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オーシャンニューズレター

第4号(2000.10.05発行)

第4号(2000.10.05 発行)

海洋問題への総合的対応

慶応義塾大学法学部教授・法学部長◆栗林忠男

新しい海の法秩序を定める国連海洋法条約の体制を具現していく上で、日本は海洋管理と国際協力の理念にもとづく国家実践を通じて国際社会に貢献して行くべきであり、そのための総合的視点の導入が求められている。

わが国では国連海洋法条約の批准のために最低限の法制上の整備しか行われず、新しい海の秩序の実現への対応はあまりに消極的である

新しい海の秩序を樹立するために1973年から開催された第三次国連海洋法会議の結果、1982年に採択され1994年に発効した「海洋法に関する国際連合条約」(国連海洋法条約)は、その内容が世界の大多数の諸国の間の一般的合意を反映するだけでなく、過去の海洋法体系の分裂的状況と比べて、統一的かつ安定的な海洋秩序の基盤を提供するものとして評価される。もっとも、本文だけで300ヶ条を越える膨大な数の諸規定の中には、条約作成の交渉過程においてコンセンサス方式やパッケージ・ディール(一括取引)にもとづく政治的妥協が図られたために、内容の明確性を欠く規定がかなりある。今後、関係国際機関や二国間・多国間の政府間交渉により成立する各種の条約・協定・決議などを通じて、また諸国がそれぞれ構築する海洋関連の国内法制の実施を通じて、基本的にはアンブレラ(傘)条約としての性格をもつこの条約の個々の規定内容が具体的に実現されて行くことになる。

わが国では、国連海洋法条約の採択あるいは批准をもって事終われりとする一般的風潮があるが、海の秩序作りはむしろこれからと言うべきであって、国連海洋法条約体制の行方は各国のさまざまな国家実行の集積に依るところが大きい。国民生活の多くの面において海に大きく依存し、長年の経験と優れた科学技術をもつ日本としては、海洋秩序の行く先を見据えた適切な対応策を講ずることによって、海の秩序の発展に積極的に貢献することが期待される。

しかし、従来の国際海洋秩序に対する日本の適応の仕方では、そうした期待はあまり持てそうにない。第二次大戦後の日本の海洋利害は、伝統的な海洋自由の原則の下で、船舶航行の自由と遠洋漁業の自由を広く確保することを主眼とし、それがまた高度成長の波に乗って経済発展を支えた。だが、日本がそうした姿勢を維持しているうちに、やがて新興独立諸国や内陸国を含む世界中の国々が海に対してそれぞれ特有の利害関係を深めるようになり、それら諸国民の声が結集して、海の秩序は変容を遂げつつあった。特に、資源の枯渇や環境の破壊を危惧して、沿岸諸国の管轄権が世界的に拡大する傾向の中で、漁業資源に対する従来のフリー・アクセス原則を否定することによって沿岸国管轄権を漁業管理に拡大する契機を生み、また、海上交通に関しては、自由な国際航行の利益を存続させつつも、主として環境保護のための安全面からの規制強化が図られるようになった。基本的には諸国の多様な立場を法的に調整するための国際的枠組みを構築しながらも、そこには海洋の開発から海洋環境に対する意識、さらにはその保全へと優先度を移行させようとする変化の兆し、いわゆる「持続的開発」への指向がある。

こうした動向に対して、領海3海里制への固執、12海里漁業水域や大陸棚資源の沿岸国への帰属に対する消極的態度、第三次海洋法会議の初期段階における200海里排他的経済水域の主張に対する孤立的反抗など、海の国際法制の成立過程における日本の対応は常に後手に廻っていた。また現在でも、国連海洋法条約の批准に当たっては最低限の法制上の整備しか行われていない。

このような消極性は、政治・経済・社会・文化・安全保障など国民生活が海と深い関わり合いのあるが故に日本の海洋利害が必然的に有する複雑・多様性のせいだと弁解することはできない(そのような事情は多かれ少なかれどの国にもある)。むしろ、わが国には政策決定過程に影響を与える特有の要因があり、それらの要因が海洋問題への対応において決定的な役割を果たしてきた。特に、「縦割り行政」による省庁間の対立関係が政策決定の遅延・非能率化を生むとともに、複数の省庁に跨る問題についていずれが主導するかの制度的複雑さをもたらす原因となっており、それ故にまた、それらを統合すべき行政部局の新設を困難にしてきた。縦割り行政はまた利益集団とのパイプを系列化しがちであり、一方で、それが各種の内部利害の対立の調整にある程度の有効性を持ちながらも、他方で、外に向かっては個別的利害の擁護に固執し、真の意味での総合的な政策形成を阻む基盤をなしてきた(同様な問題は宇宙の開発利用の分野などにも見られてきた)。

国際社会がもとめる新しい海洋秩序は何か、そして、国内で整備・履行すべきものは何か。われわれはいまこそそれらを総合的に見極めなくてはならない

海の国際的秩序の基本的方向に的確に対応すべき総合的展望とそのための国内体制の確立を願って、私は18年ほど前に次のようなことを述べたことがある。「漁業、海運、鉱業ならびにそれぞれの所管官庁など、特定の海洋産業に従事する利益集団のみが個別に対応するには問題はあまりにも多元的であり、かつ相互に関連し過ぎている。また、それらの対応策が集成・調和されて統一的な国家意思を形成するには、日本の現行法制は甚だ不備であると言わざるを得ない。時間が掛かるかも知れないが、国家機関、産業界、学会も協力して、日本の海洋政策の長期的展望を図り、かつそれを強力に推進する体制の確立が必要である」(「海洋秩序の変動と日本の対応」、拓殖大学海外事情研究所『海外事情』第30巻7号、特集・海の平和と戦争)。20年近く経た今日でも事態はそれほど変っていない。だが、もうそれでは済まされない、と私が思うのは、次の理由からである。

現代社会は、犯罪の抑制、紛争の解決、環境の保全、交通の安全など、従来の個別学問分野だけでは解決不可能な問題を数多く生んでいる。海の諸問題もすでにそのような問題性を孕んできており、人文・社会科学、自然科学など関連諸科学を結集した総合的なアプローチがますます要請されるようになった。今日ではさらに、これらの問題の解決には国内のみならず地域的・世界的なコラボレーションを必要とするに至っている。また、今日の国際社会においては、約200の主権国家の並列関係を合理的に調整するだけでなく、さまざまな分野で「共通利益」を目指す国家間の協力関係を一層促進するための努力が求められている。そのため、国際的秩序の達成しようとする一定の「結果」を実現することができるように、国際協力と責任分担の観点から、それぞれの国内体制を整備する必要に迫られている。換言すれば、国連海洋法条約を中心とする新しい海洋秩序を通じて何が国際社会の真に要請していることであるか、また、それに対応して国際社会の責任ある構成員として国内的に整備・履行すべきものは何であるか。目前の事象に短期的視野から対応しようとするのではなく、それを長期的かつ総合的に見極める視点が重要になっているのである。

わが国では最近ようやく、行政機構面での科学技術の総合化の動きや、漁業資源管理のための周辺海域での施策、あるいは海洋汚染防止のための国際協力の検討など、部分的にではあるがいくつかの前向きの兆候が見られる。また、本誌のように、総合的な海洋管理の方向性を広く訴えようとする地道な活動が多方面で共感を呼びつつある。21世紀に入るいま、海の管理と国際協力の理念に立って、海と共生するためのこの国のあり方について全国民的な模索が始まることを切に願う。

 

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