりとは分かりませんし、副反応がどのくらい出るかも分かりません。その最終的な判断をするのはやはり政治家なのだと私は思います。これは政治判断なのです。ただこれは間違える可能性もあります。間違える可能性のある判断をするのは政治家で、その政治判断をするということ自体は正しいのだと私は思っています。ただその過程が問題で、日本はまだまだ専門家の意見がきちんと反映されるような形、健全な議論ができるような形になっていません。本来はもっと感染研が力を持って、いろいろなガイドラインを出すような役割を担って、それらを基に最後の決断は政治家が行なうと、そういう形になっていかないと危機管理は絶対にできないと思います。専門家の意見がきちんと反映されずに政治家だけが決めるような形になってしまってはいけないし、そういう危機管理体制が今後日本でもきちっと作られていかないと、やはりこういう危機は乗り切っていけないのだと私は思っています。
(辻氏)これからの日本にとって大きな課題だと思います。今日は長い時間にわたって押谷先生、谷口先生、広範なお話をどうもありがとうございました。これでパネル・ディスカッションを終わらせていただきます。どうもありがとうございました。
(茶野常務)
それでは、これで本日の討論会は終わりたいと思います。谷口先生、押谷先生、そしてモデレーターをお務めいただきました辻様、本当にどうもありがとうございました。今一度拍手をお願いいたします。
開発途上国はどうなっているのだろうかというようなご質問もございましたけれども、今当財団ではそういうことも含めた事業を、押谷先生、谷口先生を中心に進めております。また改めてご報告する機会を持ちたいと思いますので、よろしくお願いいたします。
本日はどうもありがとうございました。
以上
講演会議事録その2
事業および報告資料
専門家インタビュー
2010年3月23日、東北大学大学院医学系研究科との共催による国際シンポジウム『アジアにおけるパンデミックの教訓と示唆:多角的な視点から』に参加いただいた各国の専門家の当時のインタビューを掲載しています。