Ocean Newsletter
オーシャンニューズレター
第595号(2025.07.20発行)
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海洋科学と政策の結節点─国連海洋会議からその先へ
KEYWORDS
ウッズホール海洋研究所(WHOI)/海洋と気候の相互作用/海洋二酸化炭素除去(mCDR)
米国ウッズホール海洋研究所(WHOI)所長◆Peter B.de MENOCAL
ウッズホール海洋研究所(WHOI)は世界最大の民間海洋研究機関であり、基礎・応用の両面から海洋に関わる根本的課題の理解を深め、その知見をもとに喫緊の課題に挑んでいる。現在は、炭素循環の解明や海洋二酸化炭素除去(mCDR)といった課題の最前線で研究を進めている。
ウッズホール流
海洋科学における日本のリーダーとしての長く輝かしい歴史は、ウッズホール海洋研究所(WHOI(フーイー))※の歩みと見事に結び付きます。WHOIは世界最大の民間の海洋研究機関であり、マサチューセッツ工科大学(MIT)との共同教育プログラムを55年間にわたって継続し、次世代を育ててきました。私たちの使命は、基礎・応用の両面から海洋に関わる根本的な課題や問いの理解を深め、その知見を用いて、より喫緊の課題への答えを探求することです。
組織のトップになると、「就任して最初の1~2年でもっとも驚いたことは何ですか」と尋ねられることがあります。私がいちばん驚いたのは、その規模の大きさにもかかわらずWHOIが非常に機動力に富んだ組織であるという点でした。私たちは、他の組織には扱いにくい高コストの問題にも、研究者がリスクを恐れずに新技術を適用し、素早く取り組むことができます。また、WHOIは階層が少なくフラットで協働を尊ぶ文化があり、チームワークが浸透しています。さらに、WHOIを特徴づけるのは比類なき海へのアクセスです。それは単に世界水準の調査船を持つからではなく、センサーネットワークと自律型探査機を駆使し、海を見る新たな方法を切り拓いているからです。水深6,500mまで潜航できる有人潜水艇アルビン(DSV Alvin)は最近改装され、その探査過程で地球上の生命起源の一つと考えられる熱水噴出孔を発見しました。この種の根源的発見は、リスクを取ることをいとわない人々から生まれるのです。
組織のトップになると、「就任して最初の1~2年でもっとも驚いたことは何ですか」と尋ねられることがあります。私がいちばん驚いたのは、その規模の大きさにもかかわらずWHOIが非常に機動力に富んだ組織であるという点でした。私たちは、他の組織には扱いにくい高コストの問題にも、研究者がリスクを恐れずに新技術を適用し、素早く取り組むことができます。また、WHOIは階層が少なくフラットで協働を尊ぶ文化があり、チームワークが浸透しています。さらに、WHOIを特徴づけるのは比類なき海へのアクセスです。それは単に世界水準の調査船を持つからではなく、センサーネットワークと自律型探査機を駆使し、海を見る新たな方法を切り拓いているからです。水深6,500mまで潜航できる有人潜水艇アルビン(DSV Alvin)は最近改装され、その探査過程で地球上の生命起源の一つと考えられる熱水噴出孔を発見しました。この種の根源的発見は、リスクを取ることをいとわない人々から生まれるのです。
私たちの主な関心事
現在、多くの科学者が、海洋と気候の役割や、それらの相互作用が海面上昇や沿岸資産(沿岸の港湾・住宅・交通網や観光資源等)に及ぼす影響について研究しています。また、洋上風力などの次世代エネルギー、将来の食料安全保障、とりわけ漁業が気候変動や乱獲の影響をどう受けるかといった問題に加え、海棲哺乳類、サンゴ礁、海と人の健康、赤潮などの有害藻類ブルーム、技術、そして将来の海洋センシングにも目を向けています。
WHOIは現在、海洋マイクロプラスチックに関する大型プロジェクトを主導しており、太陽からの紫外線曝露で分解するプラスチックを開発しました。サンゴ保全ではWHOIの5部門横断で研究者が連携し、急速に失われつつあるサンゴ礁生態系の運命に立ち向かっています。
