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オーシャンニューズレター

第9号(2000.12.20発行)

第9号(2000.12.20 発行)

ミナミマグロをめぐるホットな争い

政策研究大学院大学客員教授◆堀 武昭

かつて日本は、膨大な投資によって、オーストラリアのミナミマグロを一大輸出産業に育て上げた。しかし、高級魚としての価値が確立したとき、オーストラリアは日本のマグロ漁船を領海および排他的経済水域から排除し、自国のみで利益を独占したいとする傾向を強めていく。ミナミマグロをめぐる紛争は、オーストラリアの複雑な政治事情もあって事態はこじれるばかりだったが、国際海洋法裁判所での敗訴を契機に、ようやく正常化に向けて動き出したと言えそうだ。

ミナミマグロが築地の魚市場でキロ5千円以上で売れたがために、オーストラリアは、日本のマグロ漁船を領海そして200海里からも排除する傾向を強めた

1970年代の初め、日本は戦後を完全に脱却し、飛ぶ鳥を落とすような勢いで海外市場を席巻し始めていた。オーストラリアも例外ではなかった。あらゆる資源を日本に安定的に供給できる国として、両国は完全な補完関係にあるともてはやされた時代でもある。自動車や弱電メーカーに代表される製造業はもちろんのこと、石炭、鉄鉱石、天然ガス、ウラニウムの開発においても日本は膨大な資本を投下し始めていた。この時であった。まさかと思われていた労働党が28年ぶりに政権を奪回し、日本は「資源ナショナリズムの復活か」と大いに恐れおののいた印象がいまも強く残っている。

そんななかで、水産資源開発は経済開発ブームの波からも取り残され、旧態依然たる家内労働を中心とした沿岸漁業にとどまっていた。それもアワビ、イセエビといった特殊ものが中心であった。マグロ延縄漁業に代表される大規模な遠洋漁業への進出など夢物語にすぎなかった。もちろん、当時もマグロはまき網により大量に捕獲されていたが、あくまでシーチキン缶詰用であり、近海での操業であった。品質管理や冷凍技術、ロングラインによる近代的漁業がオーストラリアに持ち込まれるとは、当時の関係者は予想すらしていなかった。筆者は講演会や新聞・雑誌などあらゆる機会を通じ、オーストラリアの水産業が代表的な輸出産業になり得る素地をもっていると口すっぱく説いてきたが、まともに信ずる人は皆無に近かった。

しかし、この時代、すでにトロ部分の多いミナミマグロの商品価値に注目し、何とかして組織だった輸出体制を確立しようと、私財をなげうって取り組む日本人関係者が何人か現れた。それも、できれば高級刺身用として日本にナマで輸出できる体制を確立しようという思い切ったものだった。彼らはマグロの解体・冷凍処理、流通経路の確立、漁労技術の移転から操業のための投資や政府資金を使った資金融資など、あらゆる分野で新規開拓を行い、結果として、日本国民の誰しもが認めるミナミマグロの商品価値が確立されることになる。ヒト、モノ、カネを含め日本からの膨大な投資と技術の移転が、ようやくにしてオーストラリアの漁業を一大輸出産業に育て上げたのである。それはまたマグロの最大消費国・日本の念願でもあった。

こうして刺身用高級魚としての価値が確立し、品質のいいミナミマグロが築地の魚市場でキロ5千円以上で飛ぶように売れはじめた。しかし、この売り手市場相場はやがてオーストラリアのマグロ業者の間にある種のおごりの気持ちを生じさせることになる。同時に、業界は「資源ナショナリズム」の意識を高揚させ、政府と一体となって外国漁船、とりわけ日本マグロ漁船を領海から排除し、自国のみで利益を独占したいとする傾向を次第に強くしていく。

爾来、できるだけ日本の既存の権益を維持しようとする日本側と、なんとしても排他的地位を強化しようとするオーストラリア側との攻防が15年以上にわたって繰り広げられてきた。しかし昨年、オーストラリア、ニュージーランドは資源枯渇の危機であるとして国際海洋法裁判所に提訴、国際的な解決を求めた。しかし最終的には管轄外であると門前払いをくらい、三ヶ国は当事者間でこの問題解決に取り組むしか道がないことを再認識させられることになった。ようやく本格的かつ前向きな交渉が始まろうとしている。

