Ocean Newsletter

オーシャンニューズレター

第7号(2000.11.20発行)

第7号(2000.11.20 発行)

海と船が、人を育てる

大島商船高等専門学校商船学科教授◆三原伊文

100年以上の教育訓練の歴史をもつ商船教育機関の練習船隊を、もっと有効に使うことができないものだろうか。異常な少年犯罪が増えたが、海と船という舞台が、そうした子供たちに教えることは多いと思う。

大島商船高等専門学校には卒業式が二度ある。一度目は3月。二度目がこの9月、終わったばかりである。4年半の席上課程と1年の練習船実習があり、修業年限が他の学科より半年長い。

型通りの式が終わると、卒業生が帽子を被って一列に並ぶ。今年のリーダー、M君が挨拶をする。「本日の卒業式、本当にありがとうございました。各教官方、両親には、大変心配をかけたと思いますが、ひとりの脱落者も出すことなく、無事帰って来ることができました。この一年は今まで生きてきた中で、一番辛く、一番過酷なものでした。しかし、一番充実し、一番成長できた一年でもありました。在校生の皆さん、5年あるいは5年半というのは長いようで短いです。吸収できることは吸収し、自分のものとして、充実した学生生活を送ってください。私たちはこれから、進学、就職と、それぞれ違う人生の海へと船出するわけですが、この学校で学んだこと、実習で身につけた技術と精神力で荒波を乗り越え、しっかりと走っていきます。本日まで本当にお世話になりました」

その後、「脱帽!」という号令で、全員、帽子を脱いで手に持つ。リーダーが「ごきげんよう!」と大声で叫び、帽子を斜め上に振り上げる。続いて他の卒業生も一斉に「ごきげんよう!」と、唱和して帽子を振り上げる。これを三度繰り返す。最後に一斉に帽子を放り投げる。この登しょう礼と商船祭りの手旗踊りは、いつ見てもジンと来て、涙腺のもろい私は目が潤む。

かつて、遠洋航海から帰ってきた学生がこんなことを言った。「僕らが練習船で学ぶのは、船をコントロールすること、機関をコントロールすること、そして自分をコントロールすることなんですね」

本校入学時、15歳という、まだあどけなさの残っていた少年が、こうしてひと回りもふた回りも大きくなって、20歳の青年として巣立っていく。その夜は晴れて彼らと酒を酌み交わす。こんな美酒があろうか。実はこの感慨は私だけのものではない。全国5つの商船高等専門学校で働く誰もが感じる喜びなのである。

寮生活の厳しさを愚痴っていた彼らが、遠洋航海から帰ってくると、「教官、寮生活なんて、練習船からみると、天国ですね。帆船に乗っていると、特にそれを感じますよ」と、異口同音に言う。

来年4月から、航海訓練所は独立法人になる。100年以上の教育訓練の歴史と動く教室ともいえる練習船隊を有するこのシステムを、日本という国はもっと有効に使うことができなかったものだろうかと、歯ぎしりする思いである。異常な少年犯罪が世の中を震撼させるたびに、子供たちをもっと船に乗せればいいと思う。海と船という舞台で、プロの集団が寝食を共にして、本気で子供たちをしつけてくれる。教える方も教えられる方も、本気にならねば命に関わるからだ。

いかに突っ張っていた学生も、海が荒れ、船酔いが始まると、本性が出てくる。酔って、食べた物が出てくるうちはまだいい。真黄色の胃液が出てくると、この世の地獄かとさえ思うはずだ。しかし、逃れようがない。ただ、耐えるしかないのである。

最近、すべての子供たちに社会奉仕を言う声が聞かれるようになった。それもいい。もうひとつの選択肢として、練習船に乗せて荒海に放り出すのはどうであろう。学校の小さな練習船で2日がかりで沖縄まで行ったことがある。台風の余波を受けた航海は船酔いで苦しかったが、沖縄に着いたときは、たった2日間の航海ながら、はるばる来たぜという思いで、沖縄がことのほかきれいに見えた。飛行機では味わえない喜びである。水平線という言葉に今も胸のときめきを感じる私は、日本中の子供たちすべてを、数ケ月船に乗せて地球を巡らせ、世界中の子供たちと交流させたいと思う。

飛行機の旅はレストランで食べる料理でしかないが、練習船で行く旅はキャンプ場で自分たちが作ったカレーライスのような味わいがある。

 

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