来訪者が胸躍らせるのは、私たちのロボットラボを見学したときです。年間約5,000万ドルの連邦資金で運営する「海洋観測イニシアチブ」は、世界のホットスポット海域にセンサー網を張り巡らせ、海洋環境の変化、例えば海洋温暖化が沖合漁業に与える影響を探ります。皆さんはおそらくArgoプログラムをご存じでしょう。これは世界の海に約4,000基のフロートを展開するもので、その4分の1は私たちのチームが開発・投入しました。これまでで最大かつ最も成功した共同海洋科学事業と言えるでしょう。これらのフロートは主に温度と塩分を測定し、大気中の温室効果ガスによる余剰熱の約93%を海が吸収したことを示しました。しかし、海が生きて呼吸する流体としてどのように機能しているか、つまり海の惑星である地球の炭素循環を理解するには、私たちはほぼ手探りの状態です。海には大気の50倍の炭素貯蔵容量があり、地球温暖化の影響を反転させるべく「海が大気中の炭素をさらに取り込めるか」を探究する組織が世界各地に数多く存在します。実際、その試みはすでに動き始めています。海は毎年、二酸化炭素(CO2)の人為的排出量のおよそ4分の1を吸収しているため、公的な監視の目が及びにくい民間主体の組織も、この海洋炭素吸収の仕組みを利用しようと模索しているのです。そこでWHOIは本件に対する立場を明確にしました。すなわち、まず基礎科学がこの課題に関する知見の最前線をリードしなければならない─さもなければ、大規模な介入を行った際に生じ得る予期せぬ影響について社会に示唆を与える機会を失う、という考えです。海の炭素吸収能力を「増幅」し、光合成を利用してさらなる有機炭素を深海へ沈降させるという発想は、地質時代に実際に海洋が行ってきたことでもあります。事実、氷期と間氷期の間で海は大気中の二酸化炭素を100ppm分引き下げたと推定されています。しかし私たちは、現代において同規模の手法を実施した場合に、本当に望ましい結果が得られ、安全かつ効果的に機能するのかをまだ理解していません。そのためWHOIでは、生物学的手法だけでなく、鉱物風化促進など非生物的(abiotic)な解決策についても並行して検討を進めています。
WHOIは現在、海洋マイクロプラスチックに関する大型プロジェクトを主導しており、太陽からの紫外線曝露で分解するプラスチックを開発しました。サンゴ保全ではWHOIの5部門横断で研究者が連携し、急速に失われつつあるサンゴ礁生態系の運命に立ち向かっています。
来訪者が胸躍らせるのは、私たちのロボットラボを見学したときです。年間約5,000万ドルの連邦資金で運営する「海洋観測イニシアチブ」は、世界のホットスポット海域にセンサー網を張り巡らせ、海洋環境の変化、例えば海洋温暖化が沖合漁業に与える影響を探ります。皆さんはおそらくArgoプログラムをご存じでしょう。これは世界の海に約4,000基のフロートを展開するもので、その4分の1は私たちのチームが開発・投入しました。これまでで最大かつ最も成功した共同海洋科学事業と言えるでしょう。これらのフロートは主に温度と塩分を測定し、大気中の温室効果ガスによる余剰熱の約93%を海が吸収したことを示しました。しかし、海が生きて呼吸する流体としてどのように機能しているか、つまり海の惑星である地球の炭素循環を理解するには、私たちはほぼ手探りの状態です。海には大気の50倍の炭素貯蔵容量があり、地球温暖化の影響を反転させるべく「海が大気中の炭素をさらに取り込めるか」を探究する組織が世界各地に数多く存在します。実際、その試みはすでに動き始めています。海は毎年、二酸化炭素(CO2)の人為的排出量のおよそ4分の1を吸収しているため、公的な監視の目が及びにくい民間主体の組織も、この海洋炭素吸収の仕組みを利用しようと模索しているのです。そこでWHOIは本件に対する立場を明確にしました。すなわち、まず基礎科学がこの課題に関する知見の最前線をリードしなければならない─さもなければ、大規模な介入を行った際に生じ得る予期せぬ影響について社会に示唆を与える機会を失う、という考えです。海の炭素吸収能力を「増幅」し、光合成を利用してさらなる有機炭素を深海へ沈降させるという発想は、地質時代に実際に海洋が行ってきたことでもあります。事実、氷期と間氷期の間で海は大気中の二酸化炭素を100ppm分引き下げたと推定されています。しかし私たちは、現代において同規模の手法を実施した場合に、本当に望ましい結果が得られ、安全かつ効果的に機能するのかをまだ理解していません。そのためWHOIでは、生物学的手法だけでなく、鉱物風化促進など非生物的(abiotic)な解決策についても並行して検討を進めています。
