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オーシャンニュースレター

第53号(2002.10.20発行)

第53号(2002.10.20 発行)

鯨の座礁について考える

日本鯨類研究所 理事長◆大隅清治

鯨類の座礁には種々の原因が考えられるが、最近各地で座礁例が増加しつつあり、地方自治体は対応に苦慮する場合が多い。鯨類の座礁・漂着を一種の自然災害と捉え、早急に対策マニュアルを整備すべきである。

座礁、漂着、ストランデイング、迷入

鯨類は完全水生の哺乳動物であり、普段は陸上にいる人の目に触れることはほとんどない。しかし、稀に生きた個体が岸にのし上がることがある。それを「座礁」という。その中で、群れで生活している種類が、ほぼ同時に、ひとつの場所に、多数座礁する場合を「集団座礁」と呼んでおり、この例が特に大きな話題となる。また、何らかの原因で水中で死んだ個体が岸に打ち上げられる場合を、「漂着」という。両者を合わせて、英語の「ストランデイング」の用語が日本でもよく使われている。さらに、動物が、本来は分布しない環境に入り込む現象を「迷入」という。先日多摩川で発見されて話題となった、タマちゃんは、アゴヒゲアザラシの迷入の例であるが、鯨類でも同様な例が時々報告される。

クジラの座礁は何が原因で起きるか?

鯨類の座礁の原因についての学説には、12種ほどの多数が提唱されている。

透明度の悪い水中に住む鯨類は、音を利用して生活している。鯨類はパルス波の音を発し、それが物体に当たって反射してくる音をレーダーのように利用して、物体の方向、距離、性質を瞬時に判断して行動する。座礁の原因として、浅瀬の砂がクジラから発する音を反射しない場合が挙げられる。また、クジラの聴覚器官が損傷して、反射音を正しく判断できないことも原因とされている。座礁したクジラの内耳を検査すると、線虫がそこに寄生している例が多いことから、この説が提唱された。

集団座礁の原因としては、リーダーの誤誘導説がある。鯨類には群れを作って生活する種類があり、特に社会性の発達している種類では、リーダーがその群れを統率していると考えられている。そして、リーダーが何らかの理由で判断を誤ると、その群れの全員が座礁してしまう。地球には地磁気が地図の等高線のように走っており、クジラは地磁気を感知でき、地磁気に沿って回遊すると考えられる。しかし、地磁気は時々乱れることがあり、それに誘導されてクジラが座礁するとする説が提唱されている。その他、天敵からの逃避説、餌の深追い説、海況変動説などがあり、さらには、自殺説や個体群調節説も挙げられている。

個々の場合で、座礁の原因は異なり、それぞれの具体例について充分に調査して、その原因を究明すべきである。

座礁例の増加はクジラの資源回復の反映だ

鯨類のストランデイング例の近年における増加の傾向は著しい。自然保護運動や動物愛護精神の昂揚、生活の余裕の増加などに伴って、鯨類についての人々の関心も高まり、マスコミがその風潮を受けて、座礁例を大きく報道するようになったことも、その理由として挙げられる。

また、最近のストランデイング例の増加は、環境の悪化によるものではないかと考える人もいる。社会開発に伴う生息環境の悪化によって、淡水性や汽水性の鯨類が悪影響を受けていることは確かである。しかし、鯨類の大部分は外洋で生活しており、そこではいまだに大きな環境変化は顕われていないので、それが最近におけるストランデイングの増加の主原因とはならない。

最大の原因は鯨類資源の増加にある。ストランデイングの例数は資源量と正の相関があることはいうまでもない。その証拠として、日本近海ではマッコウクジラの資源は年率11%の割合で増加しつつあり、最近の静岡や鹿児島でのこの鯨種の座礁例は、この現象と無関係ではあり得ない。また、東系群のコククジラの資源量は環境収容量に近づきつつあり、最近では北アメリカの太平洋岸に毎年多数の痩せこけた個体が漂着している。

海に戻すことが解決策とは限らない

鯨

今年の初めに鹿児島県大浦町で14頭のマッコウクジラが座礁し(写真)、救出作戦が展開されたが、町は6千万円の金を使い、多数の人員と時間を投入したにもかかわらず、やっと1頭を海に戻しただけであったというニュースが、大きく報道された。近年日本でも、座礁した鯨類を救出しようとする人々の努力の様子が美談のように報道される。しかし、そのような行動は人間の自己満足に過ぎない。実際には、せっかく苦労して鯨を海に戻しても、その個体がすぐに再び近くの海岸に座礁する例が多いのである。しかも、大きなクジラの救出には多額の費用と危険な作業が伴う。

人間は自己満足のために、動物の意思を無視すべきでない。救出のために長い時間をかけて、その間に動物の体を傷つけたり、苦しめたりするよりも、できる限り速やかに安楽死させることの方が、動物にとって幸福であり、慈悲であると考える。

座礁・漂着対策マニュアルの整備を

鯨類の座礁、漂着は地方自治体にとって、突然襲う一種の自然災害である。これまで何回もストランデイング例があったが、対策が定まっていないため、その都度関係者が右往左往するだけである。自治体にとっては、救出や死体の処理が大きな失費となり、迷惑な出来事である。

鯨類のストランデイングを自然災害であると認識すれば、これをひとつの危機と捉え、それに対処するシステムを、市町村、県、あるいは国レベルで、早急に確立するべきである。それには、以下の諸点について、住民ないし国民の意識の統一が必要であると考える。

第1に、市町村ごとに座礁・漂着対策マニュアルを作成し、座礁・漂着対応ネットワークを確立し、座礁または漂着鯨を発見した住民は速やかに当該市町村に通報し、市町村長がすべての指揮を執り、関係機関に連絡すること。

第2に、座礁鯨を救出する努力をしないで、速やかに安楽死させること。

第3に、調査マニュアルにしたがって、座礁、漂着個体について、必要な計測と標本の採取を行い、定められた研究機関に送付すること。

第4に、生きていた個体はできる限り食用にすることを許し、死体の処理は自治体に任せ、学術研究と社会教育の用に供する、などして、海の幸としての利用に努めること。

第5に、座礁・漂着対策基金を確保しておくこと。それには、保険制度の導入も検討すべきである。

国土が狭く、陸上からの食料には不足しているが、幸いに周りを生産性の豊かな海に囲まれた日本では、座礁鯨の食料としての利用は、有史以前からの伝統である。また、ストランドした鯨類は、学術研究にも大きく貢献する。かって秋田県で座礁した鯨を研究して、イチョウハクジラという新種を発見した。また、今年7月に鹿児島県に座礁したクジラは、新種である可能性が出てきた。

このように、鯨類を海の幸として種々に活用することを基本とする、座礁、漂着対策マニュアルの確立が強く望まれる。水産庁はこの程、「座礁鯨類処理問題検討委員会」を発足させた。この委員会の成果に期待したい。(了)

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