Ocean Newsletter

オーシャンニューズレター

第71号(2003.07.20発行)

第71号(2003.07.20 発行)

子供たちと完走したヨットレース ~アラウンド・アローンを舞台にした洋上授業から~

海洋冒険家◆白石康次郎

単独による世界一周ヨットレース、アラウンド・アローンに挑戦しながら、子供たちのいる教室とインターネットで結び、この長く過酷な戦いを洋上からライブ中継する機会を得た。海の厳しさは、やはり体験しなければ伝わらない。子供たちが「生きることのすばらしさ」を感じ取ってくれたことも、レース最大の収穫だったと考える。

アラウンド・アローンという人生

アラウンド・アローン。世界4大ヨットレースのひとつであり、単独による世界一周を競うこのレースの存在を私が知ったのは、17歳のときでした。そして、第1回大会※1でクラス優勝した多田雄幸さんのところに押し掛け同然で弟子入りをしてから、早くも18年の歳月が経ちます。いや、あの日からずっとこのレースに出場することを夢にみながら、しかし果たせずにきた私にとって、18年もかかってしまったという方が正直な気持ちでしょうか。語り尽くせないほどの失敗の連続。それでも諦めずに、18年間同じ夢をもちつづけてきたからこそ、やっとアラウンド・アローンへの挑戦が叶ったという思いもします。

ヨットは美しいもの。たしかにそうです。しかし、これほど過酷な乗り物も他にはないでしょう。常に傾いて、ゆれて、まるでジェットコースターに延々と乗り続けているようなものなのです。しかも、何枚もある帆の調節、舵を操ること、ナビゲーション、突然降りかかるアクシデント......それらすべてを、たった一人でこなしながら、ひたすら24時間、8カ月もの間、大海原を走りつづける、もちろんトイレも食事も走りながら!今回のレース中も、1時間連続して睡眠をとったためしはありませんでした。そして、それほど大変なこのレースを完走することができたのは、小さな応援団の存在があったからかもしれません。アラウンド・アローンを洋上教室に見立てて子供たちに何かを伝えることができるのではなかろうか。ぜひやってみたい。そんな私の思いを受け止めてくれて実現した、横浜国立大学附属鎌倉小学校の子供たちとのやりとりを今回は紹介したいと思います。

洋上から子供たちへ

実を言うと、このアラウンド・アローンの第1回大会のときからすでに、大会主催者たちは「スチューデント・オーシャン・チャレンジ」という子供たちへの教育プログラムをスタートしていました。

私が師匠の多田さんのサポートクルーとして初めてこのレースに参加した第3回大会のときには、参加する選手の出身国について勉強するカリキュラムや、ヨットはどうやって前に進むのか、あるいはレースの寄港地となった南アフリカのアパルトヘイトについて子供たちと真剣に話し合う授業が行われていました。そして、このレースのさなか、実は、多田さんが自ら命を絶つという大変ショッキングな出来事が起こりました。私自身ですら身近な存在であった人の死をなかなか受け止められないとき、果たしてこの事実を子供たちに伝えるべきか、あるいはどう伝えたらいいのか、私は自信をもって答えることはできませんでした。しかし、この教育プログラムを行っていた先生は、それも海で起きたひとつの出来事として子供たちといっしょに自殺について考える授業をしたというのです。

死という避けることのできない現実から目を背けるのではなく、真正面からうけとって、それを子供たちにも伝えることができたら、子供なりに何か感じるものがあるはず。それこそが生きた授業になるはずだと、そのころから考えるようになりました。しかし、最初から私の考えが日本の学校に受け入れられたわけではありません。「総合的な学習」が行われる今になってやっと可能になったのであり、鎌倉小学校4年2組担任(当時)をされていた野村先生らの理解もあったからこそ初めて実現できたと思っています。

教えたのではなく、子供たちが自ら学んだ

昨年9月にアメリカのニューヨークをスタートし、いざ海の上で子供たちとのやりとりが始まると、驚くことの連続でした。たとえば回航中、「パナマ運河はエレベーターになっている」と私が伝えると、子供たちは自ら運河の模型まで作ってその仕組みを勉強したというのです。また、みんなでヨットの模型を作ったときには、キールの付け根から水漏れがすると、私とまったく同じ悩みを抱えていた子がいたというのです。私は海の上でひとり笑ってしまいました。なんといってもすばらしいのは、いずれも先生の指導ではなく、子供たちが自ら考え、そして自分たちの力で問題を解決したことなのです。

また、海と教室はインターネット※2を通していつもつながっていたわけですから、子供たちは私とまったく同じ気持ちを同時に体験することができました。うれしいこと、悲しいこと、友人の突然の事故や自分にも危険が待ち受けるという事実すら、私はそのまま子供たちに伝えました。いよいよ大荒れの南氷洋だと伝えると、子供たちは命を落とすことさえあることをちゃんと認識していて、たくさんの応援のメールを送ってくれ、何度も励まされました。長い航海が終わり無事にゴールできたときの大きな喜びをともに味わっただけではなく、きっと命の尊さや、海の大きさ、自然の偉大さなどを、子供たちなりに感じ取ってくれたはずで、それこそが私の長年の願いでもあったのです。

「海を愛し、人を愛し、船を愛する」というシーマンシップを私は水産高校で学びました。そして、師匠の多田さんに導かれて海のすばらしさを知り、18年の間に海と海の仲間からたくさんの大切なことを教えられました。私が子供たちに教えることができたのは、そう多くではありませんが、たしかに子供たちは、自らの力で「生きることのすばらしさ」を海から学びとったことでしょう。

いま、日本の学校教育の現場から臨海学校がなくなっていると耳にします。たしかに海は危険で、厳しく、冷たいところには違いありません。しかし危険を危険として知らせないことがいかに危険であるか、大人たちはもっと認識すべきではないでしょうか。

私はただの冒険者ではなく、これからもチャレンジャーであり、シーマンでありつづけたいと思っています。そして、子供たちに海のすばらしさを楽しく、また厳しく伝えることをライフワークとしてつづけていきたいと考えています。(了)

ニューヨークを出発するスピリット・オブ・ユーコー号
2002年9月、ニューヨークを出発するスピリット・オブ・ユーコー号(写真:KAZI/矢部洋一)
電話で日本の子供たちと話す
電話で日本の子供たちと話す。ヨットに備え付けのカメラとビデオで撮影した映像もインターネットで公開し、航海はリアルタイムで中継された(写真:白石康次郎)
鎌倉小学校の子供たち
レースをインターネットで追いつづけた、鎌倉小学校の子供たちを帰国後に訪問(写真:KAZI/矢部洋一)
海の仲間たちが子供たちをヨットに招待
レース中に、海の仲間たちが子供たちをヨットに招待。子供たちにとって、海を知る、またとないチャンスとなった(写真:元気社/白石康次郎 Genkids Ocean Challenge事務局)

※1 第1回大会の開催は1982年。当時は、スポンサー名を冠してBOCチャレンジと呼ばれていた。今大会は6回目の開催となる。

※2 昨年9月から今年の5月まで、白石康次郎 Genkids Ocean Challenge事務局のホームページ(www.genkids.net)において、現地から届けられる写真・映像・日記などがライブで掲載されてきた。現在でも一部の閲覧は可能。

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