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Ocean Newsletter
第44号(2002.06.05発行)
- (株)海洋工学研究所 出版部長◆佐尾和子
- 元中野海運株式会社◆中野義明
- 三井造船(株)顧問、元海上自衛官◆古澤忠彦
- ニューズレター編集委員会編集代表者(横浜国立大学国際社会学研究科教授)◆来生 新
"ナホトカ"の教訓を生かした油汚染対策を
(株)海洋工学研究所 出版部長◆佐尾和子ナホトカ号重油流出事故から5年余りが過ぎた。未だ油の残る海岸もある。漂着時の体制と環境への配慮が不十分な日本の油防除対策を検証し、"ナホトカその後"に学ぶ抜本的な油汚染対策を提言する。最も大切なことは、油流出事故を未然に防ぐことだが、それでも事故が起きて油が漂着してしまった時、どうすればよいのかである。
はじめに
1997年1月2日未明、発電用C重油を積載し日本海を航行中のロシアのタンカーナホトカ号が沈没した。二つに折れた船体の船尾部は、島根県隠岐島の沖2500mの海底に沈み、船首部分は福井県三国町安島岬沖に漂着座礁した。海上を漂流してきた油塊は、懸命な油防除作業にもかかわらず、福井・石川両県を中心に9府県の海岸に次々と漂着し、推定8,660klの重油が流出する大事故となった。多くのボランティアの協力を得て、回収作業や海鳥の救護などが行われたが、2月から5月末にかけて、次々と終息宣言が出され、以後は公けに回収作業をするのは憚られる状況となった。きれいになったというより、地元の疲労と風評被害への心配が主な理由だった。回収した油は産業廃棄物として2年半の歳月をかけ、そのほとんどが焼却処分された。被害の補償請求金額は、補償限度額233億円をはるかに越えていて、未だ補償は完了していない。
あの日から、5年余りの歳月が流れた。みぞれ混じりの強風が吹きつけ、屏風のような波がうち寄せる。身を切るような寒さの中で、チョコレート色の重油にまみれた海辺は、その後どうなったであろうか。
その後の海岸は......
事故から3年半後の2000年6月、石川県加賀市塩屋・片野海岸、能登半島シャク崎、長橋、千枚田、藻浦など10の海岸の油の残留状況を調査した。もはや"その後"が報道されることもなく、事故は人々の記憶の中で風化しつつあった。公的に油防除に関係した人々ですら、現地を訪ね油の残留を確認した人はほとんどいない。しかし、能登半島の岩場や礫浜、砂浜には、当時の色も臭いもそのままに、油が残留する海岸が点々と残っていた。表面はきれいでも、掘れば砂礫の下に油が沈んでいる海岸も多くあった。
塩屋・片野海岸は、海浜植物におおわれた砂浜が続く美しい海岸だった。ここでは漂着油と砂を重機で混ぜたために、膨大な量の重油含砂の処分ができず、そのほとんどを海岸に穴を掘って埋めてしまった。そのため砂浜を抑えていたコウボウムギ、ハマゴウなどの海浜植物の根が、油や回収作業の影響で枯れてしまい、特に塩屋海岸では、長さ100m弱、高い所で3mほどの浜がけができ、海岸が侵食されつつあった。砂浜の表面には、埋められたお餅のように柔らかな重油含砂が、散乱するゴミの間から点々と顔を出していた。時化ると油は海へと流出していった。
油の残留調査を続けている星稜女子短期大学沢野伸浩助教授によれば、2002年3月現在、塩屋海岸の侵食はさらに進み、ハマゴウ帯が完全に破壊されて、高さ3mの浜がけは30mほど後退し、冬期の漂砂による海岸線の後退を考慮に入れても、後退の度合は著しいとのことである。能登半島の海岸の砂礫の下に沈んだ油にも変化はないとのことである。
