Ocean Newsletter

オーシャンニューズレター

第355号(2015.05.20発行)

第355号(2015.05.20 発行)

海洋生物多様性と持続可能な利用

[KEYWORDS]海洋生物多様性/UNCLOS/新国際文書
国立研究開発法人海洋研究開発機構アドバイザー◆北沢一宏

国連海洋法条約(UNCLOS)が締結されてから30年が過ぎ、いかにして海洋の良好な状態を保全し、次世代に受け渡すことができるか・・・。
殊に海洋生物多様性の保全とその持続的利用は重要な意味を持つようになった。国連を舞台にした一連の流れを紹介しつつ、日本は何をすべきかを考えてみたい。


これまでの流れ

「国家管轄権外での海洋生物多様性の保全と持続可能な利用に関するオープンエンデッド非公式作業部会」は、2004年の第59回国連総会決議により設立され、2005年に活動を開始した。2012年5月の第5回作業部会において、(1)利益配分を含む海洋遺伝資源 (MGR)、(2)海洋保護区 (MPA)を含む地域管理の手法、(3)環境影響評価 (EIA)、(4)能力開発 (CB)、(5)海洋技術移転 (TT)などの主要要素について一括かつ包括的に検討することが重要とした。また、途上国を中心にUNCLOS下に第XI部実施協定の様な新たな国際文書が必要であるとの要請もあった。2014年4月の第7回作業部会において新国際文書では現行UNCLOSの条文の修正や条約で定まっている権利や義務を侵害しないことが確認された。2015年1月の第9回作業部会はUNCLOSの下に生物多様性の保全と持続可能な利用に関する国際文書を作成することに合意し、第72回国連総会(2017年)に報告するとした。

作業部会での議論

■第9回作業部会(2015年1月)

■アメリカ合衆国ニューヨーク市にある国連本部

2005年以来、作業部会での議論は回を重ねるごとに科学的根拠に立脚した議論から離れ、外交的(政治的?)駆け引きが主流となってしまった。特に直近の数回の会合では海洋の科学的調査・研究の重要性、海洋生物多様性に関する実態検証や科学的な環境評価の実施などに言及されることなく、新国際文書策定の是非に議論の重心が偏ってしまった。以下、部会の流れに沿って上記の(1)~(5)要素について記しておきたい。
MPAの設定は、科学的根拠に基づき当該海域での生態系の特性および保護対象種の特性等を考慮し、既存の国際法との整合性をも勘案して慎重に検討されなければならない。国家管轄権外の水域でのMPAの設置、管理、監視等に関し、途上国を含み「設置に際しては十分な科学的な検証が必要」との見解が多く展開された。
EIAはより良き海洋環境の保全のためには重要な要素であるとされながらも概念・手法にはほとんど言及されなかった。国際海底機構(ISA)が主導する海底鉱物資源採掘に伴う環境影響調査に関する指針も試案が提示された段階であり、詳細な検討はなされていないのが現状である。
MGRについて、途上国の多くは「公海の資源は人類共有の資産」の概念を基本理念とすべきとしたが、異論も多く並行状態である。途上国はMGRへのアクセスの手段が一部先進国に占有されていることを指摘し、途上国の海洋の科学的調査への参加の可能性に門戸を開くべきと強調した。MGRの利用から生ずる利益は金銭的配分手段に限らず、「CBへの協力、TTの促進、研究成果の共有」などの非金銭的配分手段をも考慮すべきとされた。研究に必要なサンプル分配、データ共有などを通して途上国研究者に先進的研究活動への参加機会を与える配慮も必要だろう。
CBとTTに関しては、途上国の多くが言及したが途上国支援の色彩が強く、科学的考察を必要とする前三要素とは切り離して考慮すべき事項である。
初期の議論では海山や熱水鉱床域での鉱物資源採集に伴う海洋底や海底堆積物等の底質に付着する微生物などの多様な生物体への影響の懸念が、時が経つにつれ外洋域での生物体全般を対象とするように拡張され、議論が水産資源の保全にまで及ぶことになった。今後の議論の推移によっては公海を含む外洋域での科学研究目的の生物体捕獲も極度な規制対象となる可能性があり、生物多様性の実態を探求する科学研究にとり重大な危機となることが懸念される。外洋域での海洋生物学的研究で先駆的役割を果たして来たわが国の研究界を危機的状況に追い込む恐れさえもある。研究者コミュニティは必要量以上のサンプリングへの自主規制を考慮すべきであろう。水産資源の確保のためにも本来許されるべき外洋域での漁業活動は現存の地域国際機関による調整や当事者間による理性的な規制の下で保証されるべきであり、国際文書による一方的な規制はすべきではないと考える。

これからの道

上述の三要素についてのわが国研究者の業績は多く、新国際文書の作成過程で科学的知見の提供できる体制を国内的に整備しておくべきだろう。また、海洋研究のための生物サンプリング、調査活動に伴う生物体への影響等に関しての研究者側の見解を早期に集約すべきである。本件が国連で議論になった当初から科学的識見を根拠とする検討の重要性は謳われて来たが、現実は沿岸諸国による科学研究・調査への規制の強化と相まって、研究・調査船の運航費のみならず多額の研究費を必要とする外洋域での科学調査の実施が困難となりつつある。他方、沿岸諸国からは研究航海実施機関に自国の排他的経済水域外縁を含む外洋域(公海)での各種海洋データを含む科学的情報の提供を要望されることも多い。わが国には外洋域での科学調査を遂行できる研究船を保有する機関が他国に比して多く、適切な船舶の運用によりわが国の海洋学研究を国際化することができるであろう。
わが国の海洋研究は大学の教育研究活動の一環とされていることが多く、本案件の様に国としての総合的な見解の表明が求められても迅速な対応が困難である。国家管轄権外の公海にMPAを設置する国際的な流れが抗し難い状況にある昨今、独自の見解を表明し難いわが国の海洋研究コミュニティの現状を憂慮する。また、海洋研究の実施には従来型の自然科学系領域の学際協力のみならず、社会科学系領域との協力も不可欠となって来た。学術界の横断的協力関係を構築するために分散している研究者コミュニティに対して共通な議論の場が提供されることを切望する。同時に、研究者と行政官、外交官との意見交流の場の確保がわが国の国連の舞台での活動を強力に推進する上で重要となると考える。(了)

第355号(2015.05.20発行)のその他の記事

  • 海洋生物多様性と持続可能な利用 国立研究開発法人海洋研究開発機構アドバイザー◆北沢一宏
  • 水産業の衰退は和食の衰退? 長井水産株式会社鮮魚部取締役◆嘉山定晃
  • 受け継がれる塩づくりの歴史と文化 (公財)塩事業センター海水総合研究所所長◆長谷川正巳
  • 編集後記 ニューズレター編集代表(国立研究開発法人海洋研究開発機構上席研究員/東京大学名誉教授)◆山形俊男

ページトップ