Ocean Newsletter

オーシャンニューズレター

第5号(2000.10.20発行)

第5号(2000.10.20 発行)

これからの漁業に求められる視点

林崎漁業協同組合 顧問◆鷲尾圭司

「水揚げしたら終わり」の漁業をいつまで続けていても、漁村の暮らしはけっしてよくならない。豊かな漁業を取り戻すための糸口は、どこかにあるのだろうか。

日本の海の主役であった漁業は、ずいぶん衰退したと嘆かれるようになって久しい。漁業生産額の低迷や漁業者人口の減少が、それを言わせているのだろう。海産物のファンがいなくなったわけではない。水産物消費は著しい伸びを見せているとはいえないものの、日本の食文化の一方の柱として、やはり好きな食べ物の一角に踏みとどまっている。ただし、水産物消費の半分が輸入によってまかなわれているという内容の変化を伴ってのことだ。水産大国の日本が、どうしてこのようになってきたのだろうか。漁業の側から眺めてみた。

今までの日本の漁業は「水揚げしたら終わり」だった。「とる漁業から作り育てる漁業へ」などの漁業の改革策は呼ばれているが、いずれにしても漁獲したものを漁港に水揚げすれば漁業の役割は終わるというものだった。あとは流通・消費の問題で、漁業がとやかく言うものではないという雰囲気が強かった。だから漁業としては、大漁旗を上げることが漁村を豊かにすることだと、最大の生産をあげることに努力してきた。しかし、こうした努力を続けてきたにもかかわらず、漁村の暮らしはよくならず、若者の流出が続き、高齢化と後継者難が拡大してきた。大漁生産と効率的な流通に依存する漁業になると、獲ってきたものが加工材料に回されるなどして直接地元の人々の口に入らず、産地であるにもかかわらず地元の人たちの喜びにつながってこなくなってきた。生産基地としての機能は向上しても、そこで働く漁業者の生きがいにはつながらなくなってきたとも言えるだろう。また、市場を無視して獲ってくる魚は、消費者の気持ちをつかめず、輸入物に人気を奪われる結果となった。

これからの漁業は、水揚げした後、最終的に消費者がどのように食べるかを見届け、その食文化を助ける形で生産を見直す必要があるだろう。消費者は、新鮮な魚を安心しておいしく、楽しく食べたいと思っている。その口に、どのような形で魚を届ければよいかから始めるのだ。消費形態は地域によって異なるから、自分たちが判断しやすい地元が一番有利になる。安心は、誰がどのように心を配って生産しているかにかかっているから、顔の見える関係が大切で、楽しさには物語性が大切になる。漁業はこれまで目もくれなかった地域の消費動向を目の当たりにして、売れる魚の見極めをつけなければならない。売れないものを獲れば、経費倒れの大漁貧乏になるだけだ。違反操業など胸を張れない仕事ぶりでは、消費者の信頼は得られない。獲るための苦労、育つのを待つ喜び、仕事場の自然の豊かさなど、消費者に伝える物語はたくさんある。こうして市場の求めに応じて、管理された漁業資源をゆっくりと利用していけば、なかなか楽しい漁業にできそうである。

筆者は、明石海峡を舞台に「イカナゴのくぎ煮」の普及活動を通じて、上記の工夫を重ねてきた。3月の明石海峡の話題を風の便りにでも聞かれたら、ここに述べてきた漁業復権の戦略が思い浮かべていただけるものと思う。

海は、大量生産や効率性の追求だけでは生み出せない、きめの細かな豊かさをそれぞれの地域にもたらしてくれている。

 

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  • 編集後記 ニューズレター編集代表(横浜国立大学国際社会学研究科教授)◆来生新

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