Ocean Newsletter

オーシャンニューズレター

第79号(2003.11.20発行)

第79号(2003.11.20 発行)

和船収蔵数日本一を誇る「みちのく北方漁船博物館」

みちのく銀行会長、みちのく北方漁船博物館財団会長◆大道寺小三郎

船好きが高じて、今や消えつつある木造船の収集に熱心に取り組み、木造漁船を中心とした和船を保存、展示、活用する「みちのく北方漁船博物館」を建設運営するに至った。木造漁船及びそれらを活用していた人々の生活様式を後世に伝承するとともに、海洋環境の保全に関する意識を高めていきたいと考える。

子どもの頃からの船好き

昭和28年、今から50年前の話である。終戦をはさんで中止されていた北洋サケ・マス漁業の全面再開を記念した、北洋博覧会が大々的に開催されることになった。当時私は前年に司法試験に落第したこともあって、自宅では甘えが出ると思い、友人2人で函館山の中腹にある下宿屋で青い海を見ながら法律書をいやいやひもといていた。

ある日市役所に勤めている中学時代の友人が突然現れ、「来年の北洋博覧会には全国からお客が集まる。ところが、君も知る通りこの函館には遊覧船が1隻もない。困りきっていたところ、君を思い出した」と言う。彼の言う通り私は子どもの頃から海好き船好きで、学校から帰るとランドセルをぶん投げて港に駆けつけ、連絡船桟橋の近くにある貸しボート屋から2時間5銭で舟を借りて、夕暮れまで漕ぎ回ったものである。友人が私をねらった直感は正しく、私はその途端に司法試験のことを一切忘れてしまい、その日から函館港に遊覧船を浮かべる事業計画に熱中した。

幾ばくかの資金をつくり、遊覧船に使う船をあちこち探し回った結果、前年に再開された北洋漁業の母船(サケ・マスの缶詰工場)と魚を獲るキャッチャーボート(独航船と呼ばれた)をつなぐ連絡艇として7mの新造ボートを造ったが、北洋の波が思いのほか荒く7mの舟では用が足りないことがわかり、そのまま母船団の日魯漁業が持ちかえっていたものがあるが、それではどうだという。早速船を見るとキールとフレームには欅材を、外板には無節の檜材を使った誠に立派なボートである。ところが船の真ん中には8馬力のディーゼルエンジンが据えてあり、乗ってみると騒音で話しも聞こえず、体がしびれる程振動が強く、とても遊覧船に使えるものではない。困り果てて当時の進駐軍の図書館へ行ってみると、あるわあるわ「HOWTO MAKE THE BOAT」や「YOU CAN BUILDTHEBOAT」などと船の造り方の本がたくさん揃えられており、日本とアメリカの海洋文化の幅と深さの大きな隔たりを思い知らされた。

その一冊の本に「元来船に使われるマリンエンジンは自動車と同じものであり、商品化されているものも自動車のエンジンを多少補強したものである」、さらに「もしあなたが必要なら回転数の少なくてダイヤ・ストロークの大きいエンジン、例えばA型フォードの中古品がよいだろう」と書いてあった。早速知合いの中古屋にA型フォードのエンジンを見つけてもらい据え付けた。その上部に遊覧船らしくキャビンを整え、定員10人位の遊覧船を作りあげた。この改造期間中に一番驚いたのは、20年以上前に製造中止になったA型フォードのエンジンの部品である「ガスケット」が電話1本で東京の代理店から送られてきた事であった。アメリカの工業製品に対するモラルを思い知らされて、「これだもの、日本が戦争に負けたのは当たり前」と強く感じた。

 

みちのく北方漁船博物館が所蔵する北前船模型「みちのく丸」(左写真)、ピニシ「みちのくインドネシア号」(右写真)

みちのく北方漁船博物館

9月27日、いわゆる洞爺丸台風が函館を襲った。台風の目にあたる時間に出航した洞爺丸は強風に吹きまくられ、七重浜に流され、砂地に接触して転覆した。死者・行方不明者は1,155名にのぼり、タイタニックに次ぐ大惨事であった。この時私が情熱を燃やした遊覧船も台風とともに沈んでしまい、若き日のロマンとして今は記憶に残るのみである。

この後しばらくして銀行等に就職して海と船との生活から離れていたが、たまたま就職先の銀行の本店が青森にあり多くの支店等が県内の海岸線にあったため、いやがおうでも漁船等を見る機会が多くなった。ちょうどこの銀行に就職した頃(昭和33年)からFRPのボートの製作が一挙に盛んになり、わずか数年で日本中の漁船が木造船からプラスチック船に変わり、木造船の建造が一隻も見られなくなった。はじめは何ともなしに海岸線に投げ捨てられた木造船をながめていたのだが、「木造船は屋外で雨にさらされると5~10年でボロボロになり、20年も経つと形の見分けもつかなくなる」ということに気が付いた。これは大変なことだ。今のうちに集めて格納しておかないと、日本中に一隻の木造船も見られなくなると思い、地元を中心に漁船の収集を10年位前から始めた。主に北海道・東北の漁船が200隻ほど集まったところ、和船研究会の方々がこの漁船を見て「これは素晴らしい。この漁船の何隻かはいわゆる原始的な丸木船から構造船に至る途中のムダマ船である」と言い出した(図参照)。これは船の発達や地域による特徴を知る上で大変貴重なもので、文部省の注目するところとなって、67隻のムダマ船が国の重要有形民俗文化財に指定された。文化財になったので放っておけず、こうした滅びゆくばかりの木造船を後世に伝えるために「北方漁船博物館」を設立し、運営している。

日本の漁船だけでは広く皆さんの興味を引かないのではないかと思い、世界中からも現役で走る木造船を収集している。マルコポーロの記述通り今も800年前と変わらない中国の船ジャンク、東インド海域カリマンタン周辺を走り回っているインドネシアの帆船ピニシ、インド洋を中心にペルシャ湾や紅海を走る、1,000年以上の歴史をもつ大型木造船ダウなどを収容し、あるいは海に浮かべている。現在はスウェーデンの政府の援助を得て、完全なスタイルの36人漕ぎのバイキング船(本年10月完成予定)の建造を進めている。博物館では子ども達を船に乗せたりして楽しんでもらい、日本人が海の国民であることを忘れないようにと願い、船に携わる多忙な毎日を送っている。(了)

■ムダマ船と和船の構造について
ムダマ船と和船の構造について
ムダマ船は、船底部分が西日本の漁船などと相違し、平板で、いわゆる「敷」というものではなく、丸太材から直接削り出したもの(ムダマ造り)である和船。北日本の木造漁船の構造は、丸木船からムダマハギ、さらにシマイハギへと独自の進化をした。特にムダマハギは他の地域では見られない独特の構造である。シマイハギの船を構造船、ムダマハギを丸木船から構造船に至る中間的な船型として準構造船といった言い方もする。
●みちのく北方漁船博物館HPより
2014年閉館

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