将来の課題
ここから先にお伝えしたいのは、私たちがまさに今取り組んでいる将来像です。Argoフロート網は、主に水深2,000mまでの海水温・塩分・圧力を計測してくれますが、全球規模の炭素循環は依然として不明です。そこで私たちは、海中を張り巡らせるセンサー網、いわば 「海のインターネット」を構想しています。このネットワークでは、炭素や炭素関連の栄養塩を計測するセンサーを、炭素循環のホットスポット、環境変化が急速に進む海域、海洋二酸化炭素除去(Marine CDR)の実証実験を行う予定の海域に集中的に配置します。こうして得られるリアルタイムデータを通じて、二酸化炭素吸収効果の大きさ、深海への貯留がどれだけ長持ちするか(耐久性)、生態系や沿岸社会への安全性、技術的・経済的に本当に実行可能か(実用性)─これらを総合的に検証しようというわけです。これにはWHOIだけでなく、米国や各国の機関が参画予定です。
この計画は、理事長(Board Chair)の寄付2,500万ドルから始まりました。彼はこの課題に強く心を動かされ、直ちに着手すべきだと言いました。連邦資金と合わせて約5,000万ドルを調達しましたが、十億ドル規模の課題であり、世界全体の協力が必要です。国連には、海洋分野ではまだ胎動期にあるものの、炭素取引メカニズムが整備されつつあります。さらに、拡張可能な解決策に資金を提供するGlobal Greenhouse Watch Programも存在しますが、その対象は主として陸域です。私たちは、海洋に固有の大規模性を生かすため、利害関係者がこの種の取り組みを加速できる世界的ハブとして「国連オーシャン・クライメート・ソリューションズ・センター」の創設を検討しています。ただし、最も難しいのは「人」をどう集めるかという点です。規模の大きな解決策に対する社会的許容という根本的な問いにどう応えるのか。利害関係者を巻き込みつつ国際的パートナーをどのように結集し、海洋政策を策定していくのか─。これらの課題を提起しつつ、皆さまの温かいおもてなしに感謝して本講演を締めくくります。(了)
この計画は、理事長(Board Chair)の寄付2,500万ドルから始まりました。彼はこの課題に強く心を動かされ、直ちに着手すべきだと言いました。連邦資金と合わせて約5,000万ドルを調達しましたが、十億ドル規模の課題であり、世界全体の協力が必要です。国連には、海洋分野ではまだ胎動期にあるものの、炭素取引メカニズムが整備されつつあります。さらに、拡張可能な解決策に資金を提供するGlobal Greenhouse Watch Programも存在しますが、その対象は主として陸域です。私たちは、海洋に固有の大規模性を生かすため、利害関係者がこの種の取り組みを加速できる世界的ハブとして「国連オーシャン・クライメート・ソリューションズ・センター」の創設を検討しています。ただし、最も難しいのは「人」をどう集めるかという点です。規模の大きな解決策に対する社会的許容という根本的な問いにどう応えるのか。利害関係者を巻き込みつつ国際的パートナーをどのように結集し、海洋政策を策定していくのか─。これらの課題を提起しつつ、皆さまの温かいおもてなしに感謝して本講演を締めくくります。(了)

特別講演会(2025年4月16日、於笹川平和財団)で基調講演を行うde Menocal氏
●本稿は、2025年4月16日に笹川平和財団ビルで開催された特別講演会の内容をもとに作成されたものです。 https://www.spf.org/opri/event/20250417.html
●本稿は、英語の原文を翻案したものです。原文は、当財団英文サイトでご覧いただけます。
※ https://www.whoi.edu/
●本稿は、英語の原文を翻案したものです。原文は、当財団英文サイトでご覧いただけます。
※ https://www.whoi.edu/
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