Ocean Newsletter

オーシャンニューズレター

第287号(2012.07.20発行)

第287号(2012.07.20 発行)

編集後記

ニューズレター編集代表(総合地球環境学研究所名誉教授)◆秋道智彌

◆平成24年度の「海の日」がきた。もともと、7月20日が「海の記念日」として昭和16年に制定されたきっかけは、明治期にさかのぼる。時の明治天皇が明治9(1876)年に第1回の東北巡幸にお召しになり、その年の7月20日横浜に帰港されたことに端を発する。そのときの御召し船が本誌でM・ガルブレイスさんの紹介にある明治丸である。
◆明治丸は天皇行幸の年、横浜を出港し、当時領有権をめぐり英国と対立のあった小笠原諸島に向かった。11月21日のことである。明治丸は時を同じくして横浜を出港した英国軍艦に先んじて小笠原諸島に到着した。江戸時代を通じて幕府は小笠原諸島の領有に大きな関心を示さなかったが、太平洋捕鯨の進展とも相まって、列強の小笠原諸島への関心は並々ならぬものがあった。最新の機能をもつ明治丸により、小笠原領有問題に先鞭をつけたことは特筆される。
◆輝かしい歴史をもつ明治丸は現在、江東区越中島の東京海洋大学構内にある。100年の歳月を経て老朽化した船の修復のために、本年3月までに修復費用を捻出するための運動があった(本誌255号、今津隼馬著「明治丸海事ミュージアム構想について」参照)。しかし、総工費6億円の半分しか集まっていない。ガルブレイスさんはこのまま少ない来客を当てにして越中島においておくよりは、より集客力のある横浜港に、さもなくば都内の日本橋界隈に移す可能性についても示唆されている。明治丸の威容とその歴史をより多くの人びとが体感することが重要という論理だ。この問題をめぐる活発な議論が巻き起こることを期待したい。
◆21世紀の今日、国連海洋法条約の締結以降、グローバル化した国際的な海洋環境でわが国における海洋政策の推進が焦眉の課題となっている。東海大学の武見敬三さんは、日本で初めてとなった海洋基本法の立法化に奔走されたことは周知の事実である。総合海洋政策本部の設置、海洋基本計画の策定と相次いで法整備が進む一方、当初の思いであった縦割り行政を排した政治主導の海洋政策推進構想がこの間の政治的な混乱のなかで後退してはいないかと警鐘を発せられている。米国と中国の2大大国にはさまれたなかで、いかに自国の200海里排他的経済水域における権益を守り、オーシャンレジームを構築するかがまさに喫緊の課題となっている。小笠原諸島をめぐり遅れた外交政策しかもたなかった時代から一転して、明治期に明治丸が果たした役割にも似た積極果敢な外交手腕が問われている。
◆縦割りを排した官官、官民連携は昨今の大陸棚延伸をめぐり国際的なやり取りにも反映している。内閣官房内閣参事官の谷 伸さんによると、大陸棚延伸をめぐる調査研究と審査書類作成に向けた政府・民間が一丸となった奮闘が海洋政策部門で日本のなし得た最大の成果であるという。とくに海上保安庁の全面的な尽力が不可欠であったと述懐されている。なせばなる、という叱咤激励でもある。本誌を通読し、今年の「海の日」はまことに爽快な気分にひたれたのはわたしだけではあるまい。新たな課題への挑戦に向けて、一層のご努力を各界に期待したい。(秋道)

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