Ocean Newsletter
第77号(2003.10.20発行)
- シップ・アンド・オーシャン財団会長◆秋山昌廣
- ニッポン・マリタイム・センター(日本海難防止協会シンガポール事務所)◆志村 格(ただし)
- 防衛大学校国際関係学科教授◆真山 全(あきら)
- ニューズレター編集委員会編集代表者((社)海洋産業研究会常務理事)◆中原 裕幸
マラッカ・シンガポール海峡の航行安全について
ニッポン・マリタイム・センター(日本海難防止協会シンガポール事務所)◆志村 格(ただし)マラッカ・シンガポール海峡は、年間で7万5千隻の船舶が通航し、日本の輸入原油の約9割がここを経由する。沿岸3国は航行安全対策として6つのプロジェクトを提案し、協力と支援を呼びかけているが、それらは衝突・座礁の防止対策であり、むしろ増加傾向にある海賊・テロリズムへの対策こそが、より差し迫った問題ではなかろうか。
マラッカ・シンガポール海峡を安全にするために
発生地域 | 2000年 | 2001年 | 2002年 | 2003年 |
---|---|---|---|---|
マラッカ海峡 | 75 | 17 | 16 | 15 |
シンガポール海峡 | 5 | 7 | 5 | 0 |
インドネシア | 119 | 91 | 103 | 64 |
マレーシア | 21 | 19 | 14 | 5 |
(小計) | (220) | (134) | (138) | (84) |
世界合計 | 469 | 335 | 370 | 237 |
(世界計に占める割合) | (47%) | (40%) | (37%) | (35%) |
年間7万5千隻の船舶が通航し、日本の輸入原油の約9割が経由するマラッカ・シンガポール海峡(マ・シ海峡)。この海上交通の大動脈の航行安全を確保することは、日本にとっても重要である。
タンカーによる事故が世界的に続発した1960年代以来、マ・シ海峡の安全性は、日本による航路標識の整備や水路調査に対する協力を通じて、不断に向上してきた。特に、1998年に航路を西向きと東向きに分ける分離通航方式(TrafficSeparationScheme)が全区間にわたって採用され、同時に、船舶が運航状態を随時報告する強制船位通報制度が導入された後は、衝突、座礁などの海難事故は目に見えて減少した。
とはいえ、シンガポール海峡を中心に多数の島、岩礁、浅瀬がある上、最も狭いところでは幅2km程度しかない航路に多数の船舶が集中するため、現在でも、操船ミスやヘイズ※1による視界不良に起因する重大海難事故は、年間数件発生している。今後、アジア経済が発展し、特に中国等の油輸入が拡大していくことを考えると、通航量の増大により、事故発生の潜在的な可能性はむしろ大きくなっていくものと考えられる。マ・シ海峡が通航不能となった場合の代替経路としては、ロンボク海峡やスンダ海峡があるが、各種インフラやサービスの充実からマ・シ海峡の優位性はゆるがない。
このような観点から、インドネシア、マレーシア及びシンガポールのマ・シ海峡沿岸3国は、今後必要となる航行安全対策として、シンガポール海峡の拡幅・直線化のための浚渫、自動船舶識別装置(AIS)※2の船舶局と地上局のネットワーク化、航路標識の遠隔監視、水路再測量等6つのプロジェクトを提案している。また、国際海事機関(IMO)とともに、電子海図を利用して、気象・海象・潮流等のリアルタイム情報を組み合わせて提供しようという「海上電子ハイウェー」プロジェクトを、世銀の支援を得て進めている。これらのプロジェクトは、今後の需要の増加に対応してマ・シ海峡がその機能を維持していくためには必要であるとも言えるが、莫大なコストがかかるため(シンガポール海峡の浚渫だけでも1億米ドルかかると推定される)、沿岸国側は、国連海洋法条約の規定を援用しつつ、船籍国、船主国、輸出入国、国際海運関係団体等に対して、広く支援を求めていく予定である。
日本は、船主国や輸出入国ベースで見た場合、最大級の海峡利用国と言えるが、この問題を考えるに当たっては、マ・シ海峡の航行安全に関する課題を総合的に見てみる必要がある。それは、海洋環境・生態系の保護や沿岸住民の生活の保全といった、より長期的対応が必要となる課題があるためもあるが、それ以上に、マ・シ海峡には、海賊・武装強盗※3の多発、航行船舶等を対象としたテロリズムの可能性という、より緊急の課題があるためである。
海賊・テロリズム問題


マ・シ海峡では、1999年に発生したアロンドラ・レインボー号事件以降、日本関係船舶を巻き込んだ大規模なハイジャックは発生していないものの、海賊事件全般の発生件数はむしろ増えており、今年の前半に、マ・シ海峡内と海峡に隣接するインドネシア、マレーシアで発生した海賊事件は84件で、昨年、一昨年をしのぐ勢いである。また、この数は世界全体の約3分の1を占めており、最大の海賊多発地域となっている。
マ・シ海峡付近で発生する海賊事件のほとんどは、島民が夜陰に乗じて停泊中や航行中の船内に浸入し、船員の金品や船の装備品を奪って逃走するという「こそ泥・追剥ぎ」的な軽微な事案であるが、中には、国際的犯罪組織が関与して、船を積荷ごとハイジャックするものや、船員を人質にとり身代金を要求するものもある。また、最近の特色としては、こそ泥・追剥ぎ的事案でも、M16ライフル、AK47突撃銃を用いる等、決して「軽微」とは言えなくなっていること、スマトラ島北部のアチェ独立運動の関与が取りざたされるものがあることが挙げられる。
テロリズムについては、昨年イエメン沖で発生したタンカー爆破のような船舶を対象とした事件は、これまでのところマ・シ海峡では発生していないが、インドネシアやフィリピンで建物爆破事件や誘拐事件を起こしている、アルカイダともつながりのあるイスラム過激派が、警備の厳しくなった陸上施設を避けて、海峡を航行する船舶等の「ソフトターゲット」を襲撃する潜在的な脅威はあると言えよう。
海賊・海上テロ問題に対して、それぞれの国は、海上警備を強化したり、海上警備機関同士の共同訓練を行ったりしているが、海賊・テロリズムを生む背景には、貧困、宗教的文化的悪感情、武器入手の容易さ、国際テロリズム組織との繋がりなど様々な要因があり、発生を抑止することは難しい。ただし、この分野でも、IMOで決定された海上治安対策、アジアでの地域協力協定策定の動き、マレーシアとインドネシアにおけるコーストガード設置の動き等いくつかの前進は見られる。
初めに述べた衝突・座礁の防止という通常の意味での航行安全問題に比して、海賊・テロリズムの方が、この地域においては、より差し迫った脅威である。前者については、電子海図やAISの装備が一般化し、電子的な航法が可能になった時点で、どの程度安全性が向上するかを検証してから、再度必要なプロジェクトについて考えてもよいと思われるのに対し、後者については、アチェ独立問題を始めとするマ・シ海峡沿岸の政治的不安定性、インドネシアで頻発する爆弾テロ事件等に鑑みれば、政治的目的による海賊や海上テロの可能性が高まっていると言わざるを得ないからである。
日本は、これまで30年間にわたり航路標識の整備等に対して協力し、また、近年は、海上保安庁を中心に海賊対策に取り組んできているが、以上のような状況を踏まえ、海事関係者全体として、どのような分野に対する協力が、必要・緊急で、かつ実行可能であるかを議論すべき時期に来ているのではなかろうか。(了)
※1インドネシアのスマトラ島やカリマンタン島の山火事や焼き畑農業等によって発生する、もや、かすみ、煙霧。
※2自動船舶識別装置(AIS:Automatic Identification System)とは、船名、船種、識別信号、位置、針路、速力、航行状態、安全情報等の船舶運航に係る情報を無線(VHF)により、船舶相互間及び船舶-陸上施設間等で自動的に送受信し、情報を共有することによって、船舶相互の衝突予防、船舶の動静把握、乗組員の負担軽減を図ることを目的としたシステム。2002年より一定の新造船に搭載が義務づけられ、本年7月以降、既存船についても、順次適用されている。
※3国連海洋法条約では、海賊を、公海ないしどこの国の管轄権にも服さない場所で行われた行為に限定しているため、領海内で行われた船等に対する暴力・抑留・略奪行為は武装強盗と呼ばれるが、国際海事局では、海賊を「盗難やその他の犯罪行為あるいは暴力をふるう目的で船舶に乗り組むすべての行為」としており、本稿ではこれによった。
第77号(2003.10.20発行)のその他の記事
- 吉田茂と海洋国日本 シップ・アンド・オーシャン財団会長◆秋山昌廣
- マラッカ・シンガポール海峡の航行安全について ニッポン・マリタイム・センター(日本海難防止協会シンガポール事務所)◆志村 格(ただし)
- 海上保安庁と武力紛争法 防衛大学校国際関係学科教授◆真山 全(あきら)
- 編集後記 ニューズレター編集代表((社)海洋産業研究会常務理事)◆中原 裕幸