■ミナミマグロ漁獲枠の推移 (単位:トン、カッコ内は百分率)
11,750(100)
日本豪州ニュージーランド合計
1986・昭和6119,500(60.9)11,500(35.9)1,000(3.1)32,000(100)
1987・昭和6219,500(60.9)11,500(35.9)1,000(3.1)32,000(100)
1988・昭和638,800(56.8)6,250(40.3)450(2.0)15,500(100)
1989・平成元6,065(51.6)5,265(44.8)420(3.6)11,750(100)
1990・平成2年6,065(51.6)5,265(44.8)420(3.6)11,750(100)
1991・平成3年6,065(51.6)5,265(44.8)420(3.6)
1992・平成4年6,065(51.6)5,265(44.8)420(3.6)11,750(100)
1993・平成5年6,065(51.6)5,265(44.8)420(3.6)11,750(100)
1994・平成6年6,065(51.6)5,265(44.8)420(3.6)11,750(100)
1995・平成7年6,065(51.6)5,265(44.8)420(3.6)11,750(100)
1996・平成8年6,065(51.6)5,265(44.8)420(3.6)11,750(100)
出典:かつお・まぐろ年次動向
89年以降、漁獲枠に関してはほとんど固定したままだが、この数字のうちに三国間交渉の厳しさがひそんでいる。日本側は相手国の強い要求から、マグロ船へのオーストラリア監査官の乗船義務、サメの混獲回避策、大型海鳥がツリ鈎にひっかからないための予防などを導入。いまやコスト高のため採算割れに直面している。

日本にはマグロの交渉に関しては、鯨の二の舞をしたくないという思いこみが強く、「環境保全、資源保護」を強調する、オーストラリアの搦め手作戦には押されがちであった

いまやオーストラリアは、製造業はもちろんのこと、天然資源の分野までほとんどが外資によって支配されてしまっている。それなのに、なぜマグロ業者だけに時代遅れの「資源ナショナリズム」が蔓延ってきたのだろうか。これにはオーストラリア特有の複雑な政治事情をまず考える必要がある。

築地市場における複雑な価格決定プロセスが誇大に伝えられ、オーストラリアの漁業者がマグロの魚価はいつも最高の高値で入札されるはずと、「神話に近い確信」を抱いてしまったことも心理的に大きく影響している。それゆえ、いつも最終の消費者であり、価格決定権をもつ日本には不信を抱いており、残念ながらこの分野に関しては深刻なパーセプション・ギャップが両国に存在するといってよい。

また、オーストラリアの政治家はマグロ問題を「環境保全問題」とリンクさせる方針を堅持してきており、この問題で両国の関係がこじれればこじれるほど、環境保全に神経質なオーストラリア国民をひきつけることができると信じていることが大きい。

この点に関しては政府も同じで、日本との交渉においては彼らががっちりとスクラムを組み、日本側にあらゆる手段をつかって攻勢をかけてくるのが日常茶飯事となっている。オーストラリアの首相あるいは外務大臣が訪日すると、決まってこの問題を話題にあげるところからも、政策の重要性に関して両国の間に大きな温度差があることも否めない。

ミナミマグロの商品開発の段階において、日本の複雑な流通制度、入り組んだ商社間の利権、あるいは政府における省庁間の縄張りなどを彼らなりに理解し咀嚼してきた。しかし、日本側との折衝になると、それを金科玉条として頑なな交渉に終始することも多い。同時にオーストラリア政府はトップ・ダウンの政策決定を行っているため、マグロ資源の主要所管庁である水産庁と交渉を進めるかたわら、往々にして話を詰める以前に通産省、外務省が管轄する問題まで持ち出して、搦め手作戦で日本に譲歩を迫ることも多い。

こうしたオーストラリア側の姿勢に対して、日本は漁業専門官を中心に交渉に当たるため、まったく違った土俵での交渉が続くことになる。また、日本側にはマグロの交渉に関しては、鯨の二の舞をしたくないという思いこみが業界を含めて強く、「環境保全、資源保護」を強調する搦め手作戦にはどうしても後手後手の遅れをとることになる。

かつて筆者は、事態がこれほど悪化するはるか以前だが、漁業者に対して「船舶、漁労技術、資本」のみならず、漁業者そのものがオーストラリアに移住するくらいの心意気をもたないと抜本的解決策は見当たらないと関係者を説得して回ったが、移住したいという人は水産物を扱う商社マンばかりで、生産者はひとりも出てこなかった。

オーストラリアのマグロ漁業専従者は千人にも満たない。しかも大半はクロアチア、スペイン、ギリシャあるいはイタリアやマルタ島からの移民であることを考えれば、ミナミマグロをめぐる争いの根源は所詮、最大限の利益追求に帰結しそうで、容易には妥協点に到らないのが実情だ。

さらにこの交渉にとって厄介なのは、オーストラリアを常に熱烈に支持する応援団国家、ニュージーランドが参加していることだろう。この国の資源保護、環境保護主義はオーストラリアをはるかにしのぎ、鯨、マグロはいうに及ばずイセエビの活け造りと聞いただけで反感を募らせる人が多いからだ。

まったくの余談だが、シドニーオリンピックで柔道の誤審問題が話題になった。審判員がニュージーランド人であると聞いて、さもありなんと思ったのはうがち過ぎだからだろうか...。

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