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オーシャンニューズレター

第60号(2003.02.05発行)

第60号(2003.02.05 発行)

生態系アプローチによる海洋生物資源の管理

水産庁遠洋課◆森下丈二

海洋生物資源の管理については、これまでの単一魚種管理方式から生態系アプローチ方式へ移行する動きが世界的にみられる。しかし、その考え方を実際に運用するための概念の構築は十分に行われているとは言えず、ときに政治的道具としてさえ使われうる危険性を孕むため、確固たる政策とその基礎となる資源管理哲学が必要となる。

フードウエッブを認識した、これからの生物資源管理のあり方

漁業資源を含む海洋生物資源の管理には様々な手法があるが、一般的には対象となる魚種の資源量を推定し、その資源の再生産率を超えず、資源が枯渇しないような開発率をかけて年間の捕獲可能量を決定する方式が用いられる。実際には生物学的に枯渇を回避しながら持続的に捕獲できる量(ABC: Allowable BiologicalCatch)に政策的要因を勘案して総捕獲可能量(TAC: Total AllowableCatch)が決められる。この手法は漁獲対象となる特定の魚種の資源状態のみに着目することから、単一魚種管理方式とも呼ばれる。

ところが実際の海洋生態系の中では、その生態系を構成する各種生物の間に、いわゆる"食う食われる"の関係(捕食被捕食の関係)が存在し、漁業による特定の生物の漁獲がほかの生物の資源に影響を及ぼし、逆にほかの生物資源の増減が漁業により利用できる生物の量を規定する。このような関係はトロフィックレベル※の低い生物(プランクトンなど)の上に中型魚種、大型魚種、海産哺乳動物を重ねたピラミッド型のモデルで表現されたり、より複雑に各種の生物が捕食被捕食の関係で結び付いたフードウェッブ(食物連鎖網)として表現される(図参照)。

■北西太平洋におけるエコパスモデル
北西太平洋におけるエコパスモデルの図
生態系モデルの一種であるエコパスモデルの模式図。北西太平洋に生息する30種の海洋生物を食う食われるの関係で数学的に表したもの。エコパスモデルを効果的に利用することによって漁業資源の管理が期待できるという。

この認識を反映し、現在、世界的には単一魚種管理方式から複数生物一括管理方式、または生態系アプローチ方式に移行する動きが盛んである。たとえば、2001年10月にはFAO(国連食糧農業機関)とアイスランド政府が共同開催した「海洋生態系における責任ある漁業に関するレイキャビック会議」が開催され、生態系アプローチによる責任ある漁業管理のあり方が議論された。他方、複数生物一括管理の考え方の実際の適用については、未だ発展途上にある。科学的な観点からは、各種の生態系モデルが提唱・開発され、下記のようにその実際の適用も進みつつある。ところが、この方式を運用するにあたって不可欠な論理、政策、あるいは哲学の構築は十分に行われておらず、しばしば都合の良いように解釈されている。

複数種一括管理の必要性とその試み

具体例をあげたい。かつては日本の漁船団も操業したアラスカ州沖のベーリング・アリューシャン水域は、米国漁業が年間約200万トンの漁獲をあげる米国最大の重要な漁場である。近年、この水域のトドの生息数が減少した。1970年代に比較して約80%の減少と推定されている。環境保護団体などはこの原因を、米国漁業が大量の魚を漁獲したためにトドの餌がなくなったからであると主張した。様々な調査が行われ、論争が続いた。本当にトドは減少したのか。分布域が変わっただけではないのか。トドの餌は何か。それは漁業対象種であるのか否か。結局、漁業とトドの減少を明確に結び付ける科学的証拠はないものの、「状況証拠」が積みあげられ、環境保護団体の宣伝、米国沖合大規模漁業と沿岸地元漁業の確執などがうずまくなかで、2000年、連邦地方裁判所は米国の基幹漁業であるアラスカ州沖水域のスケトウダラ漁業を実質的に約40%削減する決定を下した。生態系アプローチの名のもとにである。

日本周辺水域に目を移すと、商業捕鯨停止以来15年を経て、鯨類資源の増加が顕著となり、漁業との競合の恐れが危惧される状況となっている。水産庁が(財)日本鯨類研究所に国際捕鯨取締条約第8条の規定に基づき発給する調査研究許可により行われている鯨類捕獲調査(いわゆる調査捕鯨)のうち、北西太平洋の調査の主目的は、この鯨類と漁業の競合の実態把握である。実態把握といっても鯨類が何を食べているかを知るだけでは、適切な漁業管理には貢献できない。鯨類が、どのような魚種を、いつ、どこで、どれほどの量捕食しているかを知り、生態系の中でのほかの海洋生物との関係を理解する必要がある。この関係を数式化したものが生態系モデルであり、その構築が北西太平洋鯨類捕獲調査が最終的に目指すものである。

生態系モデルでは、たとえば図のような各種生物の捕食・非捕食関係を数式で表すとともに、それぞれの生物の資源量、増減率などのデータをインプットする。これが完成すれば、たとえば鯨類の資源量が2倍になると、ほかの生物にどのような影響が出るかをコンピューター上でシミュレーションできることが期待されている。生態系モデルには、その目的と成り立ちによってさまざまなものがあるが、現在われわれが用いているものはEcopath/Ecosimと呼ばれ、シミュレーションに重点がおかれている。このほか、大西洋のシシャモ資源の管理のために開発されたソフトであるMultSpec、これをさらに発展させてアイスランド海域のタラ資源に適用したBormicon/Gadgetなど、現在さまざまな複数種一括管理のためのモデルが開発されつつある。

いまこそ確固たる政策と資源管理哲学が求められる

生態系モデルの構築作業は開始されたばかりであるが、暫定的なデータで試験的にモデルを動かしてみたところ、日本近海で鯨類の資源量が2倍になるとサバの資源が30年で消滅するというショッキングな結果も得られている。このモデルの信頼性を高めるためには、さらに科学的データを集め、プログラムを精査していく必要があるが、わが国の研究はすでに世界の生態系アプローチ研究者から注目を集めている。いわゆる調査捕鯨が、捕鯨問題という極めて政治的、感情的国際問題のコンテクストの中でのみ論じられ、その真の科学的成果が正当な評価を得る妨げとなっていることは極めて残念であるが、単一生物管理方式から複数種一括管理方式への流れは止めようのない世界の趨勢であり、その方式のもとでは鯨類を含む海産哺乳動物などの高次捕食者を特別扱いすることはできない。

しかし、この複数種一括管理方式、または生態系アプローチの実際の適用には、科学的研究の前進のみではなく確固とした政策とその基礎となる資源管理哲学が必要である。残念ながら、前述のように生態系アプローチはいまだ確立された概念とは言い難く、政治的道具としてさえ使われうる。管理目標をどこに、どのように定めるか、漁業を含む人間の活動(それは、海洋生態系に影響を与えるのみではなく、海洋生態系から影響を受けるため双方向性が必要であり、生態系対人類という構図ではなく、むしろ人類の活動を海洋生態系の不可欠な構成要素として捉えるべきである)をいかに取り込むかなど、議論が必要な課題は困難で多様である。(了)

(本文の内容は著者個人の見解であり、水産庁の見解を代表するものではありません。)

※トロフィックレベル:食物連鎖の中での「栄養段階」

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