Ocean Newsletter

オーシャンニューズレター

第263号(2011.07.20発行)

第263号(2011.07.20 発行)

津波で流されなかったもの~海との「つながり」からの視点~

[KEYWORDS]東日本大震災/復興支援活動/ふるさと再生
日本財団会長◆笹川陽平

日本財団は震災が発生した直後に「東日本大震災支援基金」を設置し、被災した方々への緊急支援に取り組み、被災した方々が海に戻るための手助けを支援事業の主軸のひとつとして展開してきた。
今後は、被災者が海を介した家族やコミュニティのつながりを基盤とした「ふるさと」を取り戻すために必要な支援へと展開を図っていきたいと考えている。

海との「つながり」


■津波は海を生業とする人々の生活の場を直撃した

私たち日本人は、古来より、海に囲まれ、海に生かされ、海に寄り添いながら、海とともに生きてきた国民です。とりわけ、東北地方沿岸部の人々の生活は海との関わりなくしては語れません。この地域は日本有数の水産業の盛んな地域であり、多くの人々が直接的あるいは間接的に海に関わる仕事で生計を立ててきました。漁を行い、船を造ることを家業として、その知恵と経験を、祖父母から両親、両親から子どもそして孫へと世代を越えて家業として伝えられる家族のつながりと、浜(地元の海を愛着を持って「浜」という)ごとに協力や分業を行ってきたつながりを維持することで、多様で複雑な三陸地方の自然環境に適合した生業を維持してきました。この地域に伝わる海の生活や文化は、「家族」と「コミュニティのつながり(地縁)」という海を介した2つの「つながり」によって支えられてきたといっても過言ではありません。
しかし、このたびの東日本大震災では、南北300kmにわたる沿岸部が津波に襲われ、海は一瞬にして、人々の命や生活文化の基盤を奪い去ってしまいました。水産業や造船業などの海に関する仕事は壊滅的な打撃を受け、4カ月あまりが経った今でも復興に向けた基盤は整っておらず、多くの人々がいつ海の仕事に戻ることができるのか分からない不安定な生活を送っております。それにも関わらず、海とともに生きてきた被災者の方々は、辛抱強く、希望を捨てずに一日でも早く再び海に戻ることを願っています。なぜならば、そこには海とともに生きてきたことへの誇りと、海を介したつながりへの愛着があるからです。言うなれば海は「ふるさと」そのものなのです。
しかしながら、避難生活の長期化や限られた高台への移転計画などにより、心の中ではふるさとである海とつながっていても、これまで長い間引き継がれてきた家族やコミュニティが引き裂かれてしまう危機に直面しているような地域も数多くあります。このような状況を考えたとき、政府、自治体、企業、NPO、個人など、あらゆる立場の人たちが被災者への思いやりと彼らの立場に立って考える優しさを忘れることなく、そして何よりも東北の持つ海への誇りを柱として捉えることを忘れずに復興支援に携わることが必要であると考えます。

希望の灯りー 一歩を踏み出すために

復興への道のりは平坦ではありませんが、平坦ではないからこそ、一歩先に進むための「希望という灯り」をともすことが重要であると考えています。震災直後、残された命をつなぐために必要なモノもお金もない、あまりに切迫した状況におかれた人に必要な支援と、震災後数か月が経った現在、被災者が仕事や生活を取り戻すために必要な支援、そして、今後、被災者が海を介した家族やコミュニティのつながりを基盤とした「ふるさと」を取り戻すために必要な支援はそれぞれ異なります。
私たちは、その時々の被災者のニーズを考えることはもちろんのこと、常に被災者の方々が一歩先に進むための「希望の灯り」をともすことを目的に多様なプログラムを展開してきました。そして、家族やコミュニティというつながりを築き、育んできた海を取り戻し、最終的には被災者が自らの力で「ふるさと」を未来に引き継ぐための手助けができればと考えています。

緊急支援活動


■石巻市で見舞金を手渡しする筆者

例えば、震災発生直後から「東日本大震災支援基金」を設置し、緊急支援活動を行うNPOやボランティア団体に対して支援金を提供するとともに、今回の災害で死亡あるいは行方不明となられた被災者に関し、ご遺族またはご親族の方々に弔慰金・見舞金の手渡しをさせていただきました。非常に多くの人々が募金をされている義捐金は、公平性が必要なために被災者に届くまでに長い時間がかかってしまう上、緊急支援活動を行う団体には配分されず、結果として今まさに必要な緊急支援が行なわれないという状況となっていました。そのため、日本財団は、支援金や弔慰金・見舞金という方法で、被災者が今の命をつなぎ、生き抜くために一歩前に進む希望を持っていただくための活動に取り組んだのです。

