Ocean Newsletter

オーシャンニューズレター

第361号(2015.08.20発行)

第361号(2015.08.20 発行)

「聞き書き」がつなぐ海人の想い

[KEYWORDS] 技術協力/人材育成/糸満売り
NPO法人共存の森ネットワーク理事長◆澁澤寿一

「聞き書き」は単なる文字による人生の記録だけではなく、聞き手が話し手の「想い」に心を重ね、話し手の人生を作品の中で体験する作業である。
海外への海洋技術協力にあたり、聞き書きを同時に行うことにより、生活文化の中に、伝えたい技術やシステムを定着させることが出来るのではないかと考える。


聞き書き甲子園

■高校生と90歳の海人

私の前ににこやかに談笑する二人がいる。一人は岡山の高校生、一人は石垣島に住む90歳の海人である。彼らの表情からは予想もつかない言葉が語られている。
「11歳で売られたのです。糸満売り(イチュマンウイ)にね。売ったのは両親。貧しかったから・・・他にも売られた人は沢山おりますよ。」「追い込み漁の勢子が役目。泳げない子は縄で縛って海に放り込むの。生きるために必死に泳いだ。冬の寒い日は船に上がりたくても、櫂で手をたたかれ海に突き落とされる。溺れても助けない。捨てるんだ。翌日、一緒に泳いでいた子が浜に死体で打ち上げられるの...」「楽しいことは何も無かった。希望も夢も。学校には行けないから字も読めなかった。召集令状がきて、やっと開放されたけど、軍人勅語が読めず上官に殴られた。夜中に皆が寝ている間に、戦友を揺り起こしながら必死で諳んじたんです」
これは「聞き書き甲子園」フォーラムの一場面、高校生は声も出ず、うなずいている。搾り出すように「私にとっては有り得ない事ばかり、私の当たり前は当たり前じゃないんだ...」と呟く。
聞き書き甲子園は本年度が14回目で、毎年100人の高校生が、日本の自然の中で知恵や技術、身体を使って生きてきたお年寄り100人の人生の記録をまとめている。
森や川、湖そして海で暮らしてきた「名人」と呼ばれる人たちである。今までに1,300人の人生を、高校生が対話をとおして聞き、録音を文字に起こし、また判らないところを聞き、自分の質問を除き、名人の語りの部分だけを残す作業を行った。そして文章を並び替え、削り、最後に名人の一人語りの作品にまとめる。一見、言葉による記録作業と思われるが、文字で理解しようと思っても、老人の言葉は高校生にとっては宇宙人の言葉である。単語も、文脈も、背景も判らない。だが、必死に会話を文字に起こす作業を繰り返す中で、ふっと名人の気持ちと自分が一緒になる時間が訪れる。文字の行間を高校生が理解した瞬間である。「名人の言葉なのか自分の言葉か、境目が判らなくなる」と多くの高校生が述懐する。まさに、自分が相手に重なる感覚を掴んだ時だ。相手を理解しようとする想いがそれを可能にする。聞き書きを通して高校生は、はじめて他の世代との心の触れ合いを体得する。それ以降、彼らは相手に寄り添うことができるようになる。また、名人にとっても、高校生が仕上げた聞き書き作品は、その人が、その時代に生きてきた証となる。世代と世代、人と人がつながった瞬間と言える。
聞き書きに登場する老人たちにとって、「生きる」ということと「働く」ということは同じ意味だ。自分の身体を労働の中で動かすことが、自分の身体を養う唯一の方法であった時代を生きてきた。まさに糸満売りの老人が語る「生きる」ということの意味、そしてその言葉への想いである。

国際技術協力の役割

■聞き書きの風景(撮影:奥田高文)

かつて海外で農業技術協力の現場で働いていた頃、先端技術移転がいかに持続的ではない行為か、という場面に多く直面した。最新鋭の機械は多くが電気やガソリンで動き、それらはエネルギーが補給されなくなると作動しない。良い農作物を、より多く作るには灌漑施設と化学肥料が必要で、それらが揃って初めて可能となる。東南アジアでは日本の技術移転で、現地に根付いているのは兵隊さんに教わった「田植え」だけだと教えられた。アフリカのキャッサバ農家は職業を尋ねると猟師と答えた。キャッサバ作りは「農業」という「産業」ではなく、「農耕」という生きるための「日常」だと言うのだ。職業とは、現金を得るための行為で、1年に1~2頭捕らえることができるガゼル狩りを指す。私たちの教える機械化農業は、彼らには無用のものに思われる。日本人は高度経済成長期からの50年間、経済の豊かさと効率を追い求めてきた。多くの国の人々にとって、豊かさとはもっと多くの意味を含む言葉である。

「想い」と「仕組み」

その国、その場所の現在は、過去から続く人々の暮らしの積み重ねがつくっている。過去からの持続が現在であるならば、未来もまたその延長線にあるものだ。技術協力の仕事から、人の暮らしは「想い」と「仕組み」でできていることを知った。日本人が技術移転をしようとする場所の多くには、何千年と続いた暮らしの積み重ねがある。そこに「仕組み」だけを移転しようとすることの矛盾に気付いたのである。
糸満売りという行為も、仕組みから見れば、人身売買ではなく、前借制度の長期雇用に他ならない。親方から見れば子供たちは財産で、貴重な労働力である。無為に殺すことは好まなかった。死なさず楽はさせず、最大の費用対効果を求めたのである。一方、子供たちにとっても兵役で年季が明ければ、一人前の海人として生きていける生業を身に付けることができた。まさに仕組みとしてはウィンウィンの関係である。ただ、それだけではないことを、老人は静かに語る。
これからの日本が、島嶼国をはじめとする海の営みを持つ国の人々に、何らかの貢献が出来るとするならば、一方的な仕組みや技術の提供だけではなく、その地域の人々の暮らしの連続を理解し、日常の労働の裏で綿々と続いてきた「少しでも幸せになろう」という想いに寄り添う視点と努力が必要であろう。その時「聞き書き」という手法が役に立てば幸いである。人は仕組みだけで暮らしを作ることはできないのだから。聞き書き甲子園に参加した高校生たちの多くは、既に大学生や社会人として活躍している。そんな彼らの何人かが、将来日本の海洋政策を展開する現場で、想いをつなぐ役割を担う日が来ることを夢見ている。(了)

●NPO法人共存の森ネットワーク:http://www.kyouzon.org/

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