Ocean Newsletter
第67号(2003.05.20発行)
- 海の森づくり推進協会代表理事、鹿児島大学水産学部教授◆松田惠明
- 北海道漁協女性部連絡協議会会長◆北崎初恵
- 株式会社自然環境リサーチ代表取締役◆寺本俊彦
- ニューズレター編集委員会編集代表者((社)海洋産業研究会常務理事)◆中原 裕幸
お魚殖やす植樹運動 ~豊かな海を目指し、浜のお母さんたちが運動を展開~
北海道漁協女性部連絡協議会会長◆北崎初恵1988年に北海道の漁協女性部の取り組みから始まった植樹運動は、やがて漁協ぐるみの「魚の森づくり」へと発展し、今では地域を挙げた活動として展開つつある。この16年で60万本を植えるに至った「お魚殖やす植樹運動」は、「百年かけて百年前の自然の浜を」という合言葉で、その実現に向けて現在も活動が続けられている。
「森と川と海はひとつ」と16年間で60万本植える
私たちの植樹運動は、1988年に北海道漁婦連創立30周年記念事業として始まり、札幌さけ科学館敷地内での植樹を皮切りに、1年目は73,512本の木を全道沿岸の山に植えました。2年目は12,000本、3、4年目は各14,000本ずつを毎年植え続けました。
樹種はトドマツ、エゾマツ、カラマツ、ナナカマド、シラカバ、ミズナラ、サクラ等様々ですが、ともかく浜のお母さんたちが心を一つにして、コツコツと植え続けたのです。植え始めて8年が過ぎた頃には30万本を超え、1995年に「魚つき保安林整備事業」の検討会が始まり、行政の支援がようやく具体的になりました。道庁林務部から5年間苗木を無償で供給して下さるという支援が始まったのは1996年からです。これは北海道森林組合連合会が事業主体となって「森と川と海はひとつ」という認識で林業関係者と漁業関係者が連携を取り、環境財として山と海を結ぶ河川周辺の森づくりを進めるというものでした。
こうして当初の目標である「10年計画」は一応の達成を見ましたが(今年で16年目に入り60万本)私たちは現在も植樹を続けています。
「百年かけて百年前の自然の浜を」と壮大な合言葉でスタート
100年前、北海道の沿岸地域は豊かな森に覆われていたと言われます。ところが、北海道の経済が農林業よりも先行して水産業に支えられたことが、漁村の山から木材が消滅してゆく原因となりました。特にニシンは春の一時期に大漁に水揚げされ、そのほとんどがニシン粕(肥料)や魚油の原料として本州に向けられました。
水揚げされたニシンは大釜で煮て、圧搾機で絞って作るため、大量の薪を必要とし、海岸に森をなしていた木を切り倒し、片端から燃やしていったのです。当時「1トンのニシン粕を作るのに99本の薪が必要だった」と言われていました。
その他北海道は戦後急速に進んだ大規模な開発行為等により沿岸の森はいつのまにか丸坊主にされ、雨が降るたびに陸から土砂が混じった赤い水が海に流れ出し、昆布を始めとした海藻類を枯らしました。昆布が枯れるとそれを餌とするウニを始め、多くの浅海資源が減少していき沿岸漁業は衰退の傾向を強めていったのです。
植樹運動を始めようと呼びかけた時、「浜の母ちゃんが、なして(なぜ)山に行って木を植えなきゃなんないんだろうネ」と言う人がたくさんおりました。私たちは最初にその疑問に対する学習から始めたのです。漁業者の間には「魚つき林」という言葉があることは知られていました。また、食物連鎖の一番底辺となる植物プランクトンの栄養源は、森の土の中で分解され、森の色々な働きによってコントロールされながら山から河川によって海に運ばれてくるとも言います。こうした自然の摂理を知った上で、私たちは「やっぱり木を植えて、森を作って、きれいな水を海に流すと豊かな資源が回復するんだ」と信じてスタートしました。
次第に「百年かけて百年前の自然の浜を」取り戻そうという意欲が自然に湧いてきまして、それがそのまま北海道の植樹運動の合言葉となったのです。
行政を動かし、地域ぐるみで山を取り戻した漁協も
1958年の創立時、北海道は181の漁協女性部、部員数約48,500人で結成を見ましたが、現在は107の女性部、部員数は13,491人です。
そうした中で、年1回、一斉植樹をしてきたのですが、漁村には植樹のできる山があるところと、ないところがあります。あっても面積が少ないために短期間で植え終えたところ、漁協が新たに林野を購入して植樹をしているところもあります。私の枝幸漁協もそのひとつで、私たちが一生懸命植樹をしていた山は、実は個人の、しかも林業業者所有の山の付近だということが後で分かりました。ところがその山の自然林を伐採して搬出する計画が明らかになり、すでに宗谷支庁も搬出許可を下しているとのことでした。
もし搬出するとなれば、川沿いに機械を入れなければならず、さらに海を汚すことになります。そこで漁協組合長と日本野鳥の会の枝幸支部長が揃って町に陳情したところ、「女性部の努力を無にしてはならない」と、その土地355ヘクタールの買い上げを決断し、議会もこれを承認し、町が取得することになったのです。
枝幸漁協女性部は今年で6,000本を植樹しましたが、植樹した後も作物を育てるように間引きをしたり、下刈りをしたり、色々と手を掛けなければなりません。素人には危険で重労働の作業です。そのため、私たちが国有林の中に植えた木の手入れは、営林署にお願いしております。署の方々は私たちの植樹のときはいつもお弁当におにぎりを差入れて下さいます。私たちはお礼にと、秋鮭鍋を100人分位作り、「浜の母ちゃん漬け」という大根のお漬物を持ってゆき、一緒に昼食を摂りながら営林署のみなさんと交流を深めています。
浜のお母さんの募金で漁村環境改善基金を創設
1998年、「道民の森」の一部(8,160ヘクタール)を北海道知事より北海道の漁協女性部に「漁民の森」として寄贈を受けました。この山は傾斜のきつい(斜度10~15度)山ですが、5年間で約40万本を植えました。
「お魚殖やす植樹運動」は、漁協女性部の活動から、次第に漁協ぐるみへの「魚の森づくり」へと発展し、さらにまちぐるみの展開になりつつあります。現在も「豊かな緑と海を育てる森づくり事業」「昆布の森づくり植樹祭」「サケの上る山づくり植樹祭」等のネーミングで、「魚のための植樹運動」が盛んです。最近では、行政による「魚つき保安林」の見直しと指定が行われるようになり、森と海のネットワークづくり、山と海の生態系研究などの取り組みが始まっております。
1999年に道漁協女性連は、部員一人当たり300円の募金をして苗木購入資金に充てる「漁村環境改善基金」を創設しました。私たちが今後取り組む課題としては、まずは漁業者の理解と関心を高めることですが、そのうえで、
- 森と海の良い関係(メカニズム)が科学的に解明されるように働きかけること。
- 植樹をした森が「魚つき保安林」に指定されるよう働きかけ、「お魚のための森林」をさらに広げていくこと。
- 農・林・水・生協などの協同組合仲間が、環境の分野で手を携えて困難を解決するための努力をしていくこと。

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