では、何故このようなことになってしまったのか。船首部分が漂着した三国町では、マスコミでも報道され、多くのボランティアが集まり、海岸は概ねきれいになっている。しかし、ひどい汚染を受けながら、風評被害を危惧してあまり人集めもせず、ひっそりと地元のお年寄り中心に回収せざるをえなかった能登半島では、厳しい地形に回収は困難をきわめ、多くの油が残ったまま放置されてしまった。海岸形状に合わせた油防除方法、人数を優先的に投入すべき海岸、残留しやすい地形から長期にわたって丁寧に回収しなければならない海岸などを考慮した油防除計画と、それを実現させる指揮系統があれば、現場は混乱せず、条件の悪い所への油の残留は、かなり避けられたはずである。
"ナホトカその後"に学ぶ油汚染対策を
大事故の場合、記録的な好天に恵まれない限り漂着は避けられないため、地域で平時にどのような油防除計画に基づいた準備をしているかが、油防除の成否を分けることになる。ところが日本の油防除対策は、(1)洋上回収には力を入れてきたが、漂着時の体制は不十分。(2)人材育成より機材の開発と整備に力を入れてきた。(3)油は回収するが、環境に配慮した油防除の概念は希薄。(4)海域や海岸の管轄が細分化されており、統一した油防除計画と現場指揮の体制がなく、指揮をとれる人材も極く僅かである。さらに(5)通常、原因者が油防除の責任と費用を担うから、日本に指揮権がなく、国際油濁補償基金や保険会社派遣のサーベイヤーが指揮をとり、環境面より経済性が重視されるなどの問題がある。
石油には、多環芳香族を始めとする難分解性の物質が多く含まれている。ひと度事故が起きれば、まず海にすむ生物が被害を受け、それはやがて自然の環の中で食物連鎖や水や空気の循環を通じて巡っていく。油の影響を最小限にくい止めるのが油回収の目的であるから、油や油処理剤の毒性などを考慮した「予防原則」に基づく油防除計画が必要である。そのためには、その地域の自然を良く知る住民の協力を得て、計画立案の基本となるバックグランドデータ(自然環境・ロジスティックス・ピット・最終処分・汚染の追跡調査など)を平時に整えておく必要がある。具体的には、各地域の海岸特性や生物の生息状況などを記載したESI(EnvironmentalSensitivityIndex=環境脆弱性指標)地図を統一したガイドラインの下に作成し、ESIに基づいて各海域・海岸に適した防除方法を決め、それを国の「排出油防除計画」や各自治体の「地域防災計画」の中に組み込んでおくことである。
さらに、この計画を具体的に機能させるためには、(1)現場で住民の意見を入れながら、回収の指揮をとる現場指揮官をおく。(2)大きな油流出事故は国の責任で防除し、油防除費用は国が一時負担し原因者に請求する。(3)回収から最終処分まで考えた油防除計画をたてる。(4)以上を実行するために、「海洋汚染及び海上災害の防止に関する法律」(海防法)の改正も視野に入れた法整備が必要である。また海上災害防止センターは、海防法で油防除の中枢機関として定められているにもかかわらず、ナホトカ号事故の結果をふまえた組織の実質的強化はなされておらず、国の対応が求められる。
今、日本近海で最も油流出事故が懸念されているのが、サハリン沖の石油・天然ガス開発の現場である。1999年7月に生産を開始したサハリンIIプロジェクトは、油防除・環境対策の面で多くの問題が指摘されている。もし事故が起きれば、オホーツク海は流氷域であり、多様な野生生物の生息地、サケ・マスを始めとする豊かな漁場であり、回収が困難な湿地やサロマ湖のような汽水湖もあることなどから、今のままでは、甚大な被害が予想される。
ナホトカ号事故後、ESIも含め油防除対策の見直しが行われてはいるが、総合的視点を欠き、環境への影響の追跡調査も不十分、その後の現地を検証した上でのものではない。"ナホトカその後"抜本的な油防除対策が望まれる。(了)
【参考文献】
海洋工学研究所出版部編
『重油汚染・明日のために──ナホトカは日本を変えられるか』海洋工学研究所出版部,1998.
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