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第287号(2012.07.20発行)

第287号(2012.07.20 発行)

日本の重要文化財「明治丸」の復元と保存についての提言

[KEYWORDS] 明治丸/海事遺産/復元と保存
評論家、国際化トレーニングコンサルタント◆Mike Galbraith

「海の日」は、明治天皇が東北巡幸の際に、御召船であった「明治丸」で青森から函館を経て、横浜港に帰着されたのが1876年7月20日であったことから、この時期に制定された。しかし現在、その明治丸の保存状態は決して良好とは言い難い。
復元事業のための募金活動が行われたが、集まったのは目標額のおよそ半分にとどまり、期間延長が決まった。今こそ明治丸の貴重な歴史的価値を広く周知し、今後の保存の在り方についても考えるべきである。

明治丸の輝かしい歴史

明治丸は日本政府の特注により1874年にスコットランドのグラスゴーに近い造船所で建造された。当時の造船技術の粋を集めて設計された汽船であるが、万一の故障に備えて2本のマストと帆も備えたトップセイル・スクーナー(Topsail Schooner)である。全長68.6m、全幅6.9m、重量1,027.57トンで速力は11.5ノットであった。
日本政府の当初の建造目的は、海岸線に沿って設けられた26の灯台を見回る巡視船としてであった。もう一つの目的は、明治天皇と皇室がお召しになるロイヤルヨット(Royal yacht)としての役目であり、船内には壮麗な装飾が施された特別室が設けられている。明治丸は明治時代の前半には明治天皇の東北巡幸を含め幾度か国家的任務にあたり、特に1875年11月の小笠原諸島の領有問題では極めて重要な役割を果たした※1。その後、明治丸は1896年に商船学校(現在の東京海洋大学)に譲渡された。その2年後には3本マストの練習船に改造され、隅田川沿いに係留されて、商船教育の訓練に用いられた。現在は、同大学の越中島キャンパスの芝地上に保存されている。
明治丸は現存する最古の洋式鉄船であると共に、洋式鉄船としては日本における唯一の重要文化財である(1978年指定)。明治丸はまさに日本の海事文化資産の至宝なのである。

明治丸の経年劣化を目撃

1980年代の大規模修繕が完了した後の90年代初めに明治丸を見学するのは素晴らしい体験だった。100円の入場料を払っただけで、クリッパー船のような、美しい流線形の船体に眼を奪われた。聳え立つ3本のマストと優美な船首のバウスプリットを眺めていると心が掻き立てられずにはいられなかった。明治天皇が使われた御座所や、海に浮かぶ日本の帆船を写した、うっとりとする古いフィルムを鑑賞したり、ボランティアで船の保存に従事している退役船長・機関長などの人々といろいろと語り合ったりした。これは私にとって何物にも替え難い珠玉の体験であった。他に見学者が全くいない時には明治丸が"知る人ぞ知る秘宝"のように思われたものだ。
ところが、私は徐々に悲しい目撃者となってしまった。というのも、往時の誇り高い船が次第に尊厳を失いつつあるように感じたためである。極論すれば、今や清潔で手入れの行き届いた"廃船"と言っても過言ではない。船体の外側は非常に傷んでおり、とりわけ船主のバウスプリットにおける経年劣化は顕著で、見学のたびに先端部分が下の方向へ少しずつ曲がっていくのを目視でも認めることができた。結局は先端部分を切り落とすしかなかったようだ。とうとう一般向けの船内見学もできなくなってしまった。

募金活動は目標に届かず

■上は1988年に撮影した「明治丸」。下は2012年6月の撮影。

2010年3月(平成22年)に、明治丸の復元に必要な6億円の資金を2年間で集める募金キャンペーンが始まったが、残念ながら期限までに寄せられた金額は目標のおよそ半分の2億9,644万9,481円にとどまった。このため同大学は、復元作業計画を延期し、キャンペーン期間を2015年1月まで延長した。
歴史的・文化的に貴重な船を保存するには膨大な手間と費用がかかる。大学の職員から聞いたところでは、明治丸のチークデッキをきちんと整備するには、毎日、海水で洗うのが理想的であるという。この種の船を望ましい姿で保存・管理していくには、潤沢な資金のあるスポンサーを見つけるか、あるいは大勢の訪問者からの見学料が必要となる。
ちなみに、明治丸の見学者数は年間2,500人前後である。参考までに横須賀で展示されている戦艦「三笠」※2は約19万人、ロンドンの「カティーサーク」※3に至っては25万人規模である。明治丸もこれらの船に優るとも劣らない文化的・歴史的な価値を有していると確信する。昨年は、天皇陛下御見学のニュースが流れたこともあって、見学者数はほぼ50%増となったものの、残念ながら一過性のものであった。最近では特に船の状態が悪くなっているように見受けられ、大学としても見学料を払ってもらうことが難しいようだ。

船を移転させることができるのか、移転させるべきなのか

見学者数が少ない理由を、私は明治丸が展示されている現在の場所が不便なためではないかと長い間思ってきた。例えば、横浜港にある氷川丸の近くに移転させれば、もっと大勢の人たちに鑑賞してもらえるのではないだろうか。あるいは、最近論じられているように、日本橋の上を通る首都高速道路がもし早期に撤去されるならば、日本橋川へ移すのも一つの方法かとも思った。日本橋川の60メートル程度の川幅は明治丸にとって絶好のロケーションとなり、多くの見学者からの入場料収入も見込めるのではないだろうか・・・。実際、英国では歴史的に貴重な船を移動した前例もある※4。
しかしながら、この調査に取り組んでいくうちに私の考えは徐々に変化した。本来、船というものは人の移動や物の運搬のために建造されるのだが、明治丸は100年以上もの長きにわたってほとんど移動させられたことがなかったのも事実である。すなわち、明治丸にとっては越中島キャンパスが「母港」なのである。従って、そう簡単には「母港」から移動すべきではないかもしれない。

世界中の、歴史的に有名な船の保存プロジェクトの教訓から学ぶ

明治丸は単に日本の重要文化財にとどまらず、世界の重要な海事遺産の一つである。明治丸のように歴史的・文化的に貴重な船を保存していくには、明確なビジョンに加えて、広報、マーケティング、あるいは事業管理などの様々な専門的技能が必要である。東京海洋大学がこうした面での成功事例を国内外から見つけだして、上記のような専門的な技術を習得され、実行されていくことを期待したい。そのためにも同大学が、明治丸の長期的な保存計画と、それを可能にするためのビジネスモデルを確立することを強くお薦めする。
とは言っても、まずは今回の復元計画を実現させることが喫緊の課題であり、明治丸を愛するファンの一人として一刻も早く復元事業が始まることを切望して止まない。(了)

本稿は英語で寄稿いただいた原文を翻訳まとめたものです。原文は当財団HPでご覧いただけます。

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