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オーシャンニューズレター

第87号(2004.03.20発行)

第87号(2004.03.20 発行)

<日本の島から>西表島の海洋研究所
~日本最南端は日本の入り口~

東海大学海洋研究所所長◆上野信平

日本で最南端の海洋研究所が西表島にある。研究所に入るには道路もなく船しかない辺鄙な所であるが、すばらしい自然がある。また南太平洋と東南アジアの窓口であり、その役割と存在意義は大きい。

日本最南端にある海洋研究所

海洋研究の拠点は日本各地にある。それらの多くは辺鄙で不便な所にある。辺鄙な所は人為的な影響も少なく、それだけ自然が残されている場所が多い。自然を相手に研究するにはそのような所が適している。このように考えれば日本最南端の研究所である東海大学の研究所はまさにそれらの条件を満たしている。

この研究所(正確には沖縄地域研究センター)のある西表島は沖縄県のなかでも離島であり、自然の豊かな島である。その西表島のなかでも研究所のある網取という所は道路もなく船で行くしかない不便で、とてつもなく辺鄙なところである。当然のことながら電気や水道も下水もない。すべて自前で揃えてやっている。自家発電、自家上下水道なのである。船を着ける桟橋ですら自前である。今でこそ少しは改善されたが食糧や燃料の調達や確保もなかなか大変である。海況の急変に備え、大型の冷蔵室や冷凍室も必要となる。

なぜそんな大変な所に研究所を建て研究しているのか。それは、すばらしい自然があるからである。そもそも網取湾には研究所のスタッフ以外に住んでいる人がいないので、人間活動の影響は極めて小さく、見たままが自然なのである。現代ではこれは大切なことで、大きな財産である。近くを暖流の黒潮が流れていることから、海中気候は熱帯であり、サンゴ礁が発達し、サンゴをはじめ熱帯性の生物の豊富さは世界でも屈指の海である。

研究所が日本の端・西表島にあることの意味

この研究センターは1976年に開設された。沖縄の本土復帰の4年後である。開設当初より地理的条件を活かして海洋生物の分類学研究や生態学研究、また海洋に関連した物理学、化学、土木工学などの分野を研究対象としてきた。その成果は、東南アジアや南太平洋での様々な問題の解決にも応用可能であり、結果として北と南の問題の解決にも大きな貢献が期待される。

このような貢献に対する期待は海洋に限定されるものではない。研究所での研究分野はその他にはマングローブや水稲、芝や野生のランなどの農学関係にも拡大し、近年では地球環境の問題から紫外線や地震、地磁気、人工衛星を使った環境観測、また考古学や文化人類学までもが加わり、それぞれが精力的に研究を進めている。

それにしても辺鄙な日本最南端にどのような意味があるのだろうか。本当にその必要性はあるのだろうか。不便な所だけに経費もかかり疑問も出てくる。

その理由は南太平洋と東南アジア、そして日本が一覧できる地図を見れば日本最南端の意味が理解できる。当然のことではあるが日本最南端は日本の端である。しかし南太平洋や東南アジアからみれば日本の入り口に当たるのである。西表島を中心とした円を描けば、半径200kmには台湾が、500kmでは中国大陸と沖縄本島、そしてフィリピンの一部が入る。1,000kmともなればマニラはもう少し遠くなるがルソン島の中部、香港や上海、韓国の済州島、鹿児島などが範囲に入ってくる。しかも西表島や沖縄本島は黒潮の流路にあたる。つまり、人や文化は南太平洋の場合は北赤道海流、そして黒潮により、また東南アジアの場合は黒潮により沖縄を通じて古くから日本に入って来ていたと考えられる。このような流れを意識すれば日本最南端はけっして日本の端ではなく、入り口なのである。また広く太平洋を見据えたとき日本からの出口でもある。様々な分野の研究成果の情報を発信する基地として、日本最南端の研究所は位置付けられる。

研究所暮らしのたのしさ

このように考え、日々努力はしているものの、実際の生活はなかなか大変である。人が少ないのは自然にとっては良いことであるが、一種の閉鎖社会であるので、人間関係には相互の配慮が都会以上に必要である。また猛威をふるう自然に少人数で対応しなければならないこともある。台風が接近してから流される情報では、現場では間に合わないこともある。もっと南の情報で海が静穏なうちに対応しなくては船を非難させるのが困難だからである。また台風による波浪で海中が攪乱され、実験が台無しになることもある。気が付いてみれば、人の住まないところにはそれなりの理由があったということである。

自然のなかでの生活であるので様々な困難もあるが、楽しいことも多々ある。一つにはこの研究所には様々な分野の研究者が多数来訪する。そのような研究者たちと短くてはあっても生活をともにし、様々な話が聞けるのもその一つである。また若い学生諸君が何ヵ月にもわたり自然のなかでの共同生活を通じて協調性と忍耐性を培い、大きく成長して行くのがわかることも楽しみの一つである。有望な若者はけっして少なくない。研究の成果だけではなく、そのような青年たちを育てて行くことも辺鄙な研究所の役目の一つと考えている。(了)

 

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