Ocean Newsletter

オーシャンニューズレター

第327号(2014.03.20発行)

第327号(2014.03.20 発行)

三陸における藻場生態系の復活

[KEYWORDS]アマモ場/種子/巨大防潮堤
東京大学大気海洋研究所准教授◆小松輝久

三陸の主力産業である沿岸漁業にとって藻場は魚介類涵養の場として不可欠であることから、藻場への大津波の影響を調べた。リアス式湾では、湾口や湾中央部の岩礁性藻場の被害は少なかった。一方、湾奥部の浅い砂地に広がるアマモ場は壊滅していたが、種子からたくましく復活しつつある。
今後の、巨大防潮堤建設では、場所がアマモ場と競合することから、特に配慮が必要である。

三陸の沿岸漁業と大津波

三陸沖合は親潮と黒潮が出会う潮境が広がり、世界三大漁場の一つで(水産庁,2009)、沿岸域も日本有数の水産物の供給地である。震災前の2005年度東北農政局の統計によると、宮城県では795億円、岩手県では396億円の漁業生産があった。沿岸で行われる養殖と漁業による生産は、宮城県、岩手県で、それぞれ50%、72%と、両県とも300~400億円近くにのぼり、水産加工品は、宮城県では2,615億円、岩手県では599億円に達する。NHKの連続テレビ小説『あまちゃん』で紹介されたように、アワビやウニなどの海の幸は、観光に不可欠である。また、岩手県のワカメの生産額は全国の約75%を占め、宮城県のカキ稚貝は各地に供給され、全国的にも三陸の沿岸漁業は重要で、日本人の食料を支えている。
2011年3月11日に三陸を襲った大津波は、船、港湾、荷捌場、倉庫、冷凍施設など三陸の漁業の生産基盤を破壊した。政府や県でも沿岸漁業の復興が三陸での復興の鍵となっているという認識があり、復旧は着実に進んでいる。このような施設は、人工的生産基盤と言えるが、これらの回復は進む一方、海産物を育む海の状態、自然的生産基盤については、直接目に見えず、現状把握はなかなか困難である。
自然的生産基盤である魚介類の沿岸の生息場の中で、最も重要なものに藻場がある。この藻場は、大型の海産植物がつくる、海の森や草原であり、三陸沿岸にも広く分布していた。多くの魚類の産卵場、仔稚魚の生育場、アワビやウニの摂餌場となること、養殖のカキ、ホタテ、ホヤの餌となる有機物の供給源となること、海水中の栄養塩を吸収することから、沿岸漁業を支える生産基盤として重要な役割を果たしている。そこで、藻場の回復状況を知るために、以前から研究を行なってきた岩手県大槌湾と船越湾を対象に2011年6月から12月までほぼ毎月1週間の調査を行なった。その後も、継続して調査をしている。また、宮城県志津川湾でも環日本海海洋環境協力センターと藻場の回復過程を調べている。今回は、それらの結果について紹介する。

藻場

■図1:2011年6月に観察された大槌湾湾中央部の岩礁性藻場のアカモク(左図)と湾奥部砂地のアマモ類の栄養株(右図の矢印)

三陸沿岸は、リアス式の湾が連なっている。これらの湾では、湾口部から湾中央部が深く、その両岸は岩場で、湾奥に川が流れ込み、浅い砂地となっている。大槌湾周辺においても、岩や岩盤上に海藻がつくる岩礁性藻場はおもに湾口から湾中央部に分布している。2011年6月に水中カメラで観察したところ、コンブ、アカモク、ワカメの成熟した個体が繁茂し、アカモクは海面まで6~7m近くの主枝長があった(図1)。三陸では、コンブなどは夏に成熟することから、成熟期前にあたる3月11日の大津波では、流れで岩がひっくり返るようなことはなく、海藻が小さかったことから、被害が少なかったものと考えられる。湾口から湾奥に向かう湾の軸に沿って海底が深いリアス式の湾では、海底傾斜の急な湾口から中央部の両岸の海底付近では、ゆっくりとした水位上昇や下降はあったが、砕波するような波は生じず、海岸の陸上部も岩盤であったために引き波によって海岸から岩やガレキが崩落せず、アワビやウニの生育に必要な岩礁性藻場が残った。これらの漁業の再生にはよい結果であった。
湾奥部の砂地には、アマモ類の海草が繁茂し、アマモ場をつくっていた。アマモの仲間は、陸上の植物が海に戻ったもので、成長すると花を咲かせ、実をつける。アマモ類の草体は地下茎と根からなる地下部と地上部をなすシュートからなるが、 花を咲かせるシュートを花株(生殖株)、花を咲かせないシュートを栄養株とよぶ。超音波により海底の反射強度の分布から海底の状態を空中写真のようなイメージで得ることができるサイドスキャンソナーを用いて海草藻場の状況を調べた。大槌湾周辺には絶滅危惧Ⅱ類のタチアマモ(環境省、 2012)という海草が分布し、船越湾のものは7m近くに達する世界最大のものである(Aioi et al., 1998)。2011年6月に、大槌湾と船越湾の湾奥部砂地にある生息場をサイドスキャンソナーで広範囲に調べたが、花株も群落も発見できなかった。しかし、水中カメラや潜水で詳しく観察すると、密度は非常に少ないが、草丈の低い孤立した栄養株が生育していた(図1)。これらの栄養株が、大津波に耐えたとは考えられない。三陸では、アマモ類の成熟時期は夏であり、その後、種子がつくられる。大津波は海底の砂を動かして、アマモを運び去ったが、アマモの種子は浮遊した後、着底して、光が海底まで十分に届く砂地の環境で発芽したと考えられる。2011年6月にみられた栄養株は、2011年以前につくられた種子から発芽したはずである。これは、大変な驚きであった。2006年10月の低気圧の発達による大時化で船越湾における藻場が著しく減少したことがあり(Shabaka and Komatsu, 2010)、それからの回復の経験から、アマモ類の藻場(アマモ場)は5~10年で戻るのではないかと予想している。現在、移植による海草場の再生に取り組む計画もあるだろうが、回復過程が確認されている藻場では過剰な人間による介入は遺伝的多様性保全の面から避ける方がよい。千年に一度の津波に対してもアマモ類は種子による回復という適応力を十分もっているからである。

アマモ場復活の鍵

■図2:2013年7月に船越湾で観察されたタチアマモの花株(草丈が大きい株)

その後の潜水観察によると、3月11日以降に発芽したアマモ類の栄養株が残り、冬から春にかけて地下茎を伸ばしてシュートを増やしている。2012年の夏以降に花株が確認された(図2)。生産された種子が、回復に寄与し、ますます回復は加速していると考えられる。一方、宮城県志津川湾では、湾奥の砂地にガレキが散在し、アマモ場が消失していた。陸は河川を通じてアマモ場と結びついているので、今後、河川を通じた砂の供給が、アマモ場復活にとって重要な鍵となる。また、建設が進められている巨大防潮堤は、従来よりも基礎部分が浅海域に大きく広がるため、今までと同じ場所に建設すれば、アマモ場そのものを破壊してしまう。また、工事による濁りが続くと、アマモ類は生息できなくなる。三陸の沿岸漁業の復興を考える場合に、藻場、特にアマモ場の復活は不可欠であり、そのためには、藻場、特に湾奥の砂地のアマモ生息場を確保し、さらに、自然の物質の循環を妨げないことが、最も重要である。(了)

第327号(2014.03.20発行)のその他の記事

ページトップ