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オーシャンニューズレター

第258号(2011.05.05発行)

第258号(2011.05.05 発行)

海に生きる知恵を復興のよりどころに~岩手県大槌町の東日本大震災~

[KEYWORDS] 津波/海に生きる知恵/震災復興
総合地球環境学研究所・教授◆秋道智彌

東日本大震災で、東北・関東地方を中心に未曽有の災害が発生した。岩手県大槌町でも多くのいのちと財産が失われた。
現場を訪れ、船で沖合に逃げて奇跡の生還をとげた漁師の話を聞いた。
大槌湾内にある蓬莱島の弁財天像は津波でも破壊されなかった。その存在にカミをみたという。
海から町を守る弁財天の存在は、かならずや復興の大きな力になることだろう。海に生きる人びとの知恵を踏まえた復興を望みたい。


わたしは今回の東日本大震災発生から2週間後の3月26日夕方、大槌町(岩手県上閉伊郡)に入った。大阪から秋田、盛岡、花巻、遠野、釜石経由で大槌にたどり着いた。釜石市街部の破壊状況から、うすうす予想はしていたが、じっさいに町を見て唖然とした。町が消えている。残骸は鉄筋の建築物だけであった。多くのいのちと財産を瞬時に流し去った津波のおそろしいエネルギーをまざまざと見せつけられた。あのとき、なにがあったのか。

漁師の知恵


■津波で陸地の家屋の屋根に押し上げられた観光船。釜石市から大槌にドック入りしていたため、被災。

避難所となっている安渡小学校は町の高台にある。校庭で、わたしは町の職員である佐々木健さん(54)から木村辰喜さん(64)をご紹介いただいた。木村さんは水産加工業を営んでいるが、生粋の漁師である。木村さんは、重い口を開いてこう語った。
2011年3月11日午後2時46分。三陸沖でマグニチュード9.0の未曾有の地震が発生した。その時、木村さんは磯でマツモ(ナガマツモ科の褐藻類)漁の最中であった。同時刻、大音響とともに磯近くの崖が裂けた。「あのまま、マツモさ採ってたら死んでた」。津波が押し寄せてきたのは地震発生から30分ほどのちのことだ。
木村さんはとっさに小型の船外機を港へと走らせた。そして、自船の第十八早池峰(はやちね)丸(20トン)に飛び乗った。係留ロープといかりづなを断ち切り、船を沖へと全速で走らせた。津波を乗りこえ、沖で事なきをえた。そして、奇跡の生還をはたした。
早池峰山は、海抜1,917mの北上山地最高峰である。沖に出た漁師が陸にもどるとき、もっとも先にこの山が海から現れる。いわゆる山立て、山見の知恵だ。木村さん所有の船名は、海に生きる漁師にとりとてもたいせつなランドマークにちなんだものなのだ。
2004年12月26日に発生したスマトラ沖地震津波のさい、潮が沖へと引いていったので魚を拾いにいった人は津波に呑みこまれたが、逆に山のほうに逃げた人はいのちを失うことはなかった、という話が伝わっている。日本でも、沿岸域の住民は地震があれば山のほうへと逃げることを生活の知恵としてもっている。大槌では昭和の地震津波(1933)にちなみ、毎年3月3日に津波の防災訓練が町をあげて実施されている。だが、木村さんの場合、津波が沿岸に達する前に沖へ出て、波を乗り切る決断が功を奏した。高台に逃げるというのとは異なった、海に生きる漁師の知恵といってよいだろう。

カミは見放さない


■津波の前の蓬莱島。津波は島の松の木の上まで達した。右側の灯台は折れ、鳥居は失われたが、左側の小高い上にあるお堂と弁財天は流されなかった。

「カミさまはいるぞ」。木村さんは妙な語りをはじめた。大槌町には、井上ひさしさんの長編小説『吉里吉里人』(新潮社、1985)のモデルとなった吉里吉里がある。この地区も津波に呑み込まれた。その井上ひさしさん原作の人形劇「ひょっこりひょうたん島」(NHK総合テレビで放映の人気番組)のモデルとなった蓬莱島は大槌湾内にある。津波で島の先端部にあった赤い灯台は根元から折れてしまった。だが、島のもう一方の高いところにあるお堂に安置されている弁財天さまは波をかぶっても流されたり、破壊されることはなかった。だから、カミさまは大槌を見放してはいない、と木村さんは信じて疑わない。
このことを単なる迷信、俗信として片付けることができるだろうか。復興の道のりは長く、そして幾多の難関が待ち構えている。そのさい、人間の力を結集することが肝要であることはいうまでもない。だが、自然の猛威からの復興にむけて立ち向かうとき、人知を超えた世界へのまなざしはこの先、なくてはならないことなのだとおもう。木村さんが生と死のはざまで考え、そして取ったふるまいの先に、カミを見いだす心のうごきがあったのだ。このようなことこそが、復興に向けて大きなささえになると信じたい。

現場の意見を復興に生かす

巨大な津波によって、大槌町は町長を失った。地震発生直後から、町役場で陣頭指揮をとっていた加藤宏暉町長(69)は、役場から500mほど離れた場所で確認された。昨年11月には、前述した佐々木さんの計らいで、大槌の未来を語る意見交換会を開いて頂いた。夜、町長らと懇談の場をもち、採れたてのアワビを馳走になった。
この2月、大槌の歴史や文化、環境、地域振興などの話題をつめこんだ1冊の書を世に出した。それが『大槌の自然、水、人ー未来へのメッセージ』(東北出版企画)である。わたしがそのとりまとめ役を務めた。その書のなかで、加藤町長にも「未来への約束」と題する論をご寄稿いただいた。釜石市との合併を拒否したいきさつや、今後の町づくりについて町長は熱く語っておられる。「この町に住んでいて良かったと実感できるまちづくりの実現に全身全霊を傾注していきたい」というメッセージは、震災後、たいへん重いことばとなった。
この書を出すまでには、わたしを含む研究者仲間と大槌との関わりは10年以上になる。
われわれは、大槌町内の湧水地に生息する淡水型イトヨの研究や、海底湧水と水産業との関わりを探る研究を実施してきた。森 誠一さん(岐阜経済大学)、鷲見哲也さん(大同大学)、中野孝教さんと谷口真人さん(総合地球環境学研究所)らをはじめとして多くの研究者が大槌を訪れた。総合研究大学院大学による最初の研究会(1999年11月10~11日実施)が大きな弾みとなって、「生き物文化誌学会」が2003年に設立された。研究会や学会には、秋篠宮文仁殿下も参加されている。大槌の未来を切り拓いていくうえで、地域に根ざした知の発掘と現場の意見を尊重することこそが不可欠であることを強調しておきたい。(了)

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