Ocean Newsletter

オーシャンニューズレター

第87号(2004.03.20発行)

第87号(2004.03.20 発行)

干潟の順応的管理

国土技術政策総合研究所沿岸海洋研究部◆細川恭史

干潟生態系は自然の大きな変動に晒されながら柔軟に対応し、流入海水や淡水に大きく依存し沖合や背後陸地との強いつながりの中で成立している。干潟造成の技術開発や問題点整理はすすんだが課題は残っており、これからは、「作りつつ学び、学びつつ作る」という干潟の順応的管理の手法が注目されている。

1.干潟生態系のシステム的な特徴

陸の生態系は、土壌に根を張る植物などを主体とした系となることが多く、土壌に蓄積された栄養をゆっくりと循環させるため、「ストック型」の系と呼ばれる。これに対し、海の浮遊生態系(プランクトンや魚を中心にした系)は海水を媒体とした「フロー型」系とされている。沿岸の干潟生態系も、以下のように「フロー型」の特徴を強く持っている。干潟の底生生物のつながりは、模式的に図1の様に示される※1。干潟の植物(光合成による有機物の生産)の主役は泥表面の底生藻類であり、細胞などが流れに運ばれて干潟に定着し、干潟泥中の栄養とともに海水に含まれ流入する栄養が利用される。干潟泥や粒状栄養も、波や流れで持ち込まれたり・持ち去られたりする。干潟小動物(ベントス)の多くは、卵~幼生の時期に海を漂い、適切な場を見つけて着底しそこで成長する。二枚貝類の多くは、海水に乗って流れてくる有機物片なども餌にしている。

■図1沿岸干潟における食物連鎖の模式図

また、干潟は、波の力を受け揺すられ、潮汐による干出・水没を繰り返し、沖合海水や淡水流入を受け塩分濃度が変動し、夏は高温になるなど季節変化が大きい。台風や強い降雨で地形や水質の大きな撹乱(イベント作用)を受けると、生態系はいったん大きく乱されその後すみやかに回復する(干潟実験施設での人為的な撹乱実験※2では、撹乱後半年ほどで生物種数や個体数の自律的回復が観察された)。このように、干潟生態系は自然の大きな変動に晒されながら柔軟に対応し、流入海水や淡水に大きく依存し沖合や背後陸地との強いつながりの中で成立している。その場の自然条件の変動(いつ雨が降り台風が来るか)が予見できないように、生態系の形成過程の定量的予測(どの種がいつどこにどのくらい定着し遷移するかの予測)は極めて難しい。

2.順応的管理が注目される背景

日本では、都市の水際を中心に、経済成長期に多くの干潟や藻場を失ってきた。自然再生推進法の成立もあり、近年沿岸干潟の造成や修復の検討が始まっている。「人の手で土砂を盛って作った浜」の生態的評価は、色々と議論があった。学会レベルでの議論では、「社会的関心が比較的高い干潟や砂浜については研究や造成経験の積み重ねが進みつつあり、不確定な要素が多くかつ管理維持に労力と経費が必要なことなどの問題点の整理が進んだ。そのうえで、人工海岸造成が環境修復策として機能する可能性については、すでに研究者間では理解が得られたと思う」といった整理※3がなされている。しかし、技術開発や問題点整理はすすんだが、まだ課題があると思われる。主な課題は、(1)不確定な要素や地域の独自な特性への配慮技術、(2)沿岸生態系の科学的理解の深化、(3)地元市民や研究者が合意でき協働できる社会的なしくみづくり、などであろう。そこで、「作りつつ学び、学びつつ作る」という順応的な手法が注目されている。

3.順応的管理とは

目標や大きな方向は決め、経験や理論に基づき実施のしかたも固めたが、なお不確定な要素を抱えているとき、人々は「様子を見ながら(監視しながら)少しずつ行う」行動様式を採用することが多い。少し実施してみて結果が当初の予想と外れていたら、実施のしかたを見直すか、予想を見直すか、場合によっては大きな方向を見直して目標を変えるか、することになる。「監視とフィードバックとを伴い、繰り返し様子を見ながら少しずつ進める管理手法」を生態系の修復分野に持ち込んだものが、「順応的管理(adaptivemanagement)」あるいは「手直しできる管理(adaptablemanagement)」と呼ばれる方法である。また、自然界では現象が解明されたとしても、外的な与条件が変動すれば予測ははずれ、現場では新たな外的条件に見合った対応が求められるようになる。順応的な管理手法は、自然変動や地域性が大きい生態系修復に対しても、(ある程度の変動幅内であれば)柔軟に対応できる。

4.干潟生態系の修復に順応的手法がなじみやすい理由

干潟生態系では、(1)上に見たように攪乱や操作後半年程度で初期応答がはっきりしてくるなど、森林などに比べ作業や操作への応答が比較的早い。また、(2)干潟への流入負荷の削減や淡水導入などフローの出入り口での操作、あるいは、転耕したり・異なる粒径の土砂を持ち込んだり・小さな凹凸やミオスジづくりをするなど、泥質や微地形の手直し手法(自然の地形形成に人の手できっかけを与える手だて)がいくつかある。このような理由から、沿岸干潟の修復には順応的管理手法をあてはめる利点が多い※2。ただし、監視方法(モニタリング)については、生態系の応答を適切に把握できるものでなければいけない。例えば、自然の変動による応答と人為操作による応答とを区別するために、(1)操作によりこのような応答がでてくるだろうといったシナリオの設定とその検証や、(2)区別するための十分なデータ数の取得(長期の丁寧な監視)が必要である。また、不都合な応答が検知された際のフィードバック操作(手直しの手段など)についても、準備しておく必要がある。干潟の造成や修復に関する順応的管理の手法例を、図2に示す。

■図2順応的な管理手法のサイクル
(ラムサール条約事務局資料 ※4 にもとづく)

順応的管理という手法では、(1)市民観察会などの参加型のモニタリングも役割を担えるなど市民との協働の余地が大きく、(2)異なる素材での造成区を並べ生物加入の差を現場で見比べると言った自然科学的な比較実験や、(3)小規模な施工から始めて順次規模を拡大するなどの段階施工を組み込みやすい。系を構成要素に切り分けて解析的に積み上げる従来型の科学的理解の方法に対し、現場での操作-応答関係の観察や経験から演繹的総括的に系を把握する方法論の良い試みになる。

干潟を利用した漁業活動の歴史の中では、「様子を見ながら手を入れ管理する」経験の蓄積がある。砂浜の造成技術を扱ってきた海岸工学の分野では、砂浜の「動的平衡」・「波による地形形成(自然の自己デザイン)」などの類似概念が用いられている。沿岸での順応的管理は、意識的制度としては確立されていないが、知識や知恵として歴史的な蓄積があるようだ。わが国沿岸の管理方策の中で受け入れられる素地が大きいように思われる。(了)

参考文献

※1 桑江ら(2002):海岸工学論文集(49),1296-1300

※2 海の自然再生ワーキンググループ(2003):海の自然再生ハンドブック-総論編/干潟編、ぎょうせい、110p./107p.

※3 和田ら(2002):沿岸海洋研究(39)2,87-89

※4 Ramsar Convention on wetlands (2002):Newguidelines for management planning for Ramsar sites and other wetlands, http://www.ramsar.org/ ,Ramsar Convention Bureau

第87号(2004.03.20発行)のその他の記事

ページトップ