Ocean Newsletter

オーシャンニューズレター

第56号(2002.12.05発行)

第56号(2002.12.05 発行)

拡がる、水辺をとりまくコミュニケーション

龍谷大学経済学部助教授◆松浦さと子

ラムサール条約登録湿地として世界にその保全が歓迎された、名古屋市の「藤前干潟」。都会のゴミで埋め尽くされる危機から、この干潟を救うことになったのは、「藤前干潟を守る会」の干潟をとりまく豊かなコミュニケーションがあった。干潟への関心を高めた対話から、NPOの役割を探る。

ゴミによる埋め立て計画が中止された「藤前干潟」

藤前干潟

ゴミで埋め立てるという計画が断念され、全国的にも世界的にも知られるようになった干潟がある。名古屋の「藤前干潟」である。先頃、国設鳥獣保護区に指定され、周辺自治体から賛同の意見に包まれたほか、この干潟の保全の意義がNPO/NGO代表らから寄せられた。なかでも「藤前干潟を守る会」の活動を続けてきた辻淳夫代表は賛同の自治体や参加者に礼を述べ、「開発の手から離れれば、渡り鳥のシギやチドリ、カニやアナジャコなど海の生き物たちも喜ぶだろう。しかし、それにも増してゴミとせめぎあった貴重な都市の経験、海や森を含む循環型社会への提言を子孫に伝えるメッセージとなる」として、干潟保全だけでなく教育資源としての重要性をも呼び掛けた。名古屋市は干潟保全を契機に、市民の努力でゴミが2割も減少し、干潟を埋める必要をゼロにした。そして、2002年11月、藤前干潟はラムサール条約登録湿地として、世界にもその保全が歓迎された。

干潟はこれまでの歴史のなかで埋められるのが当然の場所だった。だから都市部の海岸線は定規で引いたような直線になっている。干潟保全運動は人のために埋めるか、鳥のために残すか、「人か鳥か」という二項対立で描かれてきた。都市生活から出る増え続けるゴミを処分するために、干潟を埋めることに反対する人は少なく、干潟を保全しようという世論が起こるまでに長い長い年月を要した。この小論で紹介したいのは、人々が考えや行動を変えるためにはどういうコミュニケーションが必要だったのか、という観点からの守る会の活動だ。

「守る会」が果たした役割

「守る会」は、名前のなかった干潟に「藤前干潟」と名付け、埋め立て事業者である名古屋市からの再三の計画縮小提案にあきらめることなく100%保全を訴え、ニューズレターを発行し、シンポジウムを開催し、マスメディアを通して運動の経過を知らせた。伝えたかったのは、渡り鳥にとってかけがえのない餌場であり、子供達の自然への発見の入り口でもあり、汚れた海水の浄化作用をも備えるという干潟の意義だ。少なからぬ人々がそれを理解し、保全に理解と協力を惜しまなかった。渡り鳥が藤前を訪れる時期に干潟で開催される「いきものまつり」は、口コミで序々に参加者が増えていた。しかし、そのメッセージが社会を動かすまでにはならなかった。

鍵は、運動の最盛期となった保全までの2年間、守る会の代表が活用したパソコンとインターネット、いわゆる電子ネットワークだった。「どちらに転送していただいてもかまいません」と発信された辻代表のメッセージは、複数のメーリングリスト(登録メンバー全員に同時にメールが届くシステム)を通じて多くの人に届いた。連絡先が明記された顕名のメールは、新聞記事やテレビの情報とつき合わされて確認され、人から人へ善意の転載で多くの人に届き、それだけでなくそれらが学校教材や調査研究に用いられ、発信した本人の意図しない範囲にまで到達した。

転載のエネルギーの根拠となったのはメッセージへの信頼である。この信頼の源泉が何によるものかは、さまざまな要素が考えられるが、ひとつは発信された情報が、活動の現場でしか得られない「一次情報」であったということが大きい。「守る会」の辻代表は語る。「百聞は一見に如かず、しかし百見は一触に如かず。触ってみなければ干潟のすばらしさはわかりません」。辻がもし、干潟に立つことのない単なる評論家であったら、ここまでメッセージが拡がったかどうかはわからない。

そうした現場から発信された一次情報が介在して「守る会」は信頼を集め、これまで共に集うことのなかった全国の干潟保全運動の仲間が連携し情報交換が可能になっただけでなく、環境アセスメントのあり方、公有水面の法的取得、干潟の経済価値、文学に読まれた干潟、メディアでの報道のされ方など多方面の研究成果が持ち込まれるだけでなく、異なる関心領域の知識が「守る会」に結集し、市民の叡智によって、代替案が検討された。

また、辻代表がラムサール条約締結国会議などの国際会議に参加するほか、英語とドイツ語のサイトを備えたホームページや、研究者の海外での発表など「ゴミで埋め立てられる貴重な渡り鳥の楽園の危機」という情報は、鳥や干潟、環境問題について意識の高い人々を通じて国際的に知られていった。名古屋市に届けられた意見書の3分の1が海外からのものだったことは、こうした背景が関係していることと推測できる。

守る会は、干潟を取り巻くそれらの情報資源を組織化し、配分する役割を担った。言い替えれば、干潟保全のためのコミュニケーションの仕切り役として、適切なタイミングで、ふさわしい場にふさわしい形で情報提起をした。アセスメントで急場に揃えられたデータとは異なって、渡り鳥の数、種類、時期、採餌量など「守る会」結成以前にさかのぼる1970年代からの「鳥類保護研究会」の長い活動の間に集められた貴重なデータの集積を、電子ネットワークでネットに再編成したのである。

筆者は、こうした干潟を取り巻くNPO/NGOのコミュニケーションに「つなぐ」「ひらく」「わけあう」機能を見ている。異なる世代や領域、専門分野や言語、セクター間を「つなぎ」、行政に働きかけて公開されていない情報を明らかにし、交渉の場を「ひらき」、貴重なデータや活動の成果を「わけあう」。こうした機能に集約されるNPOの情報マネジメントが、干潟保全に向かう世論形成に大きく貢献したと考えている。干潟をとりまくコミュニケーションに高い意識を持ったNPO/NGOが関わることで、世論を変えることができるかもしれないのである。

藤前干潟から諫早へ、川辺川へ

名古屋市には誇るべき干潟がある。守るべき干潟のために、2割もごみを減らした多くの市民がいる。藤前干潟を知らない名古屋市民はいない。そこに至るまで、あきらめずに干潟のことを語り続けた人々がいた。

そして今、閉じられた諫早湾の潮受け堤防を再び開けるために、川辺川ダム事業を止めるために、今夜もパソコンに向う人々がいる。諫早にはムツゴロウの住む広大な干潟が「あった」のだ。川辺川には巨鮎の住む清流が「ある」のだ。その水辺環境を取り戻そうと電子メールをしたためる。彼、彼女たちは、機械の虜ではなく、実際に海や川での活動の現場からの一次情報を発信するため、パソコンの前とを往復している。そのメッセージが社会の隅々に「転送」されるようになれば、事態は何らかの変化を見せるだろう──。もちろん、そのコミュニケーションがインターネットを介在する必要などない。人と人が向き合って干潟や清流について語り合うことが最も大切であることは言うまでもない。(了)

● 「藤前干潟を守る会」
( http://www.fujimae.org/)

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