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オーシャンニューズレター

第289号(2012.08.20発行)

第289号(2012.08.20 発行)

深海水族館のチャレンジ

[KEYWORDS] 深海生物/水族館/飼育
沼津港深海水族館 館長◆石垣幸二

今や世界中の水生生物が展示されるようになった水族館。
しかし深海に至っては、まだほとんど手つかずといっても過言ではない。
深海生物の展示は、水族館としては避けて通れない大きな課題となっている。
「沼津港深海水族館」のチャレンジは始まったばかりである。

駿河湾と深海漁、そして水族館

静岡県民の誇りは、日本一の富士山だけではない。駿河湾は、最深部で2,500mという日本一の深さを持つ湾でもある。ここで水揚げされるものとしては、タカアシガニやサクラエビをはじめ、アオメエソ、アカザエビ、ヌタウナギ、深海ザメと列挙にいとまがない。駿河湾はそれほど深海生物の宝庫であり、他に類を見ない豊饒な海なのである。この豊かな海を維持するためには、禁漁期間が厳しく定められている。トロール漁しかり、サクラエビ漁しかりである。この海を、そして水揚げされた魅力にあふれる生物を見ながら、悔しさは日々に大きく膨らむ一方だった。

沼津港深海水族館
http://www.numazu-deepsea.com/

2010年、沼津港に水族館を建設したいというオファーが舞い込んできた。しかもプランニングまでも一任してもらえるという。しかし、すぐに「深海水族館」へとは踏み出せなかった。周年にわたって深海生物を飼育できるのか? いや、飼育にとどまらず展示しなければならない。悩み続け、迷い続けてようやく至った結論は「沼津港深海水族館」という名称にたどりついた。新たに水族館業界に参入するからには、長年の夢だった深海生物を中心とした水族館で勝負したいと決心した。

憧れと夢

静岡県下田市で生まれ、海辺で育ったことが現在の職へ就いたきっかけの一つではあるだろう。水族館へ生体を供給する職に就き、やがて起業した。生体販売業として、その供給先は国内だけでなく、海外の水族館も大きな比重を占めている。国内と海外で、多少のタイムラグはあるものの、水族館での人気の生物は同じ方向に向かうこと、しかも緩やかではあるが、刻々と変化していくということを肌で感じていた。
生体の販売業としての意地、プライドを持って取り組んでいたが、なかなかオーダーに応えきれない生物がいた。それが「深海の生物」だった。何とか需要に応えたくて、真冬の深夜であろうが早朝であろうが、漁師さんに頼み込んで乗船させてもらった。少しずつではあるが「生かせる」手ごたえを感じていた。しかし、まだ大きな壁が立ちふさがっていた。水揚げされて蓄養水槽までは短時間のうちに移動させることができる。蓄養水槽では落ち着いた状態までしっかりと管理する。しかし、この後の輸送の問題が重要である。生体には大きなストレスを与えてしまうからだ。国内でも十数時間、海外に至っては数十時間もかかってしまう。
結果は惨憺たるものとなることがほとんどであった。何とか水族館で、多くの人に深海生物の魅力を知ってほしいという願いは、自分の中でも「憧れと夢」になっていた。

次の海へ

2011年12月10日にオープンした「沼津港深海水族館~シーラカンスミュージアム」は、水族館業界においては小規模な部類の施設である。とはいえ、何とか内容で満足してもらえるようにしたい。

飼育が難しいメンダコ

開業前から深海トロール船やサクラエビ漁の船に乗船させていただき、日々採集に明け暮れた。飼育の難しさからスターティングメンバーにはリストアップしていなかった生物「メンダコ」が比較的良い状態で採集できることが分かった。
メンダコといえば、何ともいえない愛嬌があり「深海のUFO」と称されることも多い生物である。長年の憧れの生物であったが、それまではせいぜい1~2日間しか生かすことができなかった飼育の困難な深海のタコである。多くはトロール網にもみくちゃにされてつぶれていたり、混獲されるエビやカニの棘で傷だらけであることが多い。幸運にもうまく採集できたとしても、輸送中に弱ってしまうことがほとんどだった。今回の水族館は、港からわずか数分の距離である。この移動距離であればと高をくくっていたが、それでもうまく飼育できなかった。

底曳き漁による深海魚採集の様子

水温、照明、底質などで飼育実験を繰り返した。何もマニュアルがないなかでの手探りの飼育試験だった。その他にも、ミドリフサアンコウ、アカグツなど、それまで半ば飼育をあきらめていた生物も長期飼育が可能となった。しかし、まだまだ自己満足の結果でしかない。メンダコの27日間飼育という記録は、水族館としては決して評価されるものではない。いい状態の生物を周年展示することが私たちの水族館の使命となっている。
深海生物、その生物を目にした方たちにとっては、たとえそれが小さな水槽であっても、そこが深海の入り口につながっている。水族館とは、そんな施設であるべきだと痛感している。
採集の機会を作っては船に乗り、その度に感じることは、毎回新しい出会いがそこには待っているということである。まるで無尽蔵の謎が秘められているかのような深海。「沼津港深海水族館」のチャレンジはまだ始まったばかりである。ひとつずつ、一歩ずつ、その謎に正面から向かい合うことができる機会をうれしく思っている。
深海と宇宙は、その謎の多さからか、比較されて論じられることも少なくはない。宇宙にはロマンがあふれているのに比べ、悲しいかな深海生物には絶えずグロテスク、おどろおどろしいなどといったイメージで語られることが多かった。近年では、深海艇の活躍から、そのイメージも多少は変化しているに違いない。
深海は見えないから面白い。次にチャレンジするのは、新しい海。それは今よりも少しだけ深い海なのである。(了)

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