Ocean Newsletter

オーシャンニューズレター

第89号(2004.04.20発行)

第89号(2004.04.20 発行)

バイオ・ロギングによる海洋研究の新たな展開
~動物が解き明かす海洋の謎~

国立極地研究所◆内藤靖彦

海洋の研究は、海洋の深くを見たり、現象を捉えたりするためのツールの研究開発とともに進化してきた。調査・探査船や各種の観測装置によってダイナミックな海洋観測が可能となり、新たに開発されたバイオ・ロギング技術によって、海で暮らす動物の追跡や移動中に起こる様々な環境の変化を追うことも可能になった。

無知からスタートした海洋研究

海洋は生物の揺籃の場であり、生物の宝庫である。海洋は地球の2/3の面積を占め、大部分は数千メートルの深さを持つ。巨大な水塊の海洋は、地球の環境や人類の生活に大きな影響を与えてきたし、人類もまた古くから交通や漁業に海洋を利用してきた。海流や気象、生物についてわれわれ人類が生活の中で長年蓄積してきた知識は豊富である。近年は科学研究により、さらに多くのことを知っている。それでは、われわれは海洋のあまねく分野について多くを知っているかというと否である。海洋は3次元の巨大空間で、海洋の多くの現象はこの空間において時々刻々変化してダイナミック変動している。空間中の変化や変動をどう捉えるかについては大きな課題が残されている。

海洋の研究においては、海洋をいかに見通しの効く世界にするかが大きな課題である。水塊の中はほとんど見通すことができないが、宇宙の星は「星屑のように」といえるほど良く見通せる。宇宙と海洋のこの違いは人の考え方にも大きな影響を与えている。星空は万人が仰ぎ見ることができ、宇宙には多くの夢とロマンが描き出されているが、深い海の中から夢やロマンは語られず、生き物はデビルとかモンスターとして描き出される。夢とロマンは未知への探究をもたらすが、海洋の深く暗黒の水塊世界には、夢とロマンから生まれる未知への探究は少ない。このように考えると、海洋の研究は未知からのスタートではなく、無知からのスタートであったと言えるかも知れない。もちろん海洋の研究においても、未知への探究は着実になされていた。深海から時折もたらされる生物の断片的な資料などが未知への導入路であった。

海洋を見通す技術

海洋の研究は、宇宙の研究において望遠鏡に始まるツールの開発研究と同様、ツールの開発が大きな比重を占めている。特に海洋探究の初期段階においては、採集ツールは研究の貴重な手段であった。しかし、海洋の深くを見たり、ダイナミックな現象を捉えたりする段階においては、新たなツールが求められた。近年の海洋探究においては超音波による種々のツールが大きな役割を果たした。同時に人は海洋を直接見通すために自ら海に潜入することを夢見た。近代的ツールとしてスキューバ潜水具であり、さらに有人、無人潜水艇である。これらにより海洋の世界は大きな進歩を果たした。もちろん、これらの他にも各種海洋調査・探査船による革新的観測装置、さらには各種無人ブイも含め海洋の探査・研究はいよいよ本格的なダイナミック観測の時代に入り、さらには地球の環境監視としてモニタリング観測の時代に入った。

バイオ・ロギング技術

ミナミゾウアザラシの最大潜水深度は最新の記録では2,000m

しかし、海洋の水塊の隅々を見通すには不十分である。特に、生物に関してそれが移動する場合─厄介なことに大抵の海洋の生物は移動するのであるが─それを追跡するのは困難である。追跡するだけでなく、移動中に起こる様々な環境の変化や事柄を追うことはほとんど不可能であった。このため、あらたなツールをわれわれは必要としていた。この目的のために工夫されたのがバイオ・ロギング技術である。バイオ・ロギングは小型の記録装置を動物体に装着し、動物の行動や環境を計測した後、装置を回収あるいは電送してデータを得る方法である。この方法は当初はアザラシやペンギン、ウミガメの潜水行動を研究する目的で開発され、連続潜水記録計(TDR:Time Depth Recorder)と呼ばれていた。この方法は記録計を回収する必要があるため、繁殖場に必ず帰巣するペンギンやアザラシで発達した。このTDRの研究はアザラシやペンギンが予想を遥かに超えて深く、深く潜水しているという動物の不思議な行動を次々と発見した。例えばミナミゾウアザラシは2,000m、2時間、コウテイペンギンは530m、20分間、ウェッデルアザラシ740m、80分間、アデリーペンギン175m、5分間、そして爬虫類で外温性のオサガメでさえ1,000m以上、1時間も潜水したのである。当然「何故そんなにも深く潜る必要があるのか」、「どうして肺で呼吸するこれらの動物が息詰めだけでこんなに深く長く潜れるのか」と、いろいろな疑問が沢山湧いてくる。

データロガーを装着したキングペンギン
水深315m、カメラが捉えたウェッデルアザラシが餌を取った瞬間

1990年代にはデジタル化が進み、大容量化と小型化、マルチチャンネル化が進んだ。小型化は動物への装着による負荷と行動への影響の軽減をはかるため、この研究の技術的最重要課題である。加速度や地磁気センサーを利用し、動物の微細な動きと姿勢、3次元の位置検出、水中での餌取りやその過程での移動や運動の状況を知ることが可能となり、いろいろなことが明らかになった。これらの動物は餌をとるために、植物プランクトンの多い、したがって餌も多いと思われていた海の表層を超えて、わざわざ深く冷たく暗い中深層に潜水するのであり、そのため潜水の仕方も独特である。あるアザラシの場合は運動せずに落ちるように潜水し、ペンギンでは羽ばたきせずに浮力を利用し加速して浮上するなど、動物たちはいろいろ工夫して運動エネルギーの節約をはかっていることも明らかになった。海の生産に頼るこれら高次の捕食者は非常に沢山いるが、不思議なことに高次捕食者の3-4割がこのような海の深い層を餌場にしていることである。何を食べているのか、その餌はどのように分布しているのか次の疑問が湧いてくる。

次のツールは画像ロガーである。画像は正に水中の動物や環境を移動する動物の眼を通して「見通した」のであり、暗黒の水中の姿をわれわれは初めて眼にすることとなった。これらのツールにより南極の氷の海に棲むアザラシの潜水とその餌環境が初めて明らかになった。このアザラシは静かに海底付近まで直線的に潜水し、海底付近をゆっくり泳ぎコオリイワシなどの小さな魚を一つ一つついばむようにとっていたのである。深く暗い海では大物を狙ってハンティングすることはない。このためアザラシは何回も潜水し、潜水の度に餌場を少しずつ移動させているのである。

無知から未知へ、さらに新たな海洋へ

バイオ・ロギング技術はデジタル技術の大きな恩恵を受け新たな発展の時を迎えている。鉛直的に深く、水平的に大回遊する動物は移動体としての海洋の観測プラットフォームであり、同時に動物自身がある種の海洋のセンサーでもある。動物は海洋の微細な変化や環境の情報を得つつ生存のための選択を行っている。従来の海洋探査ツールとは異なる側面を有するこの探査手法は、新たな海洋の姿をわれわれに見せてくれることになると思われ、今後が多いに期待される。われわれは動物が与えてくれる情報を手がかりに無知から未知の海洋に、さらに新たな海洋の姿を探り出しつつ、同時にわれわれと動物が共に生きていく海洋の環境を守るための路も造り上げていく必要がある。(了)

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