Ocean Newsletter
第250号(2011.01.05発行)
- 民主党衆議院議員、海洋基本法フォローアップ研究会座長◆細野豪志
- 海洋政策研究財団会長◆秋山昌廣
- 東京大学総長◆濱田純一
- ニューズレター編集代表(東京大学大学院理学系研究科教授・研究科長)◆山形俊男
「海」の原体験と「海」の研究
[KEYWORDS] 海峡/瀬/海に親しむ東京大学総長◆濱田純一
「海」に関する研究は、幅も広いし、奥も深い。海に対する関心の動機には、海についての原体験も大きい。私の原体験は明石海峡である。そこで、海にも「流れ」があること、また、「瀬」というものの存在を知った。
自然の海に親しむ原体験が難しくなりつつある時代に、海の豊かさ、面白さや大切さを伝える研究の発信が、「海」の研究に対する理解者を増やしていくことを期待する。
「海」に関する研究は、幅も広いし、奥も深い。東京大学の中で一部を取り上げただけでも、海底の地質や鉱物資源から海中の生物や水産資源、あるいは流体力学、ロボット学からの視点、さらには気象や気候変動まで、理学、工学、生物学などの分野で多彩な研究が行われている。海はまことに研究の宝庫である。文系の研究対象としても、海にかかわる文学や歴史、あるいは経済では水産業や通商、国際関係では安全保障といったテーマがすぐ浮かぶ。法律分野でも、1990年代に発効した国連海洋法条約、さらに2007年施行の海洋基本法などは大きな話題である。
漁業であれ資源開発であれ通商であれ、人びとがビジネスとして否応なしに海とかかわる場面は多い。他方で、ビジネスということを離れても、海に関する研究に熱意を燃やす人びとは多い。その背景には、「海」をめぐるそれぞれの原体験があることも少なくないだろう。私が海に関する研究に心ひかれる時にも、やはり原体験が関係しているように思える。
明石海峡
■1961年の秋の日、明石海岸で海に親しむ人たち。現在この場所は埋め立てられている。明石海峡大橋の本土側起点は写真の右端あたりである。
おそらく、人によって、「海」に対して抱くイメージは異なるだろう。海の近くに住んでいた人は、その海の印象が強く刷り込まれているはずである。また海から離れて住む人は、たまたま見た海から「海」のイメージを育むか、あるいは、まだ文字や言葉でしか知らない「海」を夢見るだろう。私の郷里は兵庫県の明石。明石海峡に面した城下町であり、港町である。私にとっての海は、正面にどんと構える淡路島と、白い砂浜によって印象付けられている。だから、今でも、正面に何もなくてまっ平らに広がっている海を見ると、何か落ち着かない。また、小学生の頃、当時の東海道線の特急「こだま」号で初めて東京に旅行した時に、たしか熱海の周辺だったと思うが、海岸の砂が黒いことに驚いた。いまでも記憶は鮮明である。
川だけでなく海にも「流れ」があると知ったのは、子どもの頃の原体験である。いまは浸食と埋め立てで無くなってしまったが、かつて明石の海岸には砂浜があり、貸しボート屋もあった。小学校の低学年の頃、10歳違いの叔父と少し沖合までボートをこぎ出したところで潮にどんどん流されてしまい、ずいぶん離れた浜辺にやっと「漂着」して、波打ち際をボートを引っ張って帰った思い出がある。明石海峡の潮流は、最大速で7ノット(時速13キロ)にもなるという。そのため、海峡の幅は4キロ弱にもかかわらず、泳いで渡るのは至難とも聞かされてきた。
同じような年頃に、砂浜で遊んでいて、少しずつ砂の突堤を積み上げて波打ち際からどこまで伸ばせるか、友だちと競争したことがある。これを伸ばしていけば淡路島とつながるな、と子ども心に思った。大人からすれば笑いごとだが、その時は真剣にそう思っていた。その夢は、明石海峡大橋ということでカタチになった。
この大橋は吊り橋工法となっているが、長大なケーブルを支える主塔の基礎の建設も、この基礎まわりが強い潮流によって洗屈されないように、特別の工夫がこらされているとのことである。
「鹿の瀬」漁場
「瀬」というものの存在を知ったのも、子どもの頃だった。明石海峡を西へ抜けたところ、明石の沖合、淡路島の西に位置する漁場で、「鹿の瀬」という場所がある。プランクトンが多く、魚にとってよい産卵場ともなっている。明石が、タイやタコをはじめ「魚の町」として知られているのも、この漁場の存在が大きい。
どうして「鹿の瀬」という名称なのか、諸説ある。そのいくつかに、明石と淡路島の間を鹿が泳いで行き来していた折に、背が立ち歩いて渡れるほどの場所だったという話が出てくる。一度、漁師船に乗せてもらって、そこまで行ったことがあるが、その時の感動は今も記憶に残っている。陸地からはかなりの沖合なのに、水を透かして海底の砂地が見える。水深は浅いところでは2メートルくらいとも聞いた。ちょうど太刀魚を釣り上げると、うろこがきらきらと海中に光りくねりながら引き揚げられてきたことを思い出す。
ここは良い漁場だが、淡路島と明石の間に位置するために、しばしば紛争の場でもあった。江戸時代以前から争訟の記録があるが、明治の頃にも関係者の間で条約が取り交わされている。その文書を見ると、魚の種類や漁法ごとに、場所や時期の規制が実に細かく定められている。
明石海峡は、最深部が100メートル以上もある。その周囲は海中の断崖絶壁である。そこを越えてすぐのところに、こうした浅瀬があることには、不思議な思いをかき立てられる。ちなみに、この海底の深い溝は、氷河期の海退の際に生まれた大河川の名残ということである。
「海」に親しむ
こうした、いわば原体験から、「海」についての研究には親しみを感じる。研究の意味が直観的に理解できることも少なくない。いま記してきた、子どもの頃のたわいもない思い出話からだけでも、研究者たちには、さまざまな研究テーマを読み取ってもらえることだろう。明石に兵庫県の水産試験場(現在は統合されて、県立農林水産技術総合センター)が設けられ、また、海峡を挟んで明石の対岸にある淡路島岩屋に神戸大学理学部の臨海実験所(現在は、神戸大学内海域環境教育研究センターのマリンサイト)が設置されたことも、むべなるかなである。
日本は海に取り囲まれた国であるだけに、人びとと海との接点は多いはずである。ただ、本屋に行っても、山の本の数に比べて、海の本の数は圧倒的に少ない。海は陸地より大きな面積をもっているはずなのに、人びとのアクセスがしにくいことがその理由だろうか。また、最近では、海岸線が人工的に整備されることで、原体験の対象として自然の海が遠ざかっていることも、理由の一つかもしれない。
せめて研究の発信を通じて、海の豊かさ、面白さや大切さが、より多くの人びとの間に知られるようになればと思う。それが、海に関する研究への理解を深め、さらには、海をフィールドとする研究や仕事をやってみたいという人びとの数を増やしていくことだろう。(了)
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