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オーシャンニューズレター

第249号(2010.12.20発行)

第249号(2010.12.20 発行)

日本とロシアとの実りある学術交流を目指して

[KEYWORDS] 生物保護と環境保全/バイオロギング研究/国境を越えた交流
東京大学名誉教授、海洋政策研究財団主任研究員◆宮崎信之

これまで日本とロシアの間では研究者レベルでの交流や国境を越えた活発な活動が行われ、2010年10月にはロシアで「第6回国際北極圏海棲哺乳動物学会」が開催されている。
今後も日本とロシアの両国関係を良好に保つには、このような人物交流や学術交流、さらには文化交流も含めた様々な活動が国家レベルでも強力に推進され、人類の平和と福祉の共通目的に向かって展開していくことが重要であると考える。

はじめに


■第二次世界大戦でドイツとの戦いで崩壊し、戦後、復興したカリニングラードの街。

2010年10月11~15日の期間、ロシアのカリニングラードで開催された「第6回国際北極圏海棲哺乳動物学会」に出席した。カリニングラードは、ポーランドとリトアニアに挟まれたバルト海に面したロシア領の飛び地で、20世紀前半までドイツ東北部の重要な通商都市(旧名ケーニヒスベルグ)であった。1991年に旧ソ連邦が崩壊し、ロシアとなった。当時、ロシア科学アカデミーの生態分野の議長をしていたヤブロコフ博士は、ロシア各地で活躍している海棲哺乳動物研究者を一堂に集め、情報交換するとともに、将来に向けた研究プログラムの立案や若手研究者の育成を目指して、2000年にアルハンゲリスクで第1回国際北極圏海棲哺乳動物学会を開催した。その後、2年間隔でロシアやウクライナで開催してきた。本稿では、私が関係したロシアとの共同研究を簡単に紹介するとともに、この会議で受けた印象を基に、将来の日本とロシアの関係について考えてみたい。

ロシアとの共同研究の背景

イルクーツクにある湖沼学研究所のグラチョフ所長は、1998年に、バイカル湖を世界の共通研究フィールドとして公開し、世界から研究者を集めて「バイカル国際生態学研究センター」を設立した。ロシア、アメリカ、イギリス、ベルギー、スイス、日本の6カ国の研究者は協力してこの組織を運営してきた。私はこの創設に関わり、文部科学省の海外学術調査の研究代表者として日本とロシアの共同研究(1996~1999年)を展開していたことが縁で、第1回から第6回まで連続して国際北極圏海棲哺乳動物学会に参加してきた。私の研究チームは、バイカル湖の生態学的研究のみならず、ユーラシア水系のアザラシ類(バイカルアザラシ、カスピカイアザラシ、ワモンアザラシ)の生活史、系統・進化、環境などの研究を実施し、ロシアの研究者と共著で多くの学術論文を発表してきた。特に、これらのアザラシ類が人間由来のA型インフルエンザ・ウイルスに感染していることを世界で最初に明らかにした研究は国際的に注目されている※1。
イギリスの医学雑誌ランセットの編集者のインタビューを受けた私は、地球規模で起きているインフルエンザ感染の防止対策には、ヒトだけではなく地球上の野生動物をも対象にした総合的な調査と予防体制を構築することの重要性を指摘した。私たちの一連の活動は、この学会での発表を通じて、ロシアの研究者の理解を得ながら進めてきた。1997年、クラスノヤルスクで開催された橋本龍太郎首相とエリツィン大統領との日ロ首脳会談では、研究者が国境を越えて、バイカル湖で人類の健康、平和、福祉を求めて活発に活動していることを紹介してもらうようにした。

国際会議のホットトピックス


■マッコウクジラの全身骨格が展示されている会場に集う会議の参加者。

この会議では、世界の賢者が一堂に会し、北極圏に生息している海棲哺乳動物の最新の情報が報告された。特に、極東海域、白海、カスピ海など国境に面した海域での研究発表が質量ともに卓越していた。会議中には、北極圏のシロクマやセイウチの地球温暖化による影響やその対策に関するワークショップも開かれ、海棲哺乳動物の保護や環境保全を中心に情報を交換しながら、今後の共同調査を立案していくことが承認された。アルゴス発信器を用いたシロクマ、セイウチの国境を越えた行動研究がアメリカの研究者から申請されたが、ロシアの研究者から、プーチン政権以降、国の安全保障の点からアルゴス発信器を用いた調査をロシア国内で実施するのは困難であるとの発言があり、今後の検討課題として留保することになった。
私は、日本が独自に開発したバイオロギング手法を用いて実施したバイカルアザラシやマッコウクジラの潜水行動に関する研究成果を発表し、北極圏に生息している海棲哺乳動物にも応用することが可能であることを紹介した。この手法は動物を殺さず彼らの目線で行動や環境の情報が得られ、動物のハビタットの利用や環境選択性の解明のみならず、地球温暖化などの環境変化に対する動物の潜在的な適応能力の解明にも有効であることを提示した。会議後、日本のバイオロギング手法に注目した研究者から共同研究の要請が相次いだ。

日本とロシアの人物・学術・文化交流の重要性

この会議で北極圏の国際プロジェクトを主導していたロシアの研究者は、旧ソ連邦崩壊後、米国政府が優秀なロシアの若手研究者を招聘し、研究所の特別研究員として雇用した人々であった。当時、ロシア経済が悪化し、国家公務員の給料の遅配や不払いが起き、公務員は生活することも困難な時代であった。彼らが、人類が直面している地球温暖化の問題について、アメリカの研究者との橋渡しを行い、国を越えて取り組んでいる姿は印象的であった。米国政府の長期的な視点に立ったこの人物交流事業は、北極圏を対象にした環境問題の解決に大きな力を発揮しつつある。一方、日本は、バイカル国際生態学センターの設立から今日に至るまで、ロシアとの間で研究者レベルの交流を深め、国境を越えた活発な活動を展開してきた。今後、日本とロシアの両国関係を良好に保つには、このような人物交流や学術交流、さらには文化交流も含めた様々な活動が国家レベルでも強力に推進され、人類の平和と福祉の共通目的に向かって展開していくことが重要である。

おわりに

「2010年11月1日、ロシアのメドベージェフ大統領が日本領土の北方四島のうちの国後島を訪問した」との報道があった。近年、サハリンの石油や天然ガス開発事業が外国資本を導入して進められており、極東は外貨獲得の重要な地域として認識されている。彼の訪問は、ロシア政府にとって極東地域の経済発展や市民生活向上のための支援が緊急で重要課題のひとつであることを示唆している。私は、約20年間にわたってロシアの研究者と一緒にロシア各地で共同研究を実施してきた。日本にはマスメディアを通じてモスクワの情報が中心に伝えられているが、残念ながらロシア各地の市民の生活や意識を紹介する情報が不足している。日本がロシアとの関係をさらに進展させるためには、市民との信頼関係の構築が不可欠ではないかと考えている。
日本政府は、長期的視点から、日本とロシアとの人物交流、学術交流、文化交流を展開し、地球温暖化などに伴う気候変化や変動の研究などの国際的な共通課題にも総合的に取り組めるシステムの構築を進めてはいかがだろうか。ご存知のように、ロシア政府は「2020年までの期間におけるロシア連邦の海洋ドクトリン」※2 を公表しているが、個々の課題に関する状況は年々変化している。今後、ロシアとの共同作業を進める際には、関係者との密接な交流を基本にした政策を展開していくことが望まれる。(了)

※2 参照:参照:丹下博也, 海保大研究報告, 2007, 52(2): 225-255

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