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オーシャンニューズレター

第91号(2004.05.20発行)

第91号(2004.05.20 発行)

急がれる海技教育のアジアネットワークづくり

東京海洋大学 海洋工学部教授◆小林弘明

海洋環境の保全と船舶運航の安全性を確保するために、海技従事者の技能を正しく育成し、評価する必要性が指摘されている。世界に多くの海技従事者を輩出するアジアの教育の現状とわが国が担うべき役割を指摘する。

はじめに

現在、世界の外航商船隊に乗務する船員の過半数は途上国からの船員であると言われている。わが国が支配する船舶も約8割はアジア地区出身の船員で占められている。当然彼らも出身国の船員教育機関で訓練を受け、各々の資格を持って乗船することとなるが、教育内容と能力判定について問題が発生している。その原因は曖昧な部分を残す国際条約の記述によっている。

世界の海技教育の現状

海技※に関する国際的指針としては「船員の訓練・資格証明及び当直維持の基準に関する国際条約(STCW)」があり、各教育機関はこれに適合することを一つの目標としている。しかし、一方で大きな課題が生じている。すなわちSTCWには船が遭遇する様々な状況で要求される技術が列挙されているが、具体的な状況や具体的技術の詳細ならびに能力評価の記述が総括的であり、このために、各項目に対する訓練方法は各教育機関の判断に委ねられることとなった。例えば、船舶運航の重要技術である船位測定の電子機器利用の項をみると、習得すべき技術は「機器を使用して船位を測定する能力」とし、能力評価は「製造者の指針と航海の実態に従っているか」により判断することを規定している。具体的に訓練に反映するためには、極めてあいまいな表現と言える。結果として、教育機関ごとに異なる内容が実施され、養成された海技者の能力は均一とは言いがたい状態となっている。

この問題はEUにおいても重要視され、ECの資金提供によりMETNET(Maritime Education and Training)なる大規模の検討委員会を立ち上げ、EUの船員教育の質の標準化を図ろうとの活動が開始されている。

アジア地区の海技教育の現状

海技者の能力の妥当な均一化を図るためにはSTCWの基本思想を正しく理解し、その目指す技術を的確に教育訓練に反映し、そして能力評価を実現することが必要である。しかし、アジア地区の教育機関はSTCWの内容から直接実務的訓練場面を決定する傾向にあり、STCWの基本思想である安全運航を達成するために必要な技術を分析し、さらに教育訓練そして能力評価への展開は困難なのが実情である。訓練時間が十分にある場合にはSTCWの記述から想定される全ての状況において訓練を行うことができるが、整備されたカリキュラムをもつ先進海運国の商船教育機関と違って、近年急速に増加している途上国の訓練機関では必要な技術の訓練が実行できない事態が度々生じており、教育現場の当事者も強く問題視している。

今後の海技教育

■写真1 操船シミュレータ概観図

ヨーロッパの諸国は近年、安全運航に関する様々な事項をルール化し、運航体制の標準化を指向している。彼らも自国船員による海上輸送は困難と考える一方で、雇用する廉価な船員の技能が劣る危険性を危惧していること、そのために、適切な能力評価を模索するとともに、船舶運航の標準的手順のルール化を指向している様に思える。しかし、ヨーロッパ内で議論されている海技の観点はむしろ、その海技の伝統にしばられ従来の経験的な技術論から脱却できず、安全運航との関連性については、科学的分析に基づいた合理性のあるものからは遠い感じがする。このような状況の中で、世界の商船隊の乗組員の主流がアジア人であるにもかかわらず、METNETに代表される通りEUの結束は進み、EUとしての発言力は今後より一層巨大になっていくとみられている。

STCWにおいては、教育に有効な手段を用いることが推奨されており、特にシミュレータ利用の教育は重要視されている。しかし、シミュレータ利用の利点は訓練対象技術を精選した環境条件が設定できることにあるにもかかわらず、従来船上で訓練してきたと同様な状況でしばしば行われているのが現状である。これは、従来型の海技教育を踏襲しているためである。写真1はわが国で製造された世界で最高水準と評価されている操船シミュレータである。

今後の日本の方向

■表1 能力評価の要素技術
要素技術項目内容
見張り物標を識別・認識し、将来の行動を予想する技術
船位測定認識・選定した物標を利用して、船位を測定する技術
操縦舵または機関操作等により針路・速力・船位等を制御する技術
機器取扱見張り・船位測定・操縦等に利用する機器を適切に使用する技術
情報交換船内または船外との情報交換を行い運行に必要な情報を取得する技術
法規遵守海上衝突予防法の法令に従って行動する技術
計画航行に必要な情報を収集し、航海計画・操船計画を立案する技術
非常事態舵故障等における自船の異常、海難救助等に適切に対処する技術
管理チームとしての能力を高める乗組員管理技術

世界のそしてわが国の海上輸送の安全性を高めるためには、アジア地区の海技技術者の質を高めることが重要である。

一方、アジア諸国は日本からの技術的支援を、特に教育訓練の向上に関する支援を切望している。わが国の海技教育はかねてから国際的にも高い評価を受けてきており、かつ、近年ではわが国が提案する教育法ならびに能力評価法が、ヨーロッパにおいても高く評価されるに至っている。提案されている教育ならびに能力評価の特徴は、教育対象の技術を表1に示される9項の内容に明確化している点にある。これにより効率的な教育カリキュラムの策定と、能力評価の対象技術が明確化され、合理的な教育システムが構築されることとなった。

アジア諸国は個別の行動をとるには力も弱く、日本が主導的立場をとることを期待している。現時点において、早急に対応することが必要と思われる。日本はオーガナイザーとして、現在個別に活動しているアジア各国に対して教育訓練のネットワーク作りを呼びかける必要があろう。アジア地区に対する技術協力を通してわが国とアジア各国との連携が深まり、EUに匹敵する国際的発言権を樹立することが可能となるのではないだろうか。これにより、運航体制の標準化をヨーロッパ諸国の主導とせず、アジア諸国に至当なものとすることもできよう。(了)

※ 海技=「海事関連技術」すなわち狭義には海上輸送を達成するための船舶(機器)とその運航技術をいう。

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