Ocean Newsletter

オーシャンニューズレター

第332号(2014.06.05発行)

第332号(2014.06.05 発行)

瀬戸内海巡回診療船『済生丸』

[KEYWORDS]海をわたる病院/災害救助船/へき地医療研修の場
社会福祉法人恩賜財団済生会支部岡山県済生会支部長◆岩本一壽

済生丸は、1962年から今日まで50年以上の長きにわたり、瀬戸内海の65の島々を巡回し、地元の人たちの診療や検診を行い「海をわたる病院」として親しまれてきた。岡山・広島・香川・愛媛の済生会4県支部のスタッフにより、年間延べ1万人弱の診療・検診を行っている。
阪神・淡路大震災の際には、救援活動に貢献し、医師をはじめとする医療従事者の地域医療の教育研修の場としても活用していただいている。

海をわたる病院『済生丸』の誕生

瀬戸内海巡回診療船『済生丸』は、1961(昭和36)年5月、済生会創立50周年記念事業として発案され、1962(昭和37)年12月に運航を開始した。ちょうどこの時期は、国が離島、山村などのへき地保健医療対策として診療所設置のほか、患者輸送車、巡回診療車等の機動力強化などを盛り込んだ第二次の計画を策定中の頃であった。当時の岡山済生会総合病院の大和人士院長は、瀬戸内の島々の過疎化や高齢化は日本の50年先の縮図であるとして、島に治療医学からする予防医学を根付かせていきたいと考えていた。いわゆる「瀬戸内海医学」(長野県佐久総合病院が行っている農村医学に対して)の確立を目指していたのである。彼の「無医島の人々に医療の光を」という熱い想いが済生会を動かし、国内唯一の診療船済生丸が誕生した。
そもそも済生会は、明治天皇の「恵まれない人々のために施薬救療による済生の道を広めるように」との済生勅語を受けて、1911(明治44)年に創立された法人で、社会的、経済的弱者に対して医療の手を差し伸べるのは、済生会の使命であり、離島への医療提供は、済生会精神の具現化でもあった。現在もその意志は引き継がれ、自分の体は自分で守るという予防医学を検診の普及という形で実践し、今日に至っている。

瀬戸内海島嶼部での診療活動

■笠岡諸島の白石島に停泊する、瀬戸内海巡回診療船『済生丸』
http://www.okayamasaiseikai.or.jp/saiseimaru_cal/index_html

■済生丸のX線撮影風景

済生丸は、岡山、広島、香川、愛媛県の瀬戸内海に浮かぶ65の島々を巡回して診療・検診に当たっている。年度開始前に、関係市町や島民の要望も踏まえ年間計画を立て、10日間のサイクルで各県を回航している。関係4県にある済生会の7つの病院のスタッフが持ち回りで乗り込み活動している。乗り込むスタッフは、その内容によって4~12名程度、医師、薬剤師、保健師、看護師、放射線技師、臨床検査技師、理学療法士、栄養士、MSW(医療ソーシャルワーカー)、事務職員と多職種にわたっている。年間延べ1万人弱の診療・検診をおこなっている。また、船の運航・管理には、船長以下5名の船員があたっている。
済生丸は1962(昭和37)年の一世号に始まり、改造一世号、二世後、三世号と続き、三世号(2013(平成25)年11月)までの総走航距離は771,764km(地球19周)、受診延人員は55万8,799人に及ぶ。2014(平成26)年1月15日からは、4代目となる新船が就航している。新船は、済生会創立100周年(平成23年)の時に建造を決定したことなどから通称を『済生丸100』とした。
『済生丸100』は、これまで島嶼部の運航で蓄積した船体構造等のノウハウを生かすため、三世号を基本とした設計で、全長33m、型幅7m、満載吃水2m(島の港の状況等からこれが限度)、総トン数180トン、航海速力は12.3ノット。船内の通路を車いすが通れるように広くし、エレベーターを設置するなどバリアフリー化を図り、X線装置もすべてをデジタル化、新しく乳房撮影装置も導入するなど、中規模病院の機能を備えている。
済生丸の検診で早期のがんが発見され、早期治療へ繋がり、今も島で元気に暮らしている島民の方も少なくない。また済生丸は島民の健康を守るとともに、健康教室などを通じ交流の場ともなっており、人と人との繋がりがこの事業をここまで続ける原動力になっているとも言える。
長い歴史の中で、島への架橋等交通アクセス、医療事情など社会情勢の変化等から、済生会本部で廃止が検討されたこともあったが、島民のアンケートから済生丸への期待が強くうかがえ、また地元自治体からも存続を望む声が大きく、本部直轄事業から4県支部済生会の共同事業として存続を決めた。関係4県の地域医療再生基金による新船建造への支援も後押しとなった。

災害救助船としての役割

済生丸は、1995(平成7)年1月17日に発生した阪神・淡路大震災の際には、災害救助船としていち早く駆けつけ、済生会の医師、看護師等がチームを組んで41日間にわたり支援活動を行った。同年1月18日正午頃、岡山県保健福祉部より、兵庫県からの要請があり神戸へ救援の医療班を派遣してほしい旨の連絡が入った。陸路が寸断され時間がかかるので、海路を使っての出動を決めた。その時、済生丸は愛媛県松山港で翌日からの診療に備えていたが、緊急事態を受け、診療を中断して神戸へ向かうこととした。
18日深夜、大人用紙おむつ約6,000枚、子供用紙おむつ約10,000枚、粉ミルク約1,200kg、ロングライフ牛乳600リットル、生理用品約7,300個の緊急援助物資を積み込み新岡山港を出港。19日朝7時35分、神戸新港へ入港。当初、済生丸は岡山と神戸の間をピストン運航していたが、陸路が開通するに伴い、船は宿泊所として神戸新港に停泊し、船と現地の仮設診療所の間を行き来するという形に変え、2月28日まで、延275人の医師や看護師などがさまざまな形で支援を続けた。
近年、東日本大震災などの大災害を受けて、災害救助船の必要性が叫ばれるようになり、内閣府などから病院船の調査・検討の一環として、済生丸への取材があった。『済生丸100』は海水から1日3トンの清水を造れる造水装置も備えている。今後、想定される南海トラフ地震等の際には、支援活動を担うことも視野に入れており、平時は検診・診療活動を続けながら万一の場合に備えている。

医療関係者へのへき地医療研修の場の提供

済生丸の理念は「瀬戸内海島嶼部の医療に恵まれない人々が安心して暮らせるよう医療奉仕につとめます」である。基本方針の、「海をわたる病院として近隣の医療機関と協力し、最善の治療が受けられるよう速やかな対応を行います」や「瀬戸内海に限らず国内で災害が発生したときは、災害救助診療船として、可能な限りの物的、人的緊急支援をします」と並んで、「医療関係者が予防医学やへき地医療のあり方を学ぶ地域医療研修の場としての役割を担います」がある。
岡山県済生会では岡山済生会看護専門学校の3年生は必ず済生丸での看護実習を行うこととしている。また他の済生会や大学などの研修医の受け入れ、医学生や看護学生などへの研修の場の提供など、地域医療を担うスタッフの育成に協力している。
平成25年度に岡山県済生会で受け入れた数は、看護学生56名、研修医5名、医学生28名であった。他の3県での受け入れや、海外からの視察(2013(平成25)年10月15日国際医療ボランティア アムダと海外研修の協定も結んでいる)など、近年、見学要望等が増えている。こうした研修の場が地域医療について考える機会となり、広い視点で医療をとらえる人材の育成につながっていけばうれしい限りである。(了)

第332号(2014.06.05発行)のその他の記事

ページトップ