「海」を媒介にした復興支援活動


■被災した小型船の修理事業も始まっている


■水中ロボットを使用し、海がどのような状態にあるかを探る事業も7月から始まる

また、ともすると、その地に暮らしていない人々は、震災直後の緊急支援が終わると被災者への関心が薄れがちとなってしまうことがあります。しかしながら、被災者が震災前のようにかつての生活を取り戻せるようにならなければ本当の意味での復興とはいえませんし、何よりも震災の発生前後を精神的にも物質的にも断ち切らず、貫く形で被災地の生活のあり方を勘案しなければ復興は語れません。これまでの誇りとふるさとを維持するために、家族やコミュニティの「つながり」を未来に引き継ぐことが必要であり、その媒介となるのが「海」であると信じております。このことを踏まえ、私たちは現在、被災地域の水産業、造船業など海に関連する事業者に、事業の再開に向けた「希望の灯り」をともすための支援を始めました。
6月10日より開始した小型船舶修理のための拠点整備事業では、地元の造船関係事業者と漁協、舟艇メーカーの協力により、被災した1t程度の小型漁船を中心に1,000隻以上の修理を秋までに行う予定です。漁業者が命の次に大切にしてきた船を取り戻すことによって、自分の船で再び海に出たいと望む期待に応えることができるようになりました。さらには、岩手県、宮城県に約10カ所の修理拠点を整備したことで、地元の技術者の短期的な雇用を創出することにもつながりました。
また、7月上旬より開始する海の再生力探査事業では、東京大学海洋アライアンスや全国漁業協同組合連合会などとの協力により、水中ロボットを使用して海の中をビデオ撮影し、地元の漁業関係者に見てもらう海中の視覚調査を岩手県、宮城県の主な湾部10カ所程度で実施します。自分たちが生きてきた海がどのような状態にあるかを知ることで、漁業や養殖業の再開に向けた青写真を描くことにつながればと思っております。加えて、海を介したつながりを未来に引き継いでいくためには、未来の水産業・造船業の担い手が不可欠です。しかしながら、水産高校などの海洋関連学科を有する高校においても、津波で教習艇や実習艇が流失、損傷する被害が生じており、このままでは海洋関連学科を卒業しても海の分野で働くために必要な資格を有しない若者が多数輩出されてしまいます。それゆえ、水産高校などの海洋関連学科を有する高校に対し、教習艇や養殖作業実習船などの配備を支援し、担い手を育成できる環境を早急に復旧することで、明日への希望、次世代の未来を開くお手伝いができればと考えております。
この他にも裾野が広く、雇用など地域経済に与える影響が大きい造船事業者の再生支援プロジェクトなどのように、水産業をベースとした漁船や養殖作業船の建造や修理から、浜で行われる養殖かきの殻むきなども含めた水産加工、製氷・冷蔵などの保管機能、魚市場、食品加工や流通、漁具・漁網などの製造・保管・修理に至るまで、海をとおした多様な役割とそのつながりにしっかりと目を向け、一つ一つ必要な支援を行っていくことが重要であると考えております。


■復興とは「ふるさと」を取り戻すことであり、日本財団はそのために必要な支援を一つずつ行っていく考えだ

流されなかったものー ふるさと再生

このように日本財団は、震災直後の緊急的な支援だけでなく、被災した方々が海に戻るための手助けを支援事業の主軸のひとつとして展開してまいりました。今後は、被災者が海を介した家族やコミュニティのつながりを基盤とした「ふるさと」を取り戻すために必要な支援へと展開を図っていきたいと考えております。
今回の大震災は、津波という海が原因となった大災害が、海とともに生きてきた人々、地域を襲いました。津波は家族、親族、隣人を流し、家を流し、船を流し、これまでの生活を流していきました。しかし、流されなかったものもあります。人々の海への想いや誇り、海とつながる「ふるさと」への愛着、家族への想いなど、人と土地、そして海を強固に結びつける「つながり」は被災者の心やその生活にも残っています。だからこそ私たちは、被災者へのまなざしを忘れることなく、そして海との「つながり」を軸に据えながら、できる限りの支援を精一杯やり続けていきたいと思います。(了)

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