Ocean Newsletter
第260号(2011.06.05発行)
- 海上保安庁長官◆鈴木久泰
- 日本内航海運組合総連合会広報室長◆野口杉男
- 長崎大学水産・環境科学総合研究科教授◆中田英昭
- ニューズレター編集代表(東京大学大学院理学系研究科教授・研究科長)◆山形俊男
貧酸素化が進行する内湾の環境修復:大村湾における実証実験
[KEYWORDS] 閉鎖性海域/環境修復/貧酸素化長崎大学水産・環境科学総合研究科教授◆中田英昭
地形的に閉鎖性が強く海水の交換が小さい内湾では、上層から下層への酸素の供給量が制限される夏になると、海底付近に沈積した有機物の分解に酸素が消費されるため「貧酸素化」が急速に進行する。
長崎県の中央部に位置する大村湾で2010年から4年計画でここをモデルとした環境修復の実証実験に着手した。環境修復から「里海」の創生を目指している。
実験の背景と目的
地形的に閉鎖性が強く海水の交換が小さい内湾では、上層から下層への酸素の供給量が制限される夏になると、海底付近に沈積した有機物の分解に酸素が消費されるため「貧酸素化」が急速に進行する。とくに大都市圏を集水域に持つ東京湾や伊勢湾・三河湾、大阪湾などでは、陸域から流入する栄養負荷の増大に伴い赤潮の発生頻度が増加し、貧酸素化が毎年のように報告されている。貧酸素化は、海底付近に生息する生物に悪影響を及ぼすだけでなく、底泥から海水中への窒素やリンの溶出を促進することによって、内湾の環境悪化を加速する契機となることが知られている。
長崎県の中央部に位置する大村湾は、陸域からの負荷量は小さいものの閉鎖度がきわめて高いため、1970年代あるいはそれ以前から夏になると広範囲で貧酸素化が進行する。その状況は、下水道整備など負荷削減対策が強化された現在でもそれほど改善されていない。その一方で底棲魚介類の漁獲量は減少し続け、1990年代後半はそれ以前の水準の半分近くに落ち込んでいる。さらに、2007年と2008年の9月には無酸素化した底層水が湾奥部に湧昇する青潮が発生し、重要な水産物であるナマコの漁獲量が激減するなど沿岸の魚介類に大きな影響を及ぼしており、環境回復に向けた取り組みが急務となっている。
このような背景のもとで、私たちは科学研究費補助金(基盤研究A)の支援を受け、2010年から4年計画で大村湾をモデルとした環境修復の実証実験に着手した。この実験は、「貧酸素の巣」とも呼ばれている湾中央部の深みを横断する形で海底に空気(酸素)を送り込むことによって貧酸素化の影響を軽減し、生息可能な生物を増やすことによって実海域規模で環境や生態系の回復をはかることを目的としている。ここでは、その概要や意義について簡単に紹介する。
海底に空気を送り込む
■図1 大村湾のカキ養殖筏における散気の様子(左)と湾を横断する散気管設置図(右)
■図2 貧酸素化が進行する内湾における環境修復システムの大村湾への適用(概念図)
昨年度まで2年間にわたって海洋政策研究財団と長崎県が共同で実施した「大村湾の健康診断」の結果※、大村湾は閉鎖性が強く海水交換が小さいことに加えて、海底が全体に平たく岸から急深であるため干潟や藻場が発達する浅い場所(浅場)が少ないこと、そのため陸域から流入した栄養が浅場に取り込まれず湾内の深みにそのまま溜まりやすく、人間の健康に例えればメタボリック症候群になりやすい海であることが分ってきた。現状は、栄養負荷が増加する一方で埋め立てや護岸工事などによりもともと少ない浅場がさらに減少し、浄化能力が低下してきている。そのことも相まって湾中央部では貧酸素化が進行し、漁獲量が減少したため水産物として栄養負荷を湾外に取り出す能力も低下している。
そして、上記の診断結果を踏まえ、湾の健康を回復するための処方箋として、(1)酸欠状態になりやすい体質を改善しながら浅場の生物による浄化機能を高め、湾全体の新陳代謝を良くすることによって栄養の望ましいバランスを確保すること、(2)それによりプランクトンから魚介類の生産(漁獲)まで物質循環のパイプがうまくつながった自律性の高いシステムを作り上げていくことが提案されている。
そこで、私たちの実験ではまず酸欠状態になりやすい大村湾の体質の改善を目的として、貧酸素化が始まる6月から青潮が問題となる9月までの間、陸上に設置したコンプレッサーから小さい孔を空けた散気管を通して湾中央部の海底に空気を送り込むことを計画している(図1)。従来から局所的にジェット噴流を海底に吹き込む曝気実験は行われてきたが、このようにゆっくりと継続的にしかも広範囲にわたって酸素を供給するような実験例はない。その意味で、私たちはこれを曝気に対して「散気」と呼ぶことにしている。漁業者等の了解も得られ、長崎県環境保健研究センター(山口仁士博士)の協力のもとで2011年6月から実験を開始する予定である。また、これに加えて、浅場の浄化機能を高めるために、湾内各地域の特性を考慮しながら海藻類や養殖カキ、ナマコ等の生物による栄養取り込みの能力を活用した浄化システムを複合的に導入することにしている(図2)。
これらの実験の効果検証に向けて、貧酸素状態の変化とそれに伴う水質・底質や植物プランクトン・微生物等の群集動態、さらには低次栄養段階から高次に至る生態系のエネルギーフローの変化について追跡調査を実施することにしており、そのためさまざまな専門領域を統合した学際的・機能的な研究グループを組織している。
環境修復から里海創生へ
私たちの実験の特色の一つは、大村湾を実験室に見立てて、貧酸素化が進行する内湾の現状把握と環境修復方策の試験、その効果の検証を実海域でパッケージとして進めるところにある。これまで場の造成や掘削・覆砂など土木工学的な技術の応用が主体となってきた環境修復事業の多くは、効果の空間規模や持続性、コストパフォーマンス等が難点となっている。私たちが提示している散気を中心とする環境修復システムは、生態系全体を俯瞰しながら生物を育てる自然のポテンシャルを高めることによって、持続性と自律性の高い環境・生態系の回復を目指すものである。大がかりな道具を使うことなく自然の力をできるだけ活用しながら、時間をかけて環境修復をはかるところに大きな違いがある。
最近、里山と同じように人間が利用しながら健全な環境の保全をはかる「里海」の創生が、沿岸管理の目標に掲げられている。そこでは生物の生産性と多様性がバランスのとれた、経済的にも持続性の高い総合的な沿岸管理システムの構築が必要となる。大村湾でも浅場に多様な生物の生息場所を増やし水産資源を育てる機能を高めることによって、小規模でも多様な漁業活動を安定して営むことができるようにしていきたいと考えている。ここで提示した方法が、里海づくりを含む沿岸環境の保全と管理の一助となることを願っている。(了)
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