Ocean Newsletter

オーシャンニューズレター

第77号(2003.10.20発行)

第77号(2003.10.20 発行)

吉田茂と海洋国日本

シップ・アンド・オーシャン財団会長◆秋山昌廣

戦後のわが国の経済発展は、臨海工業や自由貿易の急拡大が基礎にあったが、それは「海洋国日本」を強く認識した吉田茂元首相による経済戦略があったがためだ。しかし、われわれは今、海洋をわが国の経済戦略という視点でのみ考えることは許されない。21世紀は、海洋と人類全体との関係が問われている時代であり、わが国も国家的課題として海洋問題と取り組みながら、問題の解決に向けてリーダーシップを発揮すべきである。

吉田茂が掲げた、戦後の経済戦略としての「海洋国日本」

日本が海洋国であり、海洋大国であることに疑いはない。と言ったところで、何の意味があるのかという反論もあろう。その長い歴史の過程で、漁業、海洋貿易、海洋資源などで多くの利益を得てきたというのみならず、日本の安全保障の面でも海洋は大きなファクターであった。海洋国であったがために国難を免れたことは良く知るところだが、海洋国を忘れたがために、間違った戦争に突き進み国運を傾けたこともあった。近代の、そして、特に戦後のわが国の経済発展は、海洋国の特権である臨海工業や自由貿易の急拡大が基礎にあったというべきである。さらに言えば、日本人の形成、日本への文化の伝搬、日本列島の自然条件などは、全く海洋そのものに規定されてきたのである。

枕ことばで海洋国日本を言う政治家や批評家は何人もいるし、いろいろなスピーチにもこの言葉はしばしば登場する。しかし、わが国が海洋国であるということを強く意識して、国の命運を左右した政治家はそう多くない。その一人が吉田茂元首相だ。

「日本は海洋国であり、海外との貿易を通じて、九千万国民を養わねばならぬことは、明らかである。そうである以上、日本の通商上の繋がりは、経済的に最も豊かな、そして技術的にも一番進んでおり、且つ歴史的にも関係の深い米英両国民に自ずと重きを置かざるを得ないではないか。これは必ずしも主義や思想の問題ではない。......要するに、日本国民の利益を増進する上の近道に他ならぬ」。吉田茂の言葉である(「回想十年1」吉田茂著 中公文庫第一章三。下線は筆者)。自由貿易・通商の視点という意味では枕ことば的ではあるが、重要なことは、日本と米英との関係を重視すべきことを主張する文脈で話していることである。

当時は、学者や進歩的知識人を中心に全面講和の主張と運動が高まっていたが、吉田は米国などとの単独講和(多国間講和とも言う)と日米安全保障条約締結が日本の国益上不可欠と信じて強行したのだ。吉田によれば、日米関係は、戦後確立したわけではない、19世紀央における開国は米国によってなされ、明治維新以降、日本は米英との関係を機軸に発展し国力をつけ、その関係に逆らった時に国家的失敗をした、だから、戦後もう一度米国との関係を強固なものにして国家の再建を図らなければならない、と主張した。そして、この文脈で「海洋国日本」にふれている。吉田の頭には、米国、英国は海洋国、それは、地球物理的に海洋国であることは当然としても、経済的かつ政治理念的に、自由・民主主義を標榜する国これすなわち海洋国である、という意識が基底に流れているのである(「日米同盟の絆」坂元一哉著 有斐閣第一章三)。吉田茂は、「海洋国日本」を正しく認識して政治的リーダーシップを取った政治家である、と私は考えている。

海洋国日本が果たすべき、グローバルな役割

われわれはしかし今、海洋を経済的にのみ考えることは許されない。また、政治理念的、すなわち自由・民主主義という意味では、地球上すべての国が海洋国に向かいつつあると考えても良い。従って、そういった意味で海洋国を論じなければならない時代ではなくなっている。しかも、国家戦略という観点からのみ海洋を考えてはならない。すなわち、海洋と、国家ではなく人類全体との関係が問われている時代であると言えよう。

他方で、海洋大国米国は、戦後いち早く、海洋問題に対して国家的な取り組みを展開してきた。英国も、衰退しつつあった海洋帝国でありながら、国際的海事活動、海賊問題などでは常に基盤的な活動を展開している。ポルトガルやマルタ、その他の中進国が、海洋問題に関する新しい活動を展開している。大陸国家の典型であると見られた中国ですら、20世紀の最後の段階から海洋に目を転じた国家政策を追求している。海洋国たるべきか、大陸国たるべきかの論争のあった韓国も、近年、大きく海洋国家へ梶を切った。

日本は、全世界との対比で見ると、海上交易量の17%を占め、海運の13%を支配し、造船の30%を維持している。EEZの面積は世界第6位、アジアで第2位。海軍力でも日本は、実は米・ロに次ぐ第3位の地位を英国と争っている。深海底の探査や海洋調査でも、日本はその技術及び科学の水準の高さを存分に見せている。これら事実からして、日本を海洋大国と呼ばずに何と言おう。しかしながら、戦後日本は、海洋問題を国家的課題としては取り上げてこなかった。国家戦略において、明確に海洋を位置づけすることはなかったし、意識して海洋を利用しようとはしなかった。しかも、総合的な意味で問われている海洋と人類社会との関係について、日本はほとんど何の役割も果していない。

海洋問題と言えば、思い浮かぶだけでも、環境、海象と気象、生態系、生物科学、生命科学、漁業、石油・レアメタル等鉱物資源、海洋エネルギー、海上輸送、航行の自由、未開の寒冷海域、安全保障と秩序、海洋法制と執行、海洋大綱、海洋科学、地球科学などと、とどまるのが難しい。はっきりしていることは、海洋と人類の共生、あるいは、持続可能である開発というコンセプトを追求しようとすれば、これら課題の解決はセクショナリズムの排除と国際協力、そして、科学と政策との結合が欠かせない、ということだ。かつ、国際社会の現実を見れば、海洋問題のリーダー国が存在しなければならない。グローバルな問題ではあるが、米国は国益をにらみ、国家戦略の展開の中で海洋を考えている。すべて米国任せで良いとは誰も思っていない。わが国としても、もちろん日本の国益を考えなければならないが(それすら怪しいのが現状だが)、同時に、日本はアジア太平洋地域において、海洋問題についてのリーダーシップ発揮が問われていると考える。

もし、海洋がこれまでの長い歴史において人類から受けた大きな作用に対して耐えられなくなり、人類社会に対して何らかの反撃をするようになれば、日本は最も大きな打撃を受けるだろう。吉田茂の国益から見た海洋国日本を超越して、グローバルな海洋国日本を、われわれはうち立てなければならない。

時間はかかるかも知れないが、分野横断的、かつ、政策をにらんだ海洋研究活動をひたむきに進め、声高に発信し、日本の政治家、オピニオンリーダー、学者・研究者、ジャーナリスト、行政担当者、そして、基盤となる国民に、世界に、海洋問題の重要性を訴えていくことが、一つの答えであると考えている。(了)

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