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オーシャンニューズレター

第251号(2011.01.20発行)

第251号(2011.01.20 発行)

持続可能な海運・港湾社会の構築と政策形成基盤の拡大

[KEYWORDS] 海洋文化/港湾ドメイン融合/海事クラスター
大阪産業大学大学院 経営・流通学研究科長◆宮下國生

わが国の海運業と港湾業に見られる非整合的発展は、それが合理的なものであれば受容することはできる。
しかし、わが国がより強い海洋国家を目指すには、グローバルな直感を重視する海洋文化の遺伝子を発見し、時代に対応した独自の社会基盤を育成しなければならない。

港湾はどう変わったか


■図1:港湾ドメイン融合がもたらす政策形成基盤の拡大

港湾が現代ほど注目を浴びる時代はなかったかもしれない。いつの時代においても、港湾は国民経済、地域経済を支えるインフラとしての機能を継続的に発展させるための装置として機能してきたのであり、それは今後も変わらないだろう。
それでは何が変わったかである。一言でいえば、港湾が呼吸する生き物になったということである。それは海洋文化を栄養に、右脳にアメニティを含むウォーターフロントを、左脳に港湾・物流経済をセットして、社会を生き抜く力を試されようとしているともいえる。ウォーターフロントは港と都市空間をつなぐ機能を果たし、一般には親水空間としてとらえられている。その意味ではそれはロジスティクス・パークとは似て非なるものであるが、しかしそこには港と都市空間をつなぐ機能として、基本的に合い通じるものがある。そこからロジスティクス・パークを物流分野でイメージすることは容易である。
文化・思考と経済・ウォーターフロントの相互融合が、3つの港湾ドメイン(業務領域)融合を促進するだけではなく、政策形成基盤の広がりと政策決定のスムーズな流れを可能にする。それは点と線の関係でしかつながっていなかった港湾と海運の関係を、社会の中の面的関係へと昇華させ、海洋国家の強化につながるであろう(図1)。

海洋文化と社会基盤

ヨーロッパの都市の港湾を訪れれば、そこに地域住民と密着した港湾社会が形成されていることに気づかれるであろう。例えばドイツ、エルベ川上流に開かれたハンブルク港。その港を見渡す河畔では、休日には朝市が開かれ、さまざまな店が所狭しと軒を連ね、多くの市民が集まっている。もう何百年と繰り返されてきた伝統行事である。市民と海運・港湾をつなぐ社会基盤がそこにある。そしてエルベ川の沖には自由港ハンブルクと広大なウォーターフロントが広がり、子供たちは世界へ打って出る気概を養うのである。ハンブルクにとどまらず、ハンザ同盟によって栄えた中世ヨーロッパ都市の伝統を受け継ぐ諸都市では、港湾・海運・社会の一体化した発展が見られている。同じくドイツのブレーメンがそうである。この港もウェーゼル河口に展開している。またハンブルク世界経済研究所はドイツの5大経済研究所のひとつであるが、海運・港湾の研究が盛んであり、ブレーメンの海運・ロジスティクス研究所は世界にその名をとどろかせている。
さらには産業革命のプロセスにおいて世界の海運市場の中心地としての地位を固めたイギリス。ロンドン郊外のボルティック海運取引所は、イギリス海運業が過去の栄光から退いた現代においても、世界の不定期船・タンカー取引の中心地として、ニューヨーク海運取引所と並ぶ地位を誇り、金融・保険業も成長している。7つの海を制したイギリス海運の国際競争力は、戦後の技術革新への対応の遅れから衰退の一途をたどったけれども、海洋文化は国家の財産となり、国を支えている。サッチャー政権時代のドックランズの開発が多くの空き地をカバーできなくなった時、イギリス社会は寛容に対応した。イギリス国家百年の計からして、10年ぐらい空き地であってもどうということはない、というのがその趣旨であった。今、繁栄を誇るドックランズはイギリス社会の誇りでもある。
このようにヨーロッパの諸都市では海洋文化を社会にずっしりと位置づけ、海運・港湾を身近なものとして受け入れている。そして世界に誇る研究機関を育てている。関税免除の自由港地域を経済発展のベースにするとか、また海運業を今でも国家発展の基幹産業として、他産業にない優遇税制を与えている。これらは一朝一夕に成立したのではない。
このような構図の中で、海運・港湾のみならず、国際物流全般におけるヨーロッパ諸国の知的ノウハウが長年にわたって育成され、それが例えば、ドイツ郵便の民営化、さらには同社による空の宅配便大手DHL社の買収による国際物流へ積極的挑戦を生む革新的土壌を育成している。ヨーロッパがフォワーダーのメッカといわれるのも当然である。
ヨーロッパにおける海運文化と港湾文化は、根の深いところで海洋文化としてつながっており、まさに同根の文化であり、両文化が結合して物流対応社会を築き上げている。

日本はどう動くのか

日本にもヨーロッパのように海洋文化が花開いた時期があった。明治期には、神戸港に桟橋を作るため、大阪商工会議所初代会頭の五代友厚が神戸桟橋会社を設立し、大阪・神戸という枠にとらわれない大きな発想が見られた。また大正・昭和初期には神戸海運市場が世界の4大海運市場の一つに列せされ、さらに第一次世界大戦後から海運集約期までの約50年間にわたり神戸船主・大阪船主が活躍し、とりわけ神戸では海運・造船・港湾・金融等の海事クラスターが形成された。その意味では、日本の海洋文化のルーツは阪神地域にある。しかし現代においてそれが意識されることはほとんどない。その結果、海運文化と港湾文化はお互いに異なった次元ですれ違いの様相を展開し、両者は非整合な発展をたどっている。
それは良いことではないけれども、一概に悪いことでもない。もちろんそういえるのは、わが国が環境変化に対して最適の対応解を見出し、それを実行するという社会的合意を形成できればという話ではあるが。そのため、日本の海運・港湾社会が、外部環境からの社会基盤の変化要請に対してどのようなコンフリクト対応力を持つか、それこそがこの社会の持続可能性を決定する。
その中で、わが国海運業には海洋文化から生まれるグローバルな直感の正しさを受け入れる遺伝子が生きているように見える。日本海運業は世界の海運業に比して、独特の発展プロセスをたどり、したがって独自のビジネスモデルを展開している。その意味でわが国産業の中でも特筆して評価されるべきものであるといえる。わが国の海運業が何故に長期にわたって世界や日本の経済変動や構造変化に対して柔軟に対応しえてきたか、それは港湾業のみならず、日本経済の現状に対しても重要なインプリケーションを含んでいる。(了)

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