Ocean Newsletter
第302号(2013.03.05発行)
- 岩手県知事◆達増拓也
- 宮城県知事◆村井嘉浩
- (財)国際高等研究所チーフリサーチフェロー◆田中 克(まさる)
- ニューズレター編集代表((独)海洋研究開発機構上席研究員/東京大学名誉教授)◆山形俊男
津波の海に生きる三陸の未来:森里海連環と防潮堤計画
[KEYWORDS] 森は海の恋人/気仙沼舞根湾調査/蘇る湿地・干潟(財)国際高等研究所チーフリサーチフェロー◆田中 克(まさる)
宮城県気仙沼湾・舞根湾では大震災が沿岸生態系に及ぼした影響と回復に関する調査が進められている。
舞根湾奥部に干潟や湿地が蘇り、アサリをはじめ多くの生き物があふれ出している。三陸の豊かな海の源である森と海のつながりや干潟・湿地の存続に深く関わる巨大な防潮堤計画が進められている。次世代に禍根を残さないために、生態系や景観に配慮した長期的・総合的な防災計画の策定が望まれる。
気仙沼舞根湾調査の誕生と展開
わが国は世界的に類まれな森と海の自然大国である。両者のつながりの重要性は、社会運動『森は海の恋人』とその基盤となる統合学問「森里海連環学」の連携によって深められている。三陸リアスの海に生きる漁師の現場感覚から生まれた森は海の恋人運動は、代表者畠山重篤氏が世界のフォレスト・ヒーローズに選ばれ、世界的に注目されている。三陸沿岸域を巨大な地震と津波が直撃し、私たちは、自然への畏敬の念を取り戻す必要に迫られた。巨大地震と津波が沿岸生態系に与えた影響と回復過程に関する「気仙沼舞根(もうね)湾調査」を通じて得られつつある知見をもとに、津波の海に生きる三陸の未来創生に大きく関わる防潮堤計画の問題点を考える。
森は海の恋人運動に未来を重ねる研究者が全国から気仙沼・舞根湾に集まり、生物環境調査が2011年5月に始まった。海の研究者とNPO法人森は海の恋人関係者の8名でスタートした気仙沼舞根湾調査には、その後、森、川、湿地・干潟などの若手研究者や学生の参加が相次ぎ、今では30名を超える研究集団として、森里海連環の視点より調査研究が続けられている。
本調査の直接の目的は、カキ・ホタテガイ養殖業復興の前提となる餌生物(珪藻類)や赤潮原因生物(渦鞭毛藻類)の発生状況、陸域から流入した有害な人工化学物質・重金属類による汚染状況、がれきの分布状況などの把握であった。調査を開始して間もなく、これらの懸念材料には問題はなく、養殖業再開の条件は整っていることが判明した。その後は、より長期的・総合的に、森から海までを通して、震災の影響と回復過程を分析記録し、歴史の証言として世界に発信し、続く世代に伝承することを目的に調査は進められている。震災後数カ月を経て夏季を迎えると、海の中に生き物たちが現れ出し、その傾向は2年目の春より一層顕著になった。地震と津波によって環境と生物間諸関係が激変した湾内には、多くの生き物たちが新天地を求めるかのごとくあふれ出て、そのたくましい生命力に住民は感動し、津波の海と共に生きていく方向へと地区の意思がまとまることとなった。
巨大地震と津波の贈り物ー蘇る湿地・干潟とアサリの着底
■写真1:地震と津波のあと舞根湾に蘇った湿地・干潟、そして着底・成長したアサリ。
巨大な地震と津波は未曾有の被害をもたらしたが、一方では人間が壊し続けてきた自然を再生する働きも示した。それは、リアスの湾奥部に森と海をつなぐ湿地や干潟を蘇らせつつあることに典型的に見られる。舞根湾奥部には、1940年代までかなりの規模の干潟と湿地が存在したが、それらは埋め立てられて宅地や農地に変えられた。そこに15mを超える津波が押し寄せ、全ての家屋は倒壊・流失した。三陸沖でのプレートの大規模な移動に伴い、気仙沼周辺では70cmにも及ぶ地盤沈下が生じ、湾奥部の低地には海水が浸入してかつての湿地や干潟的環境に戻りつつある(写真1)。
