Ocean Newsletter

オーシャンニューズレター

第82号(2004.01.05発行)

第82号(2004.01.05 発行)

木造帆船文化の伝承

宮城県慶長使節船ミュージアム館長◆跡部進一

わが国の船で初めて太平洋を渡ったのは万延元年(1860年)の「咸臨丸」という定説より、実に250年も前に、慶長使節船「サン・ファン・バウティスタ」は太平洋を2往復している。宮城県慶長使節船ミュージアムでは、わが国の木造船技術を結実させるかたちで復元したサン・ファン・バウティスタを展示しており、失われつつある木造船文化や船大工技術の伝承に努めている。

390年前の慶長18年(1613年)、牡鹿半島月浦(宮城県石巻市)を出帆、太平洋を渡った仙台藩の慶長使節船「サン・ファン・バウティスタ」が復元されて10年が経過した。係留地の宮城県慶長使節船ミュージアム(石巻市渡波・愛称「サン・ファン館」=平成8年開館)には、90万人の入館者があり、全国的に知られるようになった。ミュージアムに本係留される前、石巻漁港に仮係留されていた3年間の乗船者40万人を含めると130万人が訪れている。10周年の記念式典、3本マストへの展帆、日本丸招待などの諸行事を終えた段階で、改めて復元船への評価と、日本一巨大な木造帆船の今後を占ってみた。

歴史に忠実に木造で復元

宮城県慶長使節船ミュージアム(愛称「サン・ファン館」)には、復元された木造帆船「サン・ファン・バウティスタ」が展示されるほか、復元過程と建造に使われた道具や材料などを見学することができる。

●宮城県慶長使節船ミュージアムhttp://ww51.et.tiki.ne.jp/%7Esantjuan/

サン・ファン号の最大の特徴は、歴史に忠実に、全部木造で復元したことにある。頑なに400年前の実像にこだわった点にある。それは復元の原点でもある。

「サン・ファン館」が開館して以来、毎年5回に分けてシーズンごとに入館者のアンケート調査を実施してきたが、回答者の感想文の多くは「慶長使節の歴史がよく分かった」「昔の人の心意気に感動した」と、この特徴に触れている。ということは、この特徴が、つまりは原点が訪れた人々に感銘を与え、評価を高めてきたといえる。識者の多くは「本物の魅力だ」とも分析する。では、どうして400年前の姿にそんなにこだわったのか。理由は3つあった。

慶長18年9月15日(1613年10月28日)、この船は牡鹿半島の月浦を出帆、支倉常長らの使節団、南蛮人40人あまり、全国からの100人近い商人の合計180人を乗せて太平洋を渡る。メキシコで交易、日本に戻ってから4年後、帰国する常長を迎えに再び太平洋を渡る。「わが国の船で初めて太平洋を渡ったのは万延元年(1860年)の『咸臨丸』」という定説より、実に250年も前に、政宗の造った船は太平洋を2往復もしているのである。この歴史的事実を多くの人々に知ってもらおうというのが、実物大の船を復元した第一の理由だった。

常長ら慶長使節より30年前にヨーロッパ入りした天正使節は、ポルトガルの船で往復し、宗教親善を目的とした少年使節として脚光を浴びたが、慶長使節は貿易を目的としたわが国初の経済使節で、「子供と大人の違い」がある。ローマ大学のコラッティーニ教授は仙台でのシンポジウムで、天正使節は使節と呼べるほどのものではなく、慶長使節こそ使節の名に価する初の外交使節だったと強調していた。これまでの歴史の中で、正当な評価を得ていなかった慶長使節の再評価のためにも「この船で行ったのだ」と目の前に突きつけよう――というのが第二の理由である。

船大工40人確保し実現

復元船のキャッチフレーズは「今世紀最後で最大の木造船」だった。10年前の今世紀は今や前世紀となったが、同じように「今世紀最後の......」という看板を降ろす必要はない。わが国で木造船の造船風景が見られたのは昭和40年代初めまでだ。船はすべて鉄鋼船かFRP船となった。

若くても60歳半ばという船大工40数人の確保があってこそ、この船は見事によみがえったので、「もう2度とこんなでかい木造船は造れない」というギリギリ時点で復元されたのである。腕に覚えがあっても、木造船を注文する人がいなければ船大工は飯が食えない。後継者はやがて皆無となろう。

アメリカの青年が日本の船大工に弟子入りしたという記事が先日新聞に載った。日本の若者が船大工に弟子入りしたという話は聞かない。造りたくても、造れなくなるのだ。「今世紀最後で最大の......」という看板をずっと降ろす必要のないわけがお分かりいただけたと思う。400年前の本物にこだわった3つめの理由である。

■サン・ファン・バウティスタ航海図

技術の集大成作品を発信

建造されたばかりのサン・ファン号の船艙で、船大工棟りょうの故村上定一郎さんと、寺社、古民家などの文化財の修復、復元に奔走する宮大工・田中文男さんとの「職人対談」をやってもらった。その中で田中さんは「建築やって真似できないのは船だ。建築は木を真っ直ぐに使うが、造船の場合は木をたわませて使うという違いがある」と言い、「考えれば考えるほど、日本の造船史上で画期的な船だ」と、その曲線文化の粋にため息をついていた。平成16年秋の特別展では、「船大工の匠」を予定している。

木造船の保存と技術の伝承作業は、ようやく各地の博物館などで細々と始まっているが、いわゆる和船が主力である。サン・ファン号は洋式帆船で、同じ手法で造られたヨーロッパやアメリカの復元船、係留船を視野に入れながら、日本で唯一、最大の船大工技術の集大成作品として、この10年の保存実績のデータの蓄積、そして今後の船大工技術の伝承を世に発信、「木造船文化伝承館」のような役割を果たしながら、次の10年を目指したい。(了)

●主要項目
■サン・ファン・バウティスタ復元船設計図面
◎全長55.35m
◎垂線間長34.28m
◎竜骨長26.06m
◎ミズンマスト長さ18.19m
◎メインマスト長さ32.43m
◎フォアマスト長さ28.05m
◎総トン数約500t
サン・ファン・バウティスタ復元船は、船大工の高齢化という困難を克服して平成5年10月に完成した。(写真:平成4年3月26日の中央部肋骨立揃)

第82号(2004.01.05発行)のその他の記事

ページトップ