Ocean Newsletter

オーシャンニューズレター

第89号(2004.04.20発行)

第89号(2004.04.20 発行)

ニュー・ミレニアムでの"水惑星"イメージ

(財)日本科学協会理事長◆濱田隆士

"水惑星"は、人工衛星から地球を見た時70%以上を占める海洋の広さ故に、という単純な認識であってはなるまい。水は、固体地球内であろうが流体地球はもちろん、生き物まで含めてそれこそ所構わず存在する。"水惑星"はヒトを含む地球生命そのものであり、ニュー・ミレニアムにおけるこの惑星(ほし)の利用については旧来の方法に頼る"近視眼的"行動を慎むべきであろう。

水惑星の本質

地球には、しばしば「唯一の・・・」という冠が付される。それは、ムード的と捉えるよりむしろ環境問題として見ることが多いからであろう。たしかに"only the Earth"の主張なのである。つまり、ブルー・プラネットであり、生命(いのち)ある惑星(ほし)でもあり、アクア・プラネットすなわちウォーター・プラネットでもあるのである。そして、最後の呼び名こそが"水惑星"であることは人口に膾炙している。"水惑星"は、人工衛星から地球を見た時70%以上を占める海洋の広さ故に、という単純な認識であってはなるまい。地球には、海はもちろん、河川・湖沼・湿地あるいはそれらの量をはるかに上廻る地下水、そしてさらに天水(雨・雹・霧等)は水蒸気や結晶となり雲を形づくる。つまり、ビジュアル的存在となるのである。ところが実のところ、地球の"実態"といえるのはそれに限られるわけではない。目につかない地球の芯まで、水浸しなのである。マグマの固化した火成岩類はもとより、地殻を構成する地層や岩石にも、程度の差はあれ重量%としてもかなりの量が存在することが知られているし、マントルもコアにも同じ状態が予測されるとさえ判ってきた。

これらの水(H20,OH等)は、固体地球内であろうが流体地球はもちろん、生き物まで含めてそれこそ所構わず存在し、まるで水漬けと呼んで差支えない。生物は平均して60~70%もの水を含み、ヒトも絞れば水がたっぷり出てくるという仕掛けになっている。水は天下の回りもの、とはよく言ったもの。ヒトに限らず、すべての生き物も水なしには生きていけない。あのエアプランツにしてもそうだから驚く人も多かろう。ほとんど水だけの組成をもつ水母(くらげ)でも、浅所から深海まで、あらゆるところにはびこっているのである。まさに"水惑星"そのものなのである。それ故に、水は地球にとっての血液にも例えられる存在であり、水を介して地球内の浄化が進み、養分が補給され、あるいは不要物が排出される。つまり、立派な循環システムが成り立っていて、ダイナミズムを生み出す元になっているのである。

海浜構築物の功罪

写真1:日本海海岸の人工景観(写真:著者 2001/8/13撮影)
写真2:東京湾湾奥部(東京東雲)水門周辺の護岸堤(左手が外海側)(写真:著者 2003/8/29撮影)

日本列島に生活するヒトにとって、一番身近な海岸を例にとってみよう。かつては、「海は広くて大きいな」的認識が横行し、"ゴミ捨て場化"してきたことが指摘された。ところが時間経過が大きくなればなる程、海岸侵食も進み、人口爆発の結果として排出・廃棄物も増加の一途をたどるようになってしまった。

写真1は、日本海側の海岸砂丘帯を空から見たものである。この景観には、今や自然的海岸線は消え失せてしまっている。離岸堤は一見整然として美しい。が、それが果たす沿岸流への影響は強烈で、それらに美事に対応した波打際の鋸歯状模様が形成されてしまった。加えて内陸サイドには防風林(見方によっては防砂林)があり、明確に工業地区を"護って"いるのが印象深い。一方、わが国では百年の計と信じられてきた治山・治水策も、今となってはそれほどではなくなってきた。とくに、河口周辺では旧来のセクショナリズム的発想を推し進めた結果、防潮堤や台風・高潮時の安全に一定の基準を欠き、外海側からそれを見たときその構造(主として高さや地区)の差が歴然としている。最近の法改正で統一を目指しているものの、すでに施工された海浜構造物には応急対策も立たぬままであり、地球温暖化を目前に恐しい思いにかられる。

このような事情は、写真2に示された東京湾湾奥部での水門対策については、もっと"形式的"になっていく。小型船しか出入りできない水門で、緩傾斜多段護岸(親水公園化?)を構築するなど、成り振り構わずの感すらある。グローバル事象として、地球温暖化とそれに相応する各地での氷河の後退・氷床域の縮小などは、明確な"前兆"的事実であって、現在までウォーター・フロント策を講じてきた一帯をこれからどうしたらよいのか、実に頭の痛い問題を産み出している。

水惑星の近過去と近未来

関東地方には、崖地形が顕著な高台を縁どるように、縄文時代の各種遺跡が分布している。かつての海岸の生活に馴染んだ姿である。それを辿ってみると、この時期が温暖であり、海は今と比べものにならないほど平野の奥にまで広がっていたことが示唆される。

この地球温暖化期を、地球環境科学では、後氷期の"最適温暖期"(climatic optimum)と呼んでいる。現状でいう"地球温暖化"とは大きく異なり、文明化の進行に基づいていてごく自然な姿(ヒト以前~原始文明時代を除いて)としての環境変化であったことを見逃せない。

たかが1万年程度の近過去に記された、関東一円での縄文海進期は大変に教訓的である。この頃の日本列島では多くの場所で、海水温が3~4℃上がり、その環境下で生まれた温暖~亜熱帯要素としての造礁性サンゴ群落とか、今はもはや"絶滅"(正確には"分布の後退")を示すいくつもの貝類種を含む自然貝層が発達した。当時の海域は、遺跡・遺構の分布からみると、北関東の高崎付近にまで及んでいるのである。今、もしこれに類することが、現代文明化に伴う地球温暖化という、比類ないテンポで上昇を続ける大気中のCO2増加によって進むとすれば、その結果として生じる海水面の上昇については非常に厳しく受け止めなければなるまい。もし、という仮定を置くにしても、間もなく0メートル地帯はおろか、下町に林立する高層ビル群の地下~下層部分は立派な漁礁となり、おまけに上層階でのレストラン等からはホエールウォッチングができる、という「無謀な空想」が現実化するかもしれない。

しかし、課題はもっともっと重い。都市部を中心に網の目のように張り巡らされた地下交通路(地下鉄・駅ビル中心の商店街等)は、仕切り(水門は鉄のドアではダメ)もないまま、やはり広大な漁礁となることだろう。交通は船やヘリコプターに頼ることになる、といった事態が"急速に"目前に迫ってきていることも念頭に入れておく必要がある。

ニュー・ミレニアムでの水惑星の利用術には様々な観点があるだろうが、今や、本当に「長い眼、広い眼、クールな眼」を深く再考し、旧来の方法に頼る"近視眼的"行動を慎むべきであろう。超領域に亘る俯瞰的な姿勢を大切にし、ユニバーサルの立場を目標としつつ、ヒトを含む地球生命のため、そして地球自体を改めて"水惑星"として想う事態へと、踏み出してほしいと願うことしきりである。(了)

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