海の多くの生き物は小さな卵を大量に放出する繁殖戦略をとる。津波の直撃に耐え抜いた親たちは無数の幼生を放出し、外敵が激減した海の中で多くの幼生が生き残り、新たに生まれた湿地や干潟環境をいち早く海と認識して棲み着き始めている。なかでも、アサリ稚貝は湿地や干潟はもとより、コンクリート岸壁上の砂利の中にも着底している。初期に着底した個体は殻長3cmを超えるまでに成長し、すでに「震災2世」を産み出している。アサリは、干潟や河口域などの水際環境が埋め立てなどにより消失あるいは著しく劣化する中で、日本周辺の海から姿を消し始めて絶滅が危惧される生き物である。自然は、このようにすれば、その再生が可能であることを端的に示したのである。
津波の海に生きる未来創生と防潮堤
■写真2:気仙沼「防潮堤を勉強する会」が主催した防潮堤祭り。陸前小泉海岸に計画されている14.7mの「巨大」防潮堤の高さを実感する住民。
■写真3:蘇った干潟は格好の環境教育のフィールド。舞根湾奥部で行われる気仙沼市内の小学校の総合学習。
わが国の水産物供給基地として重要な役割を担ってきた三陸沿岸域の豊かさは、多様に入り組んだリアスの海岸構造と、その湾奥部に流れ込む川の存在、川に豊かな水を供給する森の存在が総体としてよく保全され、森里海の連環が機能してきたことに深く関わる。再起不能と思われる被害を受けても「海に恨みはない。海と漁業は必ず蘇る」との漁師の揺るぎない信念の根拠である。
このような自然豊かな三陸沿岸で、津波の海と共に生きようとする人々の未来に深刻な問題が浮上している。今後の津波から命を守る目的で、リアス奥部の浜に建設が計画されている防潮堤である。気仙沼市では、総延長は震災前の1.5倍、5m以下であった高さは最高14.7mにも及ぶ(写真2)。
この巨大な防潮堤が建設される陸前小泉地区には、舞根湾よりさらに大きな規模の湿地や干潟が蘇り、シジミ、アサリ、ハマグリなど海水浄化機能を担う生き物が現れている。14.7mの巨大なコンクリートの防潮堤を支えるためには幅90m前後の基部が必要となる。それは確実に地下水と言う見えない森と海のつながりをも断ち切ることになる。津波の海に生きる人々は、すでに高台に移住を決め、津波危険地域には住まないことで自らの命を守ろうとしている。このような地区に生態系や景観を破壊する防潮堤は必要なのであろうか。巨大な構造物が三陸一円の水際に建設されれば、各地に蘇る湿地や干潟は再び消滅し、森と海の連環は大きく断絶されることになる。それは、森の恵みによって成り立つ三陸の基幹産業である養殖業や沿岸漁業のみならず、類まれな景観に依拠した環境産業・環境教育(写真3)などにも深刻な影響を及ぼすことが大いに懸念される。著しい環境改変を伴う防潮堤は、現在の環境アセスメント法の対象外であり、国民的議論や監視のないままに進められる現実に危惧を抱かざるを得ない。
より持続循環的な防災計画を
世界は、日本が大震災から何を学び、どこに向かおうとしているかを注視している。それは、経済成長とグローバル化の限界を乗り越えて、より持続循環的な世界を築き直す「知恵」を日本なら提示してくれるに違いないと期待しているからであろう。その答えが、自然と自然、自然と人、さらには人と人のつながりを大きく損ない兼ねないコンクリート構造物を沿岸域に張り巡らせることではあまりにも知恵がなく、日本はもはや信頼に値しない国だと見放すであろう。この計り知れない国家的損失をだれが背負うのであろうか。巨大な防潮堤がどれほど生態系と人間関係に深刻な影響を与えるかは、有明海の諫早湾潮受け堤防の設置で証明済みなのである。
巨大な津波に備えて森と海の国らしい、時間を経過するほど堅固になる「緑の防潮堤」(横浜国立大学名誉教授宮脇昭博士の提唱)を配置するなど、ソフト・ハード両面から千年に一度の地震や津波を見越した総合的な防災計画を、様々な専門家・関係者の英知を集めて作成することこそ、震災を乗り越えて世界に示すべき日本の責務と考えられる。(了)
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- 編集後記 ニューズレター編集代表((独)海洋研究開発機構上席研究員/東京大学名誉教授)◆山形俊男