Ocean Newsletter
オーシャンニューズレター
第603号(2026.03.20発行)
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氷の下に眠る未来の海:Antarctic RINGSが開く新たな世界
KEYWORDS
南極氷床/極域観測戦略/地形データ統合
ノルウェー極地研究所主席研究員◆松岡健一
南極氷床の基盤の約半分は海面下にあり、温暖化に伴う氷床後退は新たな海域の出現をもたらす。しかし氷床下地形の大規模な空白が将来予測の最大の不確実性の一つとなっている。SCAR(南極研究科学委員会)とCOMNAP(南極観測実施責任者評議会)が進めるAntarctic RINGS(南極の輪)は、各国のもつ観測資源を有機的に組み合わせ、この欠落を埋め、未来の海を探る、国際的な枠組みである。
氷の下に広がる「未来の海」
南極大陸は、場所によっては厚さが4,000mに達する、世界最大の氷体である南極氷床に覆われており、「氷の大陸」と呼ばれる。しかし、その巨大な氷の下にどのような地形、そしてどのような「未来の海」、が広がっているのかは、いまだ十分に明らかではない。氷床下の地形図は他地域と比べて解像度が極めて低く、南極は地球上に残された最大規模のデータ空白域の一つである。
氷床下地形が「未来の海」につながる重要な要素は、氷床と海水の位置関係にある。南極氷床の約半分は海面下の大地に載っており、温暖化によって氷が薄くなると、海水が氷床深部へ入り込みやすくなる(図1)。氷が後退すれば、これまで氷に覆われていた領域が広大な「未来の海」として現れる。すなわち、氷床融解は地球に新たな海域を生み出すプロセスでもある。
さらに、南極氷床の挙動を左右する主因は大気ではなく海洋である。比較的暖かい深層水が大陸棚の谷を通って氷の下へ侵入し、底面融解を進める。この過程は氷床を支える接地線の後退を引き起こし、将来の海岸線の位置を決める要因となる。現在、南極周辺を循環する海流がどのルートで氷を融解させているか、その一つ一つの流れが、数百年先の海域の姿を規定していく。
しかし、この重要なプロセスの理解の最も大きな足枷となるのは、解像度の低い、精度が曖昧な地形図にある(図2)。これは近年のIPCC報告書でも、氷床予測の不確実性を高める最大の要因として繰り返し指摘されている。
氷床下地形が「未来の海」につながる重要な要素は、氷床と海水の位置関係にある。南極氷床の約半分は海面下の大地に載っており、温暖化によって氷が薄くなると、海水が氷床深部へ入り込みやすくなる(図1)。氷が後退すれば、これまで氷に覆われていた領域が広大な「未来の海」として現れる。すなわち、氷床融解は地球に新たな海域を生み出すプロセスでもある。
さらに、南極氷床の挙動を左右する主因は大気ではなく海洋である。比較的暖かい深層水が大陸棚の谷を通って氷の下へ侵入し、底面融解を進める。この過程は氷床を支える接地線の後退を引き起こし、将来の海岸線の位置を決める要因となる。現在、南極周辺を循環する海流がどのルートで氷を融解させているか、その一つ一つの流れが、数百年先の海域の姿を規定していく。
しかし、この重要なプロセスの理解の最も大きな足枷となるのは、解像度の低い、精度が曖昧な地形図にある(図2)。これは近年のIPCC報告書でも、氷床予測の不確実性を高める最大の要因として繰り返し指摘されている。
■図1 棚氷と接地線付近の模式図。暖水による融解は接地線後退を引き起こし、基盤地形によっては氷床の安定性に大きく影響する。その理解には基盤地形の詳細把握が重要である。
■図2 接地線から内陸100kmにおける氷床下地形データの分布。赤は1990〜2010年、青は2010年以降に取得された地域を示すが、多くの地域でデータ密度は低い。特に日本の昭和基地(東経40度)以東は、南極でも最もデータが乏しい地域である。
(原図出典:Matsuoka et al., in review, Reviews of Geophysics, DOI: 10.22541/essoar.175241971.19851046/v1)
Antarctic RINGSが目指す国際連携の新しいかたち
氷床下の理解に向けた国際的な地図整備は着実に進んでいる。2025年に公開された南極地図Bedmap3は、これまでで最も大規模な氷床下地形データ統合モデルである。南大洋の海底地形を示すIBCSO(国際南大洋海底地形図)も改訂が進み、最新のデータが世界中の研究者によって利用されている。IBCSOはGEBCO(大洋水深総図)計画の一部であり、この全球海底地形プロジェクトには日本財団が長年にわたり支援を続けてこられた。海洋底を可視化する国際的基盤づくりにおける日本の貢献は大きい。
しかし、Bedmap3もIBCSOも基本的には既存データの統合を目的としており、氷床沿岸域の地形という最も基礎的で重要なデータを、隙間なく、充分な密度で取得するため、国際的に調整する仕組みは存在しなかった。衛星観測の進歩により氷床表面の変動は詳細に捉えられるようになり、数値モデルも高度化が著しい。一方で、氷床下地形の空白は航空機や地上観測でのみ可能なため、将来予測の精度を制約するボトルネックとして残っている。
この課題に応えるために登場したのがAntarctic RINGSである(図3)。Antarctic RINGSの核心は、「データを集めること」そのものではなく、「観測船・航空機・研究チームを国際的に調整し、戦略的にギャップを埋める」という観測体制の再構築にある。南極氷床で最も変化が激しい氷床沿岸域を円環状(リング)に区切り、各国が分担して観測する枠組みは、「これまでのデータの足し算」を「国際協力による掛け算」へと発展させる。
しかし、Bedmap3もIBCSOも基本的には既存データの統合を目的としており、氷床沿岸域の地形という最も基礎的で重要なデータを、隙間なく、充分な密度で取得するため、国際的に調整する仕組みは存在しなかった。衛星観測の進歩により氷床表面の変動は詳細に捉えられるようになり、数値モデルも高度化が著しい。一方で、氷床下地形の空白は航空機や地上観測でのみ可能なため、将来予測の精度を制約するボトルネックとして残っている。
この課題に応えるために登場したのがAntarctic RINGSである(図3)。Antarctic RINGSの核心は、「データを集めること」そのものではなく、「観測船・航空機・研究チームを国際的に調整し、戦略的にギャップを埋める」という観測体制の再構築にある。南極氷床で最も変化が激しい氷床沿岸域を円環状(リング)に区切り、各国が分担して観測する枠組みは、「これまでのデータの足し算」を「国際協力による掛け算」へと発展させる。
■図3 Antarctic RINGSのロゴ。航空機を主に使って、南極沿岸域を少なくとも3周するというプロジェクトの目標を示している。実際は、3つの輪を地域ごとに区切り、データ空白域が出ないように調整しながら、地域ごとの観測を行う。
「未来の海」を描くために
日本の36倍もの面積をもつ南極大陸の観測は一国で完結するものではない。国際的に協調した観測を推進するための中心的役割を担うのがSCAR(南極研究科学委員会)とCOMNAP(南極観測実施責任者評議会)であり、RINGSはすでにこの枠組みの中で調整を進めている。さらに、2032~33年に実施される第5回国際極年(IPY)に向け基盤づくりが始まっており、RINGSはその中心的要素の一つになりつつある。
2026年5月には南極条約協議国会議(ATCM)が広島で開催される。世界の科学者、外交官、観測プログラムの責任者らが集まり、南極の未来が議論される重要な機会である。続く同年の8月にはノルウェーでSCARとCOMNAPの年次会合が開催されるため、RINGSにとっても観測協力の深化に向けた好機となる。
国際協力を現実の観測につなげるには、理念だけでは不十分である。各国の観測計画を調整し、共同観測を着実に実施するためには、国境を越えた継続的な後押しが不可欠となる。海底地形を可視化する取り組みが国際的な科学協力を大きく進展させてきたように、南極においても個々の支援が大きな連携の広がりにつながる。特にノルウェーが主導するインド洋域でのRINGS計画は、その先駆けとして、単に研究者を相互派遣するのではなく、観測船・航空機・観測基地の持つサポート機能を結び付ける、日本を含む合計10カ国の国際共同プロジェクトとして育ちつつある。次の南極観測シーズンに向けて、日本の昭和基地を起点に大規模な航空機観測の準備も進んでいる。そして、こうした新しい協力の芽が各地で生まれ始めている。それらを有機的に結び付け、より大きな力に変えていく触媒としての役割がますます求められている。
興味深いことに、RINGSの理念そのものは新しいものではない。1968年、東京で開かれた会議で南極を環状に観測するという構想がすでに示されていた。半世紀を経て技術と国際ネットワークが追い付いた現在、その構想が現実味を帯びてきた。
「未来の海」を理解するには、科学、外交、そして国際協力をつなぐ継続的な取り組みが必要である。Antarctic RINGSはその結節点として、南極観測を、そして北極を含む両極観測の未来を照らす新たな先駆けとなることを目指している。(了)
2026年5月には南極条約協議国会議(ATCM)が広島で開催される。世界の科学者、外交官、観測プログラムの責任者らが集まり、南極の未来が議論される重要な機会である。続く同年の8月にはノルウェーでSCARとCOMNAPの年次会合が開催されるため、RINGSにとっても観測協力の深化に向けた好機となる。
国際協力を現実の観測につなげるには、理念だけでは不十分である。各国の観測計画を調整し、共同観測を着実に実施するためには、国境を越えた継続的な後押しが不可欠となる。海底地形を可視化する取り組みが国際的な科学協力を大きく進展させてきたように、南極においても個々の支援が大きな連携の広がりにつながる。特にノルウェーが主導するインド洋域でのRINGS計画は、その先駆けとして、単に研究者を相互派遣するのではなく、観測船・航空機・観測基地の持つサポート機能を結び付ける、日本を含む合計10カ国の国際共同プロジェクトとして育ちつつある。次の南極観測シーズンに向けて、日本の昭和基地を起点に大規模な航空機観測の準備も進んでいる。そして、こうした新しい協力の芽が各地で生まれ始めている。それらを有機的に結び付け、より大きな力に変えていく触媒としての役割がますます求められている。
興味深いことに、RINGSの理念そのものは新しいものではない。1968年、東京で開かれた会議で南極を環状に観測するという構想がすでに示されていた。半世紀を経て技術と国際ネットワークが追い付いた現在、その構想が現実味を帯びてきた。
「未来の海」を理解するには、科学、外交、そして国際協力をつなぐ継続的な取り組みが必要である。Antarctic RINGSはその結節点として、南極観測を、そして北極を含む両極観測の未来を照らす新たな先駆けとなることを目指している。(了)
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