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オーシャンニューズレター

第50号(2002.09.05発行)

第50号(2002.09.05 発行)

江戸前の東京湾は呼び戻せるか

国土環境株式会社環境調査本部部長◆菱田昌孝

江戸時代から戦前にかけての東京湾は豊富な魚介類に恵まれた海だった。ところが、都市機能や産業経済の発展を重視した結果、東京湾の干潟の80%以上は既に埋め立てられ、多くの海岸線が直立したコンクリート護岸に覆われてしまった。漁獲量の減少・低下傾向に歯止めを掛け、はたしてどこまで、かつての江戸前の東京湾を取り戻すことができるのだろうか。

江戸前の東京湾とは何か

江戸時代から戦前にかけての東京湾は白魚・うなぎ・鮎・ハゼ・アサリ・蛤などの豊富な魚介類に恵まれていたと考えられる。また昭和30年代以前の東京湾では湾奥の多摩川河口・お台場など東京港付近の海で先述の魚介類のほか、クロダイ・スズキ・メバル・カレイ・ヒラメ・クルマエビ・シャコ・赤貝・トリ貝などが大量に捕獲され、品川近辺の干潟では黒々とした良質のアサクサノリが採れて江戸前の美味しい鮨ネタ・新鮮な刺身や佃煮の材料となったといわれる。これらはまさに江戸前の東京湾を代表するもので、内湾の生態系が豊かに育つきれいな海であったと言える。
戦後の東京湾における水質環境の変化を簡単に振り返ると、浅瀬や沿岸の埋め立てのない時代のきれいな河川・海水と浜辺の昭和20年代、産業経済の急激な発展とともに湾岸部の都市化・工業化、干潟の埋め立てが進み始めて水質悪化が進んだ昭和30年代、工業地帯・人口急増などによる大量の工業排水・生活廃水の放出、また河川・海岸工事、埋め立てが最盛期で公害による悪臭が漂う黒褐色の死の海が出現した劣悪な昭和40年代、水質汚濁防止法の制定・下水道処理の普及などにより水質は改善されたが、農薬・生活廃水の悪影響が顕在化した昭和50年代、大規模下水処理場の効果が大きくCOD・窒素・リンなどの削減によりほどほどの水質を保つ昭和60年代、さらには稚仔魚・魚種の減少など海洋生態系の損傷が大きく漁獲高が減少している現在の平成時代となる。

東京湾の現況と環境変化要因

現在、東京湾内湾は湾奥部を中心として、潜ると50cmも見えない濁水が漂うお台場付近などの海底ヘドロ堆積、大雨のとき家庭排水や下水道から溢れ出て感潮河川域や海岸に浮かぶ有機物の白い玉、春から夏にかけての貧酸素・無酸素水塊の頻発、赤潮・青潮の継続的発生など海洋汚染が常態化して「病気の東京湾」であると言われる。一方、透明度の高い清澄な黒潮分枝流が入り込む外洋に近い神奈川側の金沢八景・千葉側の湾口付近では、アマモ場やサンゴ礁が増えアジやアオリイカなどは豊漁と言う。一口に東京湾と言っても湾口と湾奥では随分と様子が違うようである。
農林水産統計から得た東京湾の漁獲量経年変化を図1に、水質(COD)と併せて示した。海岸線の埋め立て及び有機汚濁が進んだ昭和40年代以降、漁獲量は一気に減少しているが、その後も継続的な減少傾向にあることがわかる。東京湾では、有機汚濁・富栄養化・赤潮発生防止のための諸施策を実施した結果、図1のように水質が横這い状況にあるにも拘わらず、未だに漁獲量が減少・低下し続けている。なお漁獲量のうち貝類の占める割合は大きい。また東京湾だけでなく、伊勢湾・三河湾・大阪湾・瀬戸内海など日本の主要な内湾域において同様な漁獲高の減少・低下傾向は共通してみられ、すべてが病気の状態であるといえる。
図1と各環境変化要因を見ると、沿岸の埋め立てと有機汚濁によるヘドロの堆積が最も進んだ昭和45年から昭和51年にかけての経年変動に見られる大幅な漁獲減少から考えて、「浅場・干潟・藻場などの消失」および「貧酸素水塊の形成」は、生物の生産的環境を喪失させた海洋生態系破壊の最大の要因と考えられる。東京湾においては水産生物を育む力が低下しているようである。以上のように東京湾及びその流域の全般的な環境悪化により生物生産の循環系・食物連鎖が遮断・破壊されたと考えられるため、正常な生物生態系・物質循環系の復活が必要である。また同時に海洋の環境と生態系の関係は複雑多様な要因の錯綜する巨大なシステムであり、何がこうした病気の決定的原因かは未だ仮説段階であり、新規の継続的なモニタリング調査・研究は欠かせない。

■図1 東京湾の漁獲量と水質変化 (漁獲量は農林水産統計から)
ATT流域研究所資料
図1 東京湾の漁獲量と水質変化
昭和35~45年における東京湾・湾内漁獲量が多いのは、アサリが多かったため。その後、減少傾向にあることが読みとれる。また、水質は、昭和50年から横這いにあると言える。(クリックで拡大)

東京湾はどこまで蘇るか

2600万人の首都圏機能を支える巨大な産業・物流拠点である東京湾は産業・港湾・海運関係者や漁業者だけのものではなく等しく市民の海でもある。市民生活を支え向上させるため都市機能や産業経済の発展を重視した結果、曝気機能に富み海洋生態系を育む東京湾の干潟の80%以上は既に埋め立てられ、直立したコンクリート護岸が東京湾の多くの海岸線を覆っている。もはや昔の江戸前の東京湾を戻すことは困難であり、すべての護岸を人工干潟に改変することなどほとんど不可能で無意味と思われる。
例えば進行中の温暖化に伴う海面上昇は都市防災上、海岸のさらなる嵩上げを必要としている。しかし外国からの輸入魚介類が不足した将来の食糧難を考えるまでもなく、われわれは日本人の貴重な良質の蛋白源として東京湾を始めとする日本の主要湾で獲れる魚介類の増大を期待することも事実である。従って今のような漁獲や生態系の減少状態を改善し、どこまで東京湾を蘇らせ得るのかということは日本人にとり極めて重大な問題である。われわれはこの正確な答えを現在持ち合わせてはいないが、8割以上の干潟を失っていること、海底のヘドロが広範囲に堆積していることを考えると昭和50年代の漁獲水準まで回復できれば大成功と言えるかもしれない。
「東京湾再生計画」が環境省・国土交通省・農林水産省・埼玉県・千葉県・東京都・神奈川県・横浜市・川崎市・千葉市など関係各省庁・地方自治体の協力で平成14年から推進され始めた。東京湾再生と言う共通のテーマにつき縦割りの壁を克服するように、内閣官房都市再生本部が関与した東京湾再生推進会議は海上保安庁次長が座長を務め、関係機関の連携の下に進めると言う画期的なものである。これは実に時機を得た計画であるが、一層の成果を挙げるためにこれまで長年にわたり民間企業が蓄積した情報・データと解析能力を活用し、必要な環境調査・予測・評価・対策案の検討を行うなど産学官挙げて早急に取り組むべき重要な問題であると考えられる。(了

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