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第53号(2002.10.20 発行)
第53号(2002.10.20 発行)

河村瑞賢に学ぶ ~日本の沿岸航路はいかにして開発されたか~

電気事業連合会 顧問、元運輸省◆谷 弘

技術革新は、自然科学的な部分の開発のみでは、完結しない。それを成功させ根付かせるためには、社会科学を含めた総合的変革が必要である。江戸の商人、河村瑞賢による日本沿岸航路の開発は、その意味で学ぶことの多い事跡である。

1.東回り・西回り航路の開発

■房総半島の冬季の風向と潮流
(浅井他「日本・世界の気象図」を参考)
房総半島の冬季の風向と潮流

河村瑞賢は、東回り航路・西回り航路の開発者として知られ、江戸時代の海運を語る時には忘れられない人である。その事跡を調べていくと、現場状況の詳細な観察と広い視野からの計画はすばらしいものがあり、現代のわれわれから見ても学ぶべき点が多い。

寛文11年(1671)冬、幕府より陸奥国伊達地方(福島県)の幕府領地米を江戸に廻漕することを命じられた江戸の商人河村瑞賢は、数々の工夫をして東回り航路で、その輸送を行っている。しかし、翌寛文12年(1672)に、出羽国(山形県)の幕領米の輸送を命じらた時には、房総半島沖に加え津軽海峡の危険度も考え、距離的には遠いが、運航実績のある北国航路、瀬戸内海航路、江戸上方間航路を繋いだ西廻り航路を採用した。

現在のわれわれの感覚でいうと、東北地方から東京へ入港する場合は、房総半島から直接東京湾に入れば良いと簡単に考えてしまう。しかし、江戸時代には、鎖国政策のため外洋型の大船建造が禁止され、堪航性の悪い沿岸用の船しか使えなかった。これは桧垣廻船等にも使われ、江戸時代の最優秀船といわれる『弁才船(通称千石船)』にも言えることである。船体は棚板構造で強度不十分、大部分の甲板は水蜜性がなく、舵は吊り舵で荒波中では不安定、帆装も外洋型船に比べ風上への切上がり性能が劣っていた。

また、房総半島の東方海上は、現在でも船の難所である。図に示すとおり、冬季のこの海域では、強い西風の影響を受ける上に、親潮と黒潮の影響を受けて、船は必ず東に流される。江戸時代の海難記録を調べると、房総半島東方から米国の西海岸まで太い帯のように繋っている。現代でも、「ぼりばあ丸」、「かりふぉるにあ丸」等の多くの大型船が、この同じ線上で冬季に海難事故を起こしている。昭和60年頃に運輸省がこの海域の海難防止のために関係研究機関の総力を挙げて取り組んだ『異常海難防止システムの総合研究開発』に筆者も関係したが、その時観測された波浪の凄まじさは今も忘れられない。

2.瑞賢の工夫と判断

河村瑞賢像
山形県酒田市日和山公園に立つ河村瑞賢像

瑞賢は、房総半島の気象海象をはじめ、航路の状況を実に綿密に調査している。その結果、東回り航路では、正月に欲しい新米の冬季輸送を避けて夏航海とし、房総半島から直接江戸に入らず、三崎か下田に直行し、風待ちして江戸に入っている。西回り航路では、距離が長くても実績のある航路を選択している。この冷静な判断は、綿密な調査に裏付けられた強固な意志の現れである。瑞賢の調査は海洋航路だけではない。海船への積替港である宮城県荒浜、山形県酒田までの輸送は、それぞれ阿武隈川と最上川の川船を使っているが、その河川水路も綿密な調査を行い、岩礁を取り除き急流を改善している。

さらに、米の積出地や積替地には蔵を建てて、保管費の節約を図り、全国を調査し、伊勢尾張や瀬戸内などの堅牢な船と質の高い船員の確保につとめている。

しかし、私が最もひかれるのは、輸送成功のために各種制度を改廃し、合理的な制度を確立していることである。特に海難の予防と海難発生時の措置のため、途中の主要泊地に番所を設け狼煙台を整備して、船の発着の状況、船員の状態、船体の点検等の運航状況を綿密にチェックし、海難の発生時には、処理を迅速に行わせている。それまでの船頭任せの航海ではなく、常に船と陸が連携を保ち、海陸一体となって輸送をした。このような周到な準備と計画全体を総合した広範な対策こそ、瑞賢の面目躍如たるものがある。その結果瑞賢の航路改善は、幕府米の輸送のみでなく、広く江戸期の海運制度確立に貢献した。

3.瑞賢から学ぶこと

瑞賢以前の状況をみると、幕府も各藩も商人との入札請負制度を取っていた。入札後は請負商人にすべてを任せ、請負者も革新的な方法をとることなく、従前の方法を踏襲している。瑞賢は、ここに問題を感じたようである。革新を図るには、責任者が自ら先頭に立ち詳細な調査と検討を行って正確な判断をするとともに、強い意志を持って実行することである。良い船を得、人を得るために、全国規模で探していることもすばらしいことである。

しかし、革新の本体は、海難予防や海損処理などの制度を大きく変革したことである。制度の変革には、そこで利益を得ていた人から抵抗があるのは当然である。しかし、抵抗に負けては変革はできない。毅然と変革を実施することが必要である。しかし、同時に変革で不利益を被った人も能力があれば、新しい分野で活用していく方策も必要であろう。

今、われわれの周りでもテクノスーパーライナー、メガフロート、エコシップと新しい技術が開発されているが、これらの技術が社会に根付き、成功を収めるためには、ハードウエアの開発のみならず、人員面、運航ソフト、陸上との連携や関連制度の変革が必要と考える。例えば、テクノスーパーライナーの場合、モーダルシフトの有力候補であるが、現在開発中の機関保守の陸上支援は言うに及ばず、この船に適したターミナル整備と陸送との連結、集荷や末端までの配送方式、各種法制の改訂など課題は多い。瑞賢のように強い意志をもって総合的な革新がなされることを強く願っている。

東回り航路の出発点となった仙台市南の「荒浜」で、御城米保管用の米蔵が並んでいた所は、今は小学校になっている。現地を訪れ、何人かの人に尋ねたが、今は何の遺跡もなく、記念碑も立っていない。一方、最上川河口の「酒田」は、その後の海運での繁栄を感謝し、日和山公園には瑞賢の銅像を建て、千石船の展示を行うなど、事跡の保存に力を入れている。自分の頭だけで、すばらしいアイディアを考え出す天才は、世界的にもそう多くはないといわれる。普通の人は歴史に学び、外国に学び、それを基に熟考して新しい考えが生まれる。その意味で、過去の事跡は大切にし、後世に伝えて欲しいと思う